セカンドライフは魔皇の花嫁

仁蕾

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第8章

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   ***

「は…?」
 低い声が桜色の唇から零れ落ち、その可憐な顔立ちは何とも言い難い感情に歪んだ。康泰はその奇特なものを見るような眼差しを正面で受け止めた。
「もう一度、宜しいかしら?わたくしに、あなたの、従僕魔スピニアになれ、と…?」
 唖然としたメリディアの声は震えていた。今まで女帝として生きて来た彼女にとって、皇以外の誰かに跪くなど屈辱以外の何物でもなかった。だが、康泰は違うと笑う。
「護衛だよ、護衛。従僕魔はリィだけで十分だ。あなたなら察してくれるだろうが、俺の立場は思っている以上に不安定だ」
 歪めた表情もそのままに、メリディアは頷いた。
「…そうですわね。現状のあなたは、あくまでヴィヴィアンの客人であり、正式な『皇妃』として入城している訳でも無い。…けれども、我が君と宰相が一番警戒していたのはわたくしでしょうから、わざわざ護衛を付ける必要もないのではなくて?」 
 ため息交じりの言葉を康泰は再び否定する。
「あなたはあくまでその『危険』の一端でしかない。一番身近な危険が排除されたからと言って、遠い危険が消えてなくなった訳ではなくて、次の『身近な危険』になっただけだ」
 康泰が言わんとせん事は分かる。メリディアもそういう風に生きて来たから。しかし、だからと言って今回の申し出に納得が出来るかと言えば、答えは『否』だ。
 強いて言うなら、目の前の男は恋敵。報われないと諦念していても感情と言うのはままならないもので、恋心の裏側には常に醜い嫉妬心もある。その嫉妬心でを糧に憎悪が膨らみ、朦朧とした意識の中でも幼稚な行動を多々して来た自覚はある。しかし、謝るつもりは更々無い。後悔も、無い。
 知れず、吐息が零れ落ちる。なぜ自分が、と思わない事も無い。が、目の前の男を護衛できる者は数少ない事も分かっていた。康泰自身の魔力が、本人が思っている以上に複雑である事が理由だ。
 傍目から見れば強大な魔力ではあるものの、その深く奥底に存在する小さな『宝箱』。注意深く探れば見つけられる繊細なガラス細工のようなそれは、彼の純粋で強暴な『本性』を優しく閉じ込めていた。
(もし、『これ』が表に出て来た時に対処出来る者でなければ、意味がない…)
 顎に指先を添え、考える。
「…一応、聞いて差し上げますわ。…わたくしを護衛にと請う理由は?」
「いざと言うとき、俺を殺せるから」
 想定していたとは言え、間髪入れず返って来た言葉に息を詰めた。困惑するメリディアとは対照的に、当の本人は何とも愉快気に笑みを浮かべている。
「あなたに祈誓を強要する気はない」
 メリディアは眉間に深い皺を刻み込む。
「わたくしを護衛にするならば、祈誓は必定。むざむざその命を差し出すと言うの?それとも、僅かでも忠誠心が芽生えると思って?」
「祈誓が必要な事は、分かってる。だが、祈誓それはいざと言うときの足枷にしかならない。あなたに忠誠心を求める気も無い。下手な忠誠心は躊躇いを生む。まあ、そんなものあなたには関係無いだろうが」
「…確かに、わたくしであれば躊躇いの欠片も無く、あなたの首を刎ねるでしょうね」
 誅殺が実行出来た暁には、我が身も塵と化すだろうけれども。
「だろう?」
「でも、残念ながらその程度ではわたくしの生きる理由にはなり得ませんわ」
 にこりと、可憐に微笑んだ。
 気に食わない男をこの手で殺す。それは何とも甘美な誘惑だ。だが、それだけだ。
「わたくしを『女帝わたくし』たらしめるのは、最早愛しき我が子のみ」
 瞼を閉じれば、幼い頃の我が子が微笑む。ひめさま、と。
「断ち切れた縁は戻らぬ。戻せぬ。なれば、『妾』は傀儡と成りて御方に処される事を望もう」
 開かれた双眸は強い光を湛えていた。女帝の名に相応しい眼差しに、康泰は「さて、困った…」と息を吐く。
 自分の命コレ以上の手札を康泰は持たない。
(交渉決裂、か…?)
 舌打ちをしたくなったが、ふと、メリディアの表情が強張った事に気が付いた。その目が見るのは、己の背後。
「嗚呼…」
 吐息のように漏れた声は、驚きと戸惑いに震えていた。敵意を感じない背後の気配を振り返り、康泰は己の口角が吊り上がるのを自覚する。
 振り返った先、影に滲む闇の住人が右手を胸に、闇色の異形の左手を背に回して首を垂れていた。
「いらっしゃい、バーズさん」
「ご機嫌麗しく、コータ様」
 声は平常。顔を上げないのは、少女のためか。
「お久し振りにございます。メリディア・ファラス=ジュエラ」
「…わたくしはもう、王妃ジュエラではないわ…」
「魔皇陛下からの廃妃の公布は、まだ、ございませんので」
 メリディアの言葉に、バーズは変わらず執事然とした態度で返した。それでも久方振りの再会ゆえか、メリディアの双眸は潤んで行く。その様は宝石のごとく、美しい。
「バーズ…わたくしの可愛い子…」
 様々な感情が入り混じっているのか声は掠れ、震え、それでも優しくその場に響いた。同時に、バーズの空気が揺れる。
「もう、顔を見せてはくれないの…?」
 それも仕方が無いだろうと、メリディアが諦めを多分に含んで問い掛ければ、数拍の間を空け、バーズは顔を上げて見せた。その表情は揺れた空気に反して僅かも歪んでおらず、平時と変わらぬ眼差しがメリディアに向けられた。
 メリディアはしばらくバーズの顔を見つめ、花が綻ぶような笑みを浮かべた。
「傷つけたわたくしが言える事ではないけれど……傷は、もう大丈夫なの…?」
「はい」
「もう、苦しくは無い?」
「…はい」
「っ、そう…それなら、良かったわ…」
 女帝は笑う。母の顔で。
「長い間、あなたを解放出来なくてごめんなさいね…」
 バーズの無事な姿を見つめ、まばたきをひとつ。ほろりとまろび出た涙が一筋、その丸い頬を流れ落ちた。
「本当は、ぁ…あなたの姿を、一目見られるだけで良かった…それだけで良かったのに…」
 俯いたメリディアの双眸からは、次から次へと涙が溢れ出る。
「一目見たら、っ、離れがたくなってしまったわ…っ」
 覚悟が揺らいでしまった。もう、何も望まない筈だったのに。
 小さな嗚咽が響く中、バーズは意を決したように深呼吸をし、一歩踏み出した。
 一歩、二歩。ゆっくりとメリディアに近付き、傍に膝をつくと胸元からハンカチを取り出してメリディアの頬に触れた。
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