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第2章
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しおりを挟む少女、メリディアの双眸が愉快げに弧を描いた。
「ほう…妾の魔力に屈さぬか…」
とろりとした甘やかな微笑みは妖艶さを増し、康泰の意識に靄が掛かり始める。
「…礼儀のなって無い王様め…」
忌々しく吐き出した。意識が遠退きそうになる中、不意に左手首が熱を持ち、体内の魔力の巡りが活性化するような感覚に包まれた。
熱源はヴィヴィアンに製作してもらった付加装飾具。眩暈と共に滞り始めていた魔力が正常に循環を始め、次第に意識もはっきりし始める。
「ビビさん様様だな…」
ぽつりと呟き、視線をメリディアから外さぬままバングルを右手で撫でた。バングルに熱はなく、ひやりと冷たいままそこに在る。
いまだ自我を保つ康泰に対し、メリディアの表情が歪んだ。
「なんと、妾の『誘惑』を退けるとは天晴れよな」
口元を指先で隠してころころと笑うメリディアの目が、新しい玩具を見つけたと言わんばかりに輝いている。笑ってはいるが肌を刺すのは明らかな憤り。それを証明するように、足元に散らばるガラスが弾けて更に粉々に砕かれている。
これは面倒な事になって来たと康泰が表情を歪めていると、冷たい風が頬を撫でた。割れた天井から入り込むのとは違う、氷の気配に康泰もメリディアも動きを止めた。
「嗚呼っ、この気配…!」
メリディアの声が歓喜に濡れる。
しかし、少女は気が付いた。身動きが取れない。足元に目をやれば、ピシリと音を立てて床が凍り、地面に縫い付けるように足をも凍り始めていた。
「な、なにゆえっ、我が君!なにゆえじゃっ!」
メリディアが天を仰いで叫んだ。髪を振り乱し、『我が君』を見つけようと必死になっている少女を眺め、康泰は自身の足元に視線を移した。康泰の足も凍結し、膝まで氷に覆われている。
だが、明らかに少女を包む氷の侵食の方が早い。既に胸まで達し、康泰に目を向ける余裕など無いように見える。
「依怙贔屓もここまで来ると逆に清々しささえ感じるな…」
呆れたように呟く間に、メリディアの悲痛な叫びが掻き消え、康泰の視線の先には、透明な氷が造り出した少女像。柔らかな風が仕上げとばかりにその表面を撫でれば、氷像はざらりと音を立てて崩れ落ち、細かな欠片が小山を成す。
「えっ?」
呆然とした呟きが康泰から零れ落ちる頃には、小山の下層はじわりと溶けて床を濡らしていた。
崩れた氷像は確かにメリディアだったはずだ。魔族がそう簡単に消滅するとは思えないが、砂粒と言って差し障りが無いほどに千々となった場合は果たして生き残る事が出来るのかと考えた。
「ご心配には及びません」
掛けられた声に振り返れば、僅かに顔色を悪くしたシュノアが申し訳無いと頭を下げる。
「参上が遅れまして…皇の魔力を感じ何事かと…」
シュノアも安易に康泰をひとりにした訳では無い。用心に越した事は無いと広い庭園を覆うほどの感知網を張り巡らせていた。しかし、相手は魔王の一角。更に吸血鬼一族の王。生まれ持った魔力は強く、現在は退いているとは言え魔皇の近衛隊隊長であったシュノアすら惑わす事が容易である。
「特にメリディア様は幻惑の術が強く、しかも、ほぼ無意識的にその術を展開しているので余計に性質が悪いのです」
説明を受けながら、康泰はシュノアに先導されて再びガゼボへと足を踏み入れた。
シュノアは安全の為すぐに城へ戻ろうと提案したが、康泰はそれを断ってお茶にしようと半ば無理矢理にシュノアを誘ったのである。大丈夫と押し切って準備して貰った紅茶は、ほんのりと甘い。
「多分、あの人に目を付けられたかもなー…」
最初に対面した時は、その辺の石ころに目を向けるような興味の無い目をしていた。だが金色の煌き、メリディア曰く『誘惑』を弾いたと判断された瞬間に、その双眸に敵意が芽生えたのは確かだ。
「そう言えば、皇妃の話になるんですけど」
ふとある疑問が湧いた。
「何でしょう?」
「王妃の人たちが皇妃である可能性とか、無いんですか?」
その問いに、シュノアは即座に「有り得ません」と両断する。
「王妃はあくまで各階層の統治者です。皇の目となり、手足となる存在。決して、『伴侶』には成り得ないのです。我が身と婚姻を結ぶようなものですから」
そんな芸当、出来ないでしょう?
首を微かに傾けたシュノアに、それはそうだと康泰は頷いた。
「なんか…しばらくはミオンさんかビビさんの客として過ごした方が心の安寧が得られる気がする…」
下手に皇妃候補だと騒がれても面倒事が起きるのは必至だ。我が身を守れるようになるまではと願えば、その方向で諸々検討してみますとシュノアは笑った。
「さて、私は割れた天井の修復を行いますが、コータ様は城に戻られますか?」
「んー…邪魔で無いなら見ていても?戻っても何をする訳でも無いし…」
「ええ、構いませんよ」
シュノアの背を見送りながら何度目かも分からぬため息を吐き出し、何とも報われぬ話だろうかと襲い来た少女を脳裏に思い描いた。
耳の奥に僅かに残る「我が君」と叫ぶ少女の声。あの声は、愛する者へと向けられたものだと分かる。それほどまでに悲痛なものだった。愛する者が目覚めるかも知れ無いと言う気配を察知し、行き来困難と思われる外界をその身ひとつで駆け抜けて来た思いを愛と言わずして何と言うのか。
しかし、どれだけの愛を示そうとも、その相手からは一定以上の好意は返って来ない。そこに愛が含まれるのかすらも分からない。
哀れと思えるだけの心が残っている事に、康泰は少なからず安堵を覚えた。憐憫こそ、少女の矜持を傷付けると知りながら。
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