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「謎のメイクアップアーティスト」
しおりを挟む夏の終わり、東京のとある裏通りにひっそりと存在する小さなメイクアップスタジオの噂が広がっていた。そのスタジオには、「魔法のメイク」をする女性がいるというのだ。彼女は、名前も経歴も一切知られていないが、施術を受けた者は誰もが驚くほどの変化を遂げるという。
その女性の名は「美月」。年齢不詳の彼女は、どこか妖しげで冷たい雰囲気を持っている。彼女は決して自分から宣伝をしないが、ある秘密の合図を知る者だけが彼女のスタジオに招かれるという。合図は、赤いスカーフを首に巻いて彼女のスタジオの前を3回行き来すること。そうすれば、彼女が扉を開けて招き入れてくれると噂されている。
その噂を聞いた一人の若い女性、アヤは、ある日ついに勇気を出して美月のスタジオを訪れることにした。アヤは長年、女性であることへの不満を抱えており、常に男性としての生き方に憧れを抱いていた。だが、手術も高額で、どうすれば自分の夢を叶えられるのか悩んでいたところ、美月の噂を耳にしたのだった。
赤いスカーフを巻き、スタジオの前で行き来するアヤ。やがて美月が静かに扉を開け、「入って」とだけ言った。アヤは少し緊張しながらも、スタジオの中へと足を踏み入れた。中は薄暗く、香水の甘い香りとともに、奇妙な落ち着きが漂っていた。
「あなたが求めるものは分かっています」と美月は低い声で言った。「でも、一度変わると元には戻れないかもしれないわ。それでもいい?」
アヤは一瞬の躊躇もなく頷いた。「はい、お願いします」
美月は微笑み、アヤの顔をじっと見つめた。その眼差しはまるで、アヤの心の奥底まで見透かすかのようだった。やがて、美月は手を動かし始め、いくつものブラシやメイク道具を使ってアヤの顔を変えていった。
不思議なことに、ただのメイクとは思えない変化がアヤの身体全体に及び始めた。骨格が変わるような感覚、筋肉が膨らむような圧迫感、そして声も徐々に低くなっていく。鏡に映るアヤの姿は、まさしく男性そのものだった。短髪に変わり、肩幅も広くなり、手も大きく、しっかりとした形状になっていた。彼女が見たのは、まるでずっと夢見てきた「彼」自身だった。
驚きと感動に震えながら、アヤは鏡に映る自分の姿を確かめた。「これが…私?」
「いいえ、これからはあなたは『彼』として生きていくことになるわ」と美月は言った。「一度扉を出たら、もう戻れない。元に戻す術は私にもない。それでもいいの?」
アヤは鏡を見つめ、静かに頷いた。彼女は自分の中で何かが決定的に変わったことを感じていた。心の奥でずっと感じていた違和感が、今、解き放たれたように思えたのだ。
美月は、アヤに新しい名前と過去を与え、彼女を「彼」として送り出した。スタジオを出たアヤ——いや、アヤトと名乗る彼は、新しい人生を歩み始めた。
その後、アヤトは再び美月のスタジオを訪れようとしたが、その場所は跡形もなく消えていた。まるで幻だったかのように。彼女の噂は今も密かに伝わり続けているが、その真相を知る者は、少数の「変わった者」たちだけだという。
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美月のメイクは、人を変えるだけでなく、その人の内に秘められた本質を引き出す「魔法」だったのかもしれない。誰もが自分の姿を変えられるわけではないが、もしそのスタジオに招かれることがあれば——あなたもまた、別の自分を見つけることになるだろう。
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