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春の境界線
しおりを挟む山あいの町にある古びた神社は、昔とほとんど変わっていなかった。苔むした石段、風に鳴る木々のざわめき、そして社の奥にひっそりと佇む、あの「祠(ほこら)」。
「覚えてる?この扉、開けるのにめちゃくちゃ苦労したよね」
紗月が笑う。優は懐かしさと少しの緊張を抱えながら頷いた。
「あの時、呪文もめちゃくちゃだったのに、なんで成功したんだろうな」
「気まぐれな神様だったのかもね」
祠の中はひんやりとしていて、空気が違っていた。優たちは持参した古いノートを開く。そこには、子供の字で書かれた、ふざけたような「儀式の手順」が記されていた。木の枝、塩、鏡、水、そして二人の名を織り込んだ呪文。
「じゃあ、始めようか」
紗月が静かに言い、二人は儀式を始めた。子供の頃とは違って、今は意味をわかって唱える言葉。慎重に、真剣に。
――風がざわつき、木々が一瞬、静かになった。
空気がぴんと張りつめ、何かが動いた気がした。
けれど――何も、変わらなかった。
優はそっと、自分の胸元に手を当てた。鏡を見た。紗月を見た。
「……戻って、ないよな?」
「……うん」
静かだった。呪文も、願いも、祈りも、すべて空に溶けたようだった。
二人はしばらく、何も言えずに祠の前に座っていた。どちらからともなく、ため息がもれた。
「やっぱり、ダメか」
紗月がぽつりと呟いた。
「いや……もしかしたら、これが“今の私たち”の答えだったのかもしれないよ」
優の声は穏やかだった。がっかりしていないわけじゃない。でも、どこか、納得している自分もいた。
「子供の頃は、魔法でなんでも変えられると思ってた。でも、本当は……自分で選んだものしか、残らないのかもな」
紗月は少し笑った。「説教くさくなったね、優」
「大人になったってことでしょ」
二人は立ち上がり、最後にもう一度だけ、祠に向かって頭を下げた。
帰り道、山を下りながら紗月が言った。
「もし戻ってたら、ちょっと後悔してたかも。今の私を、手放すのが怖かった気がする」
「俺も。……なんだかんだ、男として生きてきたこと、もう人生の一部だからさ」
風が春の匂いを運んでくる。
何かを取り戻すことより、今の自分たちを認めることの方が、ずっと難しくて、でもずっと大切なのかもしれない。
そして、そういう選択も、きっと“魔法”なんだと思えた。
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