セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

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第6章

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 だが、勝手な契約の上書きは無作法以外の何者でもなく、新たな争いの火種になり兼ねない。もし、上書きに成功したとなれば、少女の狂騒に拍車を掛けるのが目に見えている。
 命じられた任務を遂行出来なかったバーズは、主人であるメリディアの意に添えなかった。故に罰を与えられたのだと想像に難くない。それでも、主人に見限られようとしている従僕魔は、その主人の為に我が命を投げ打って此処に来たのだ。首を刎ねられる事を承知で。
「とりあえず、私の庇護下に入れよう」
 静観を決め込んでいたロイウェンの指先が、バーズの額に触れ、まじないを刻み込んだ。
「あっちにバレない?」
「大丈夫。これ程に揺らいでいるとなれば、主従の絲はほぼ切れている。あちらに何かが伝わる事は無い」
 その言葉に、康泰は安堵の息を漏らす。だが、根本的な問題解決には至らないとロイウェンは言う。
「あくまで生命維持の為に繋いだだけだ。私は従僕魔を契約するつもりも無いし、ミオンやシュノアも同様だろう」
「そん時は俺が引き取る」
 迷いはない。少しばかりの憐みはあるが。
 ついとユリエラに目を向ければ、僅かな動揺はあるもののゆるりと首を振った。
「…お心遣い、ありがとうございまス。確かにこの子は…ぼくの可愛い子ではありますが、ぼくは契約の上書きを望んではおりません。この子がそれを望まないでしょうカラ」
 そう言って笑うさまは、潔く美しい。
「…分かった。彼の意思は尊重する。ただし、場合によってはあなたたちの意にそぐわない事態になるだろうから、出来る限りって前提だけれど」
「ありがとうございます…」
「ユリエラ、モニスを此処に」
「僭越ながら、勝手にお邪魔しておりますよ」
 ロイウェンの指示に頷こうとしたユリエラを遮り、モニスの姿が宙に現れる。その腕に抱かれていた黒い影―リィが、きゅいと一声上げて主人の康泰の膝元に飛び降りた。
「皇よ、その者が無理矢理『道』を抉じ開けましたので、後で修復してください」
 呆れたように告げたモニスに、ロイウェンは鷹揚に頷く。
「把握しているとは思うが、バーズの治療を頼みたい。報酬は…まあ、何か考えておけ」
「治癒ならば天使族の領分ですから、可能な限り手をお貸しいたしましょう。但し、魔族に対して『天恵』での治癒は逆効果ですので、あなたの魔力を頂戴しますよ」
 モニスの視線の先の康泰は構わないと了承した。
「それと、報酬に関しては結構です。今の私は、彼の『おままごと』に付き合わされている捕虜ですから。ある程度自由にさせて頂いている以上を望むほど愚かではありません」
 はっきりと断ったモニスに、ロイウェンは愉快気に笑みをこぼした。
 失礼と一言断り、康泰の右手の甲に天界文字を描く。同様に、バーズの手の甲にも違う天界文字を刻んだ。
 『天恵』の代用として魔力を使った事は幾度かあった。ただ、どの時も相手は己よりも格下の魔族であり、破壊を目的とした魔力の行使だった為、細かな制御は全くした記憶は無い。
 ゆっくりと吐き出す息が微かに震えた。柄にも無く緊張しているのだと、余計に意識してしまう。
「先に言っておきますが、成功するかは保証できません」
「承知している」
 ロイウェンの言葉にひとつ頷き、モニスは再び康泰を見た。
「…あなたにとっては些細な魔力量でも、私にとっては消滅に直結してしまう。流れ出ようとする魔力を出来る限り抑えてください」
「ぐ…細かい調整はちょっと…」
 表情を歪めた康泰に、ロイウェンは笑った。
「私が調整しよう」
 ベッドを微かに揺らし、背中側に移動して来たロイウェンの体に身を預け、「よろしくお願いします…」と苦々しく頭を下げた康泰に、皇は気にするなとその体を抱き込んだ。
「では、始めます」
 モニスはそれぞれの手で康泰とバーズの手を取り、瞼を伏せた。康泰の手の甲に描かれた天界文字が柔らかな熱を帯びる。
 引き摺られるようにしてずろりと蠢いた康泰の腹の底に渦巻く魔力の塊。今にも溢れ出しそうなそれを宥めるのはロイウェンの意思だ。己の魔力を使用する事無く、他者の魔力を鎮めるのはほぼ不可能である。それを可能にするのも『魔皇の刻印』が齎す祝福なのだろうと、康泰の魔力の動きを直に感じ取っているモニスは小さく喉を鳴らした。
 自身の中にある『天恵』を使用する為の回路を、僅かに組み替えて魔力の道を作り上げる。
(―…うん、此処までは大丈夫…)
 胸中で安堵の息を付き、意識して出力のチャンネルを『治癒』に切り替えて行く。
 バーズの手の甲に描かれた天界文字が淡い光を宿せば、その光は全身に巡った。時折強弱を付けて明滅するのは、出力の調整が一定では無いからだ。それでもゆっくりとではあるがバーズの傷は癒えて行く。
 およそ五分が経つ頃。康泰とバーズに刻まれていた天界文字の光は徐々に消え去り、ほろりと分離して霧散した。
 静寂の中、深く息を吐き出して二人の手をそっと解放したモニスの顔色は悪い。
「完治はしておりませんが、大まかな治癒は完了です。あくまで応急処置の範囲になるので、あとは魔族の医師に診せた方が宜しいかと」
 眩暈に襲われ体勢を崩したモニスの体を、ユリエラの影が支えるのを見ながら、ロイウェンは僅かに頭を下げた。康泰とユリエラもそれぞれに礼をとる。
「助力、感謝する」
 ロイウェンに対し、モニスは不格好な笑みを浮かべた。
「…魔皇あなたに頭を下げられるのなら、気まぐれを起こすのも悪くはないですね」
 モニスの目は、消滅から逃れたバーズに向けられる。意識の無い男の顔色は悪いが、それだけだ。目に見えていた『死』は消え去っている。
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