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攫われたオーレリア 2
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(遅いな、オーレリア……)
ラルフはそわそわと落ち着かなげに執務室の中を歩き回っていた。
オーレリアは今日、ギルバートに会いにサンプソン家へ出かけて行った。
もしかして結婚相手にギルバートを選ぶのだろうかと不安になったが、どうやらそうではないようで、オーレリアは出かけ際に心配そうな顔をするラルフに、ギルバートの求婚を断ってくると言った。
そうなると、ドキドキしてくるのはラルフの方である。
ギルバートの求婚を断るということは、ラルフを選んでくれたということではないのか。
オーレリアは昨日、返事は一日待ってほしいと言ったし、これはいい返事が期待できるとうぬぼれてもいいのではないか。
結果、オーレリアが出かけた朝から気もそぞろで、仕事がなかなか手につかない。
オーレリアは早く帰ってこないだろうか、そればかり考えている。
バベッチ家の執事のケネスがそんなギルバートに苦笑して、ダイニングで待っていたらどうですかと言った。玄関から一番近いのがダイニングルームなのだ。大きな窓もあるし、そこで待っていたらオーレリアの帰宅がすぐにわかる。
ラルフはちらりと執務机の上の書類を見たが、先ほどからちっとも仕事に集中できないので、ここにいても無駄だと判断した。ケネスの提案に乗ることにする。
急いだところでオーレリアはまだ帰って来ていないが、なんとなく急ぎ足でダイニングに降りると、窓の近くの椅子に座った。
ドーラがお茶を用意しながら、窓外を見て、少しだけ不安そうに眉を寄せる。
「雨が降りそうですね」
ドーラが不安に思っていることがわかって、ラルフは神妙な顔になった。
雨の日にバベッチ一家を乗せた馬車が事故に遭って、もうじき一か月。言い方を変えれば、まだ一か月だ。
事故に遭った日は大雨だったし、あの日は運悪く雨で滑った先に崖があった。三人はほぼ即死だっただろうと遺体を確認した医者が言ったくらいだ、相当大きな事故を起こしたのだろう。
今日はまだ雨が降っていないし、空にかかる雲の熱さから見るに、大雨になるとは思えない。
だいたい、今日の御者はロバートで、びっくりするくらい安全に馬車を走らせる男だ。ラルフにしてみたら少々スピードが遅すぎやしないかと感じるが、オーレリアを乗せる分には逆に安全で安心できる。バベッチ一家を乗せた馬車が事故に遭った際に、同僚だった御者も可愛がっていた馬も命を落としたから、そのこともあって、ロバートはより慎重になっているので、彼が事故を起こすような走りをするとは思えない。
だというのに、胸騒ぎがするのは何故だろう。
ラルフがざわざわする胸の上を押さえたとき、窓の外に馬車を発見した。思わず腰を浮かせて、しかし、庭に入ってきた馬車はバベッチ家のものではないと知ってがっかりする。こんな時に、いったい誰が来たのだろう。
「あの馬車は……辻馬車でしょうか。いったいどなたでしょう?」
サンプソン公爵領で働く貴族は、みな自前の馬車を持っている。栄えている領地だと言っても、バベッチ伯爵が管理を任されているところがそうであるように、場所によってはあたり一帯農村地が広がっていたりして、馬車がないと生活に不便だからだ。
つまり、辻馬車を使っているということは、少なくともサンプソン公爵領で生活している貴族ではないだろう。
ケネスが確認に向かうと、訪れたのはコリーン・ダンニグだという。
(コリーン・ダンニグがここに何の用だ?)
コリーンは昨日、オーレリアに余計なことを吹き込んで泣かした女だ。だいたい、結婚すると了承した覚えもないのに、勝手に結婚相手にしないでほしい。
サロンへ案内するかと訊ねるケネスに首を横に振って、ラルフは玄関へ向かった。即刻追い出してやる。オーレリアを泣かせるやつは、たとえ女だろうと容赦しない。
玄関には、相変わらず派手な縦ロールの丸い女がいた。
ラルフを見てぱあっと顔を輝かせるが、ラルフには愛想笑いも浮かべる気に慣れなかった。
「ここに何の御用ですか? 生憎と、オーレリアは留守にしているんですが」
オーレリアがここにいたとしても居留守を使わせるけどなと、ラルフは心の中で毒づいた。オーレリアを傷つけるのがわかっている相手の前に、どうして彼女を出さなければならない。オーレリアが行くと言っても絶対に行かせない。
ラルフのつっけんどんな態度を、コリーンは笑っていなした。
「オーレリアになんて用はありませんわ。今日はあなたに会いに来たんですもの」
「俺に?」
「ええ。わたくしとの縁談のことはお聞きになっているでしょう? 今日は結婚の日取りを決めに来ましたのよ。ほら、こういうことは早い方がいいでしょう?」
「……何を言っているのか、わかりかねますが」
この女は馬鹿なのだろうか。いつラルフが、その縁談を受け入れた?
(見た目も子供のようだが、中身もお花畑だな)
これは、子供のおままごとではないのだ。自分の希望が必ずしも通ると思わないでもらいたい。
子供のような装いをしたところで、我儘を言えば通る年齢はとうに過ぎている。
ラルフはケネスに目配せをした。
心得たケネスが玄関の扉を大きく開く。
「申し訳ありませんが、あなたのお相手をしている暇はありません。お帰りいただけますか?」
ラルフに冷たくあしらわれると思っていなかったのか、コリーンが茶色い瞳をこれでもかと見開いた。
「え……どうして……?」
「縁談は、じきに断りが入るかと思われます。俺は、あなたと結婚するつもりはありませんから」
ラルフが結婚したい相手はただ一人。オーレリアだけだ。コリーンだからダメなのではなく、オーレリア以外の女性は全員ダメなのだ。ラルフには、オーレリアしか見えない。
コリーンの顔が、カッと赤く染まった。羞恥か、それとも怒りか、ふるふると小刻みに震えている。
しかしその悔しそうな表情は、しばらくすると絶対的な自信を感じさせる笑みへと変貌した。
「……かまいませんわ、断られることも想定済みですもの。でも、あなたは最終的にはわたくしと結婚することを選びますわ。オーレリアのためにね」
「なんだって?」
ラルフは眉をひそめた。
コリーンは派手な巻き髪を飾っている白いリボンを指さした。ど派手なピンクのリボンの中に混じって、それだけが控えめだ。そのリボンに見覚えがあるような気がするが、どこだったろう。もっとはっきり見たいけれど、巻き髪が邪魔でよく見えない。
コリーンはリボンをほどいて、ラルフに渡した。
「これが何だかわかりまして?」
ラルフは訝しんだが、リボンを受け取ってハッとした。
(これ、オーレリアの……!)
真っ白なリボンの隅に、控えめな青い花の刺繍。オーレリアが今朝髪をまとめるのに使っていたリボンだ。
オーレリアが動くたびに揺れるリボンの青い刺繍が目を引いて、彼女によく似あっていると思ったから覚えている。
コリーンはくるくると巻き髪を指先でもてあそんだ。
「オーレリアは今、とある場所に監禁していますわ。無事に帰れるかどうかは、あなたの返答次第」
「なんですって⁉」
ラルフのうしろで聞いていたドーラが悲鳴のような声をあげた。
開け放った玄関扉の前にいたケネスも息を呑む。
ラルフはリボンを握りしめて、コリーンを睨んだ。
「どういうことだ」
「そう睨まないでくださいませ。ちょっと知り合いに頼んだだけですもの。協力してくれたら借金を利子をそろえて全額お返しいたしますわと言ったら、あっさり協力してくれましたわ」
ふふふ、とコリーンは楽しそうに笑った。
「つまり、エイブラム・ダンニグの借金先の誰かに頼んで誘拐させたと?」
「そのとおり」
コリーンは無邪気に手を叩いた。
ラルフは後ろを振り返って、ドーラにオーレリアのリボンを渡した。
「持っていてくれ」
ドーラにリボンを渡したのは、オーレリアの大切なリボンを汚したくなかったからだ。
(まったく、この女は本当に頭が弱いんだな)
怒りでどうにかなりそうだった。だが、それよりもオーレリアである。
ケネスを見れば、コリーンが乗ってきた馬車を確認した彼が、小さく頷いた。
ピューッとケネスが口笛を吹いた瞬間、ラルフは床を蹴ってコリーンに飛び掛かる。
コリーンは悲鳴を上げたけれど、女一人を床に押さえつけることは、士官学校で鍛えたラルフには造作もないことだ。
ケネスの合図で、バベッチ家の使用人たちが馬車の御者を取り押さえているのが見える。
辻馬車だから大丈夫だとは思ったけれど、御者を取り押さえたのは念のためだった。馬車の中には誰も乗っていなかったことは、ケネスが視線で教えてくれたから、武器を持っていない使用人でも数人がかりならば簡単に御者を取り押さえることができる。
辻馬車業の男は何も知らなかったのか、目を白黒させていた。
いわば彼は被害者なので、あとで金を渡して謝罪しておこう。このことがよそに漏れるわけにはいかないから、しばらくの間は拘束させてもらうけれど。
「何をするんですの! オーレリアがどうなってもいいの⁉」
床に押さえつけられたコリーンがわめいている。
ラルフは心の底からの嘲笑を浮かべた。どうしようもなく怒っていることもあるが、人をここまで見下したのははじめてだ。
「君は本当にバカだな」
侮蔑をこめて吐き捨てれば、コリーンが息を呑んだ。
「オーレリアを盾にするんなら、一人で乗り込んでべらべらと余計なことを喋るべきじゃなかった。これでは、捕まえて尋問してくださいと言っているようなものだ」
どうしてこれで有利に立てると思ったのか、はなはだ疑問である。
コリーンの迂闊な一言で、オーレリアを誘拐したのがエイブラムの借金先だということはわかった。ならばその中で、コリーンの馬鹿な計画に協力しそうな連中を洗い出せばいいが、コリーンの口からそれを吐かした方が早い。
それに、伯爵令嬢を誘拐したのだ。コリーンをこのままにしておくわけにはいかない。サンプソン公爵の前にコリーンもろとも一家を突き出して、しかるべき裁きを受けさせてやる。
「オーレリアを攫わせた協力者とは誰だ」
「いうわけないでしょう」
馬鹿ですの、と鼻で笑うコリーンに腹が立ったが、ラルフがコリーンを押さえつける手に力を籠めるより先に、怒りの形相のドーラがコリーンの背中を容赦なく踏みつけた。
「ひぅっ」
力いっぱい踏みつけられたからか、一瞬呼吸が止まったらしい。コリーンが悲鳴を上げて苦悶の表情を浮かべる。
「吐きなさい。お嬢様はどこですか。……儚いなら、指の骨の一本や二本、容赦なく折りますからそのおつもりで」
……ドーラが怖い。
ラルフもケネスも、この邸の使用人全員も、もちろん怒ってはいるものの、ドーラの怒りはその比ではなさそうだった。有言実行とばかりにコリーンの右の人差し指を本来曲がらない方向へぐっと押さえつける。
「痛い痛い痛い痛い痛い‼」
コリーンが叫んだ。
さすがラルフでも、女の指を折ろうとは思わなかったのに、ドーラは本気で折るつもりだ。
「ま、待て、ドーラ」
「待ちません。さあ、話なさい。この指を折られたくなければ、今すぐに、さあ‼」
いくらコリーンがオーレリアを誘拐させたからと言って、裁かれる前に大怪我を負わせるのは非常にまずい。この状況だと、正当防衛を主張するにも無理があるだろう。必要以上にコリーンを痛めつければ、ドーラも暴行罪で咎められることになってしまう。
「言う、言うから離してよ! 離して! 痛いっ。痛いってばッ‼」
泣きわめきながらコリーンが観念すると、ドーラは小さく舌打ちして指から手を放した。
(ドーラは本気で怒らせないようにしよう……)
ラルフはそう心に誓って、泣きべそをかいているコリーンに視線を向ける。ドーラはコリーンの指から手を放したけれど、足はコリーンの背中に乗ったままだ。ブーツのかかとが肉の盛った背中にめり込んでいる。
コリーンが泣きながらオーレリアを攫った男たちの名前を言うと、ラルフはケネスにコリーンを任せて家から飛び出した。
予備の馬車はないが、馬はいるので、急いで厩舎へ向かって、栗毛の一頭を借りる。
まずはサンプソン家へ向かわなくては。単身で乗り込んでも不利なだけだ。
ラルフはぽつぽつと雨が降り出した中を、大急ぎで馬を走らせた。
ラルフはそわそわと落ち着かなげに執務室の中を歩き回っていた。
オーレリアは今日、ギルバートに会いにサンプソン家へ出かけて行った。
もしかして結婚相手にギルバートを選ぶのだろうかと不安になったが、どうやらそうではないようで、オーレリアは出かけ際に心配そうな顔をするラルフに、ギルバートの求婚を断ってくると言った。
そうなると、ドキドキしてくるのはラルフの方である。
ギルバートの求婚を断るということは、ラルフを選んでくれたということではないのか。
オーレリアは昨日、返事は一日待ってほしいと言ったし、これはいい返事が期待できるとうぬぼれてもいいのではないか。
結果、オーレリアが出かけた朝から気もそぞろで、仕事がなかなか手につかない。
オーレリアは早く帰ってこないだろうか、そればかり考えている。
バベッチ家の執事のケネスがそんなギルバートに苦笑して、ダイニングで待っていたらどうですかと言った。玄関から一番近いのがダイニングルームなのだ。大きな窓もあるし、そこで待っていたらオーレリアの帰宅がすぐにわかる。
ラルフはちらりと執務机の上の書類を見たが、先ほどからちっとも仕事に集中できないので、ここにいても無駄だと判断した。ケネスの提案に乗ることにする。
急いだところでオーレリアはまだ帰って来ていないが、なんとなく急ぎ足でダイニングに降りると、窓の近くの椅子に座った。
ドーラがお茶を用意しながら、窓外を見て、少しだけ不安そうに眉を寄せる。
「雨が降りそうですね」
ドーラが不安に思っていることがわかって、ラルフは神妙な顔になった。
雨の日にバベッチ一家を乗せた馬車が事故に遭って、もうじき一か月。言い方を変えれば、まだ一か月だ。
事故に遭った日は大雨だったし、あの日は運悪く雨で滑った先に崖があった。三人はほぼ即死だっただろうと遺体を確認した医者が言ったくらいだ、相当大きな事故を起こしたのだろう。
今日はまだ雨が降っていないし、空にかかる雲の熱さから見るに、大雨になるとは思えない。
だいたい、今日の御者はロバートで、びっくりするくらい安全に馬車を走らせる男だ。ラルフにしてみたら少々スピードが遅すぎやしないかと感じるが、オーレリアを乗せる分には逆に安全で安心できる。バベッチ一家を乗せた馬車が事故に遭った際に、同僚だった御者も可愛がっていた馬も命を落としたから、そのこともあって、ロバートはより慎重になっているので、彼が事故を起こすような走りをするとは思えない。
だというのに、胸騒ぎがするのは何故だろう。
ラルフがざわざわする胸の上を押さえたとき、窓の外に馬車を発見した。思わず腰を浮かせて、しかし、庭に入ってきた馬車はバベッチ家のものではないと知ってがっかりする。こんな時に、いったい誰が来たのだろう。
「あの馬車は……辻馬車でしょうか。いったいどなたでしょう?」
サンプソン公爵領で働く貴族は、みな自前の馬車を持っている。栄えている領地だと言っても、バベッチ伯爵が管理を任されているところがそうであるように、場所によってはあたり一帯農村地が広がっていたりして、馬車がないと生活に不便だからだ。
つまり、辻馬車を使っているということは、少なくともサンプソン公爵領で生活している貴族ではないだろう。
ケネスが確認に向かうと、訪れたのはコリーン・ダンニグだという。
(コリーン・ダンニグがここに何の用だ?)
コリーンは昨日、オーレリアに余計なことを吹き込んで泣かした女だ。だいたい、結婚すると了承した覚えもないのに、勝手に結婚相手にしないでほしい。
サロンへ案内するかと訊ねるケネスに首を横に振って、ラルフは玄関へ向かった。即刻追い出してやる。オーレリアを泣かせるやつは、たとえ女だろうと容赦しない。
玄関には、相変わらず派手な縦ロールの丸い女がいた。
ラルフを見てぱあっと顔を輝かせるが、ラルフには愛想笑いも浮かべる気に慣れなかった。
「ここに何の御用ですか? 生憎と、オーレリアは留守にしているんですが」
オーレリアがここにいたとしても居留守を使わせるけどなと、ラルフは心の中で毒づいた。オーレリアを傷つけるのがわかっている相手の前に、どうして彼女を出さなければならない。オーレリアが行くと言っても絶対に行かせない。
ラルフのつっけんどんな態度を、コリーンは笑っていなした。
「オーレリアになんて用はありませんわ。今日はあなたに会いに来たんですもの」
「俺に?」
「ええ。わたくしとの縁談のことはお聞きになっているでしょう? 今日は結婚の日取りを決めに来ましたのよ。ほら、こういうことは早い方がいいでしょう?」
「……何を言っているのか、わかりかねますが」
この女は馬鹿なのだろうか。いつラルフが、その縁談を受け入れた?
(見た目も子供のようだが、中身もお花畑だな)
これは、子供のおままごとではないのだ。自分の希望が必ずしも通ると思わないでもらいたい。
子供のような装いをしたところで、我儘を言えば通る年齢はとうに過ぎている。
ラルフはケネスに目配せをした。
心得たケネスが玄関の扉を大きく開く。
「申し訳ありませんが、あなたのお相手をしている暇はありません。お帰りいただけますか?」
ラルフに冷たくあしらわれると思っていなかったのか、コリーンが茶色い瞳をこれでもかと見開いた。
「え……どうして……?」
「縁談は、じきに断りが入るかと思われます。俺は、あなたと結婚するつもりはありませんから」
ラルフが結婚したい相手はただ一人。オーレリアだけだ。コリーンだからダメなのではなく、オーレリア以外の女性は全員ダメなのだ。ラルフには、オーレリアしか見えない。
コリーンの顔が、カッと赤く染まった。羞恥か、それとも怒りか、ふるふると小刻みに震えている。
しかしその悔しそうな表情は、しばらくすると絶対的な自信を感じさせる笑みへと変貌した。
「……かまいませんわ、断られることも想定済みですもの。でも、あなたは最終的にはわたくしと結婚することを選びますわ。オーレリアのためにね」
「なんだって?」
ラルフは眉をひそめた。
コリーンは派手な巻き髪を飾っている白いリボンを指さした。ど派手なピンクのリボンの中に混じって、それだけが控えめだ。そのリボンに見覚えがあるような気がするが、どこだったろう。もっとはっきり見たいけれど、巻き髪が邪魔でよく見えない。
コリーンはリボンをほどいて、ラルフに渡した。
「これが何だかわかりまして?」
ラルフは訝しんだが、リボンを受け取ってハッとした。
(これ、オーレリアの……!)
真っ白なリボンの隅に、控えめな青い花の刺繍。オーレリアが今朝髪をまとめるのに使っていたリボンだ。
オーレリアが動くたびに揺れるリボンの青い刺繍が目を引いて、彼女によく似あっていると思ったから覚えている。
コリーンはくるくると巻き髪を指先でもてあそんだ。
「オーレリアは今、とある場所に監禁していますわ。無事に帰れるかどうかは、あなたの返答次第」
「なんですって⁉」
ラルフのうしろで聞いていたドーラが悲鳴のような声をあげた。
開け放った玄関扉の前にいたケネスも息を呑む。
ラルフはリボンを握りしめて、コリーンを睨んだ。
「どういうことだ」
「そう睨まないでくださいませ。ちょっと知り合いに頼んだだけですもの。協力してくれたら借金を利子をそろえて全額お返しいたしますわと言ったら、あっさり協力してくれましたわ」
ふふふ、とコリーンは楽しそうに笑った。
「つまり、エイブラム・ダンニグの借金先の誰かに頼んで誘拐させたと?」
「そのとおり」
コリーンは無邪気に手を叩いた。
ラルフは後ろを振り返って、ドーラにオーレリアのリボンを渡した。
「持っていてくれ」
ドーラにリボンを渡したのは、オーレリアの大切なリボンを汚したくなかったからだ。
(まったく、この女は本当に頭が弱いんだな)
怒りでどうにかなりそうだった。だが、それよりもオーレリアである。
ケネスを見れば、コリーンが乗ってきた馬車を確認した彼が、小さく頷いた。
ピューッとケネスが口笛を吹いた瞬間、ラルフは床を蹴ってコリーンに飛び掛かる。
コリーンは悲鳴を上げたけれど、女一人を床に押さえつけることは、士官学校で鍛えたラルフには造作もないことだ。
ケネスの合図で、バベッチ家の使用人たちが馬車の御者を取り押さえているのが見える。
辻馬車だから大丈夫だとは思ったけれど、御者を取り押さえたのは念のためだった。馬車の中には誰も乗っていなかったことは、ケネスが視線で教えてくれたから、武器を持っていない使用人でも数人がかりならば簡単に御者を取り押さえることができる。
辻馬車業の男は何も知らなかったのか、目を白黒させていた。
いわば彼は被害者なので、あとで金を渡して謝罪しておこう。このことがよそに漏れるわけにはいかないから、しばらくの間は拘束させてもらうけれど。
「何をするんですの! オーレリアがどうなってもいいの⁉」
床に押さえつけられたコリーンがわめいている。
ラルフは心の底からの嘲笑を浮かべた。どうしようもなく怒っていることもあるが、人をここまで見下したのははじめてだ。
「君は本当にバカだな」
侮蔑をこめて吐き捨てれば、コリーンが息を呑んだ。
「オーレリアを盾にするんなら、一人で乗り込んでべらべらと余計なことを喋るべきじゃなかった。これでは、捕まえて尋問してくださいと言っているようなものだ」
どうしてこれで有利に立てると思ったのか、はなはだ疑問である。
コリーンの迂闊な一言で、オーレリアを誘拐したのがエイブラムの借金先だということはわかった。ならばその中で、コリーンの馬鹿な計画に協力しそうな連中を洗い出せばいいが、コリーンの口からそれを吐かした方が早い。
それに、伯爵令嬢を誘拐したのだ。コリーンをこのままにしておくわけにはいかない。サンプソン公爵の前にコリーンもろとも一家を突き出して、しかるべき裁きを受けさせてやる。
「オーレリアを攫わせた協力者とは誰だ」
「いうわけないでしょう」
馬鹿ですの、と鼻で笑うコリーンに腹が立ったが、ラルフがコリーンを押さえつける手に力を籠めるより先に、怒りの形相のドーラがコリーンの背中を容赦なく踏みつけた。
「ひぅっ」
力いっぱい踏みつけられたからか、一瞬呼吸が止まったらしい。コリーンが悲鳴を上げて苦悶の表情を浮かべる。
「吐きなさい。お嬢様はどこですか。……儚いなら、指の骨の一本や二本、容赦なく折りますからそのおつもりで」
……ドーラが怖い。
ラルフもケネスも、この邸の使用人全員も、もちろん怒ってはいるものの、ドーラの怒りはその比ではなさそうだった。有言実行とばかりにコリーンの右の人差し指を本来曲がらない方向へぐっと押さえつける。
「痛い痛い痛い痛い痛い‼」
コリーンが叫んだ。
さすがラルフでも、女の指を折ろうとは思わなかったのに、ドーラは本気で折るつもりだ。
「ま、待て、ドーラ」
「待ちません。さあ、話なさい。この指を折られたくなければ、今すぐに、さあ‼」
いくらコリーンがオーレリアを誘拐させたからと言って、裁かれる前に大怪我を負わせるのは非常にまずい。この状況だと、正当防衛を主張するにも無理があるだろう。必要以上にコリーンを痛めつければ、ドーラも暴行罪で咎められることになってしまう。
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泣きわめきながらコリーンが観念すると、ドーラは小さく舌打ちして指から手を放した。
(ドーラは本気で怒らせないようにしよう……)
ラルフはそう心に誓って、泣きべそをかいているコリーンに視線を向ける。ドーラはコリーンの指から手を放したけれど、足はコリーンの背中に乗ったままだ。ブーツのかかとが肉の盛った背中にめり込んでいる。
コリーンが泣きながらオーレリアを攫った男たちの名前を言うと、ラルフはケネスにコリーンを任せて家から飛び出した。
予備の馬車はないが、馬はいるので、急いで厩舎へ向かって、栗毛の一頭を借りる。
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