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一郎と良子
しおりを挟む郊外の静かな住宅街にある喫茶店「シェア・ソウル」。古びた看板がかすかに揺れ、落ち着いた雰囲気が漂うこの店は、若者だけでなく、中年世代や年配の人たちにも人気の隠れ家的な存在だ。だが、この店には特別な噂がある。「恋人飲み」をすると、身体が入れ替わるという都市伝説だ。
#### 登場人物
**一郎(いちろう)**:55歳。真面目な性格で、地元の中堅企業に勤めている。長年会社に尽くしてきたが、近年は仕事一筋で、家庭では少し無口になりがち。妻の良子との結婚生活は30年近く続いているが、最近は会話も減り、日常の中で互いに距離が生じているように感じていた。
**良子(よしこ)**:53歳。一郎の妻で、専業主婦。家庭を守りながらも、時折寂しさを感じていた。二人の子どもたちはすでに独立し、最近は夫と二人の時間が増えたが、彼が仕事に疲れて無口になることが多く、心の距離を感じるようになっていた。
二人は休日の午後、何気なく散歩している途中でこの「シェア・ソウル」に立ち寄った。
#### 恋人飲みの挑戦
「なんだか、静かでいいお店ね」と、良子が店の内装を見渡しながら言った。店内は落ち着いた木の温もりが感じられ、心が安らぐ空間だった。良子がこの店を選んだ理由は、噂で聞いた「恋人飲み」という奇妙な習慣に興味を持ったからだった。
「良子、今日は珍しくカフェなんてどうしたんだ?」一郎は少し不思議そうな顔をして尋ねた。普段、外で二人で過ごすことは少なく、特にこんな洒落たカフェに来ることは滅多にない。
「ねえ、昔みたいに、ちょっと遊んでみない?これ、『恋人飲み』って言って、一緒に飲むと特別なことが起きるって噂なのよ」
一郎は困ったような顔をしながらも、妻の提案に逆らえずにうなずいた。注文を済ませ、テーブルには二本のストローが刺さったジュースが運ばれてきた。
「いい歳して、ちょっと恥ずかしいな…」と一郎は苦笑しながら、ストローに口をつけた。
「いいじゃない、一緒にやってみようよ。せーの!」
二人は同時にジュースを吸った。その瞬間、不思議な感覚が体に広がり、視界が揺らぐように感じた。
#### 翌朝の異変
翌朝、一郎は目を覚ました。身体がいつもより妙に軽い。そして、寝室の雰囲気もどこか違っていることに気づいた。隣に見慣れた妻の姿があるはずなのに、見えるのは…自分自身?
「まさか…」一郎は自分の手を見て驚愕した。そこにあるのは、細くしなやかな、女性の手。それも、見慣れた妻の手だ。
「おい、これはどういうことだ…」
一方、良子も目を覚まし、自分の体に起きた異変に気づいた。目の前に見えるのは、筋肉質な自分の夫、一郎の体。寝起きで混乱する頭の中に、昨夜の喫茶店での「恋人飲み」のことが思い出された。
「入れ替わってる…私たち、どうしちゃったの?」
二人はすぐに顔を見合わせ、静かに状況を理解し始めた。
#### 入れ替わった日常
「一郎、私たち、本当に体が入れ替わってるのよね…」良子(今は一郎の体)は、慌てふためきながらも、何とか冷静を保とうと必死だった。
「どうやらそうみたいだ…しかし、どうすれば元に戻れるんだ?」一郎(良子の体)は、自分の高くなった声に戸惑いながらも、冷静に考え込んだ。
二人はまず、お互いの生活をそのまま引き継ぐことにした。一郎は良子として家事をこなし、良子は一郎として会社に出勤する。お互いの役割を担うことで、これまで見えなかったお互いの生活に直面することになった。
#### 良子の視点:一郎の仕事
一郎の体で会社に出勤した良子は、そこで夫がどれだけの責任を背負っているかを知ることになった。会議に出席し、部下たちの指示を出し、顧客とのやり取りに追われる日常は、思った以上に忙しく、ストレスフルだった。
「こんなに大変だったのね…家で無口になるのも無理ないわ」と、良子は一郎の苦労を初めて実感した。仕事から帰ると、どっと疲れが押し寄せ、ただ静かに過ごしたくなる気持ちが痛いほど理解できた。
#### 一郎の視点:良子の家事
一方、一郎は良子の体で家事を担当することになった。最初は簡単だと思っていた家事も、実際にやってみると細かい作業が多く、終わりのないルーティンに気が滅入ってしまった。掃除、洗濯、食事の準備…一つ一つは小さなことでも、それらが積み重なると大きな負担になる。
「これを毎日やってたのか…大変だったんだな、良子…」一郎は、妻がどれだけ家庭を支えてきたかを実感し、今まで無関心だった自分を反省した。
#### 元に戻る夜
一週間が経ち、二人は再び「シェア・ソウル」を訪れた。店内は変わらず、マスターは静かに二人を迎え入れた。
「また来ていただけましたか?」マスターは微笑んでジュースを差し出した。
「これは、どうやったら元に戻るんだ?」一郎(今は良子の体)は真剣な表情で尋ねた。
「同じように、二人でジュースを飲めば、元に戻るでしょう」とマスターは静かに答えた。
二人は再びストローに口をつけ、同時にジュースを吸った。すると、視界が再び歪み、体が入れ替わる感覚に包まれた。
#### 互いの理解
翌朝、二人はそれぞれ自分の体に戻っていた。
「元に戻ったな」と、一郎が優しく微笑んだ。
「そうね。でも、私たち、今回のことでお互いをもっと理解できた気がする」と良子も微笑み返した。
「俺、今まで家事の大変さとか、全然わかってなかったんだな。ごめんな、良子。これからはもっと協力するよ」と一郎が真摯に謝ると、良子は「私も、一郎の仕事がどれだけ大変か知ったわ。今まで黙ってたけど、本当はとても頑張ってたのね」と静かに応じた。
それからというもの、一郎は家事に協力的になり、良子も夫の疲れを気遣いながら過ごすようになった。二人は再び寄り添い、長い結婚生活の中で生まれた小さなズレを埋め、より深い絆で結ばれるようになった。
喫茶店「シェア・ソウル」での不思議な体験は、二人にとって大切な教訓となり、その後も夫婦仲は以前にも増して仲良く穏やかに暮らした。
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