さざなみ

いとい・ひだまり

文字の大きさ
1 / 1

さざなみ

しおりを挟む
 彼女はここに生まれて十数年。僕はここに生まれて……何年だろう。果てしない時を生きてきた。色んなものを見た。色んな人を見た。けれど、彼女だけは特別に見えた。どうしてだろう、こんなにも世界が輝いて見えるのは。

「君からしたらただの老人だろうけど」
「そんなことないわ。たとえ老人でも、あなたはすごく綺麗で、魅力的」

 海鳥の声と、いつも通りの穏やかな波の音。
 浜辺に座り話していた彼女の手が僕に触れた。細い指は綺麗で少し温かくて、僕の青が血色の良い彼女のピンクの肌に反射する。

「今日もわたしの歌、聴いてくれる?」
「もちろん」

 立ち上がった彼女が息を吸って、優しいメロディーが浜辺を踊る。透き通るような彼女の声は、陰で青白くなるワンピースと、日に透ける白のような金髪と、よく似合う。僕は心地よくて目を瞑り、彼女の音楽に身を任せた。

 それはまるでゆりかごのようで、貝殻から聞こえる海ののようで、小さな子どもがぱたぱたと駆けるようで……。
 僕は彼女の声が好きだ。手に取ったらころころしそうな軽さと、決して動じない強さがある。そして彼女の歌は一貫して大地の歴史のようで、自然の踊るそのままのようだ。それを聴くのは楽しくて堪らない。
 心の中でハミングしていたのが漏れて、彼女が小さく笑った。

 ゆっくりと音が終わっていき、綺麗に閉じた曲。彼女の歌は、始まりも終わりも柔らかい光によく似ている。

 ……きっと、彼女がこの世を去ったら寂しくなる。もう数十年でその時はやってくる。僕はきっとまだずっと生きている。人と同じように涙を流せないこの僕は、少しだけ荒々しくなるか静かになるかのどちらかだ。……寂しいな。そう思っていると

「どうしたの? 泣いてるじゃない」
「……僕が?」

 彼女は頷いた。涙なんて流れていないのに。何も水滴を落とさず、そこは変わらず湿っているだけ。

「泣いてたわ。見れば分かる」

 彼女の指先がそっと僕に触れ、温かい手に包まれる。……彼女の手、やっぱり好きだな。

「君はどうしてそう、分かるの?」
「表情よ。どんなひとも、ものも、表情があるから」
「……君はすごいよ。それに、とても優しい」
「あなたもね」

 彼女が微笑む。その顔を見つめていると思い出した。
 彼女はいつの日か、荒れきって濁ってしまった僕の心を拾ってくれた。その時も、同じように彼女は僕に触れてくれた。
 ぼくもいくらか、彼女の涙を拭ったことはある。けれど、

「僕はまだ君に返せてる気がしないよ」
「あら、そんなこと考えてたの? もう十分返してもらったわ。それにこういうのって『片方が贈ったらもう片方が貰って』っていう……それだけじゃないかしら。単純にそれだけで幸せになれるし、返すのって義務じゃないもの」

 彼女は偶に、僕の考えていなかった新しいものを連れてくる。
 返すことだけを考えていた訳じゃないけれど『嬉しかったから僕も贈る』……そう考えた方が、確かに自由で心も軽い。

「じゃあ、これからもたくさん贈るよ」
「まあほんとう? 嬉しいっ」

 彼女が笑うと、僕の体よりきらきらするのが不思議だ。

 僕と彼女、二人の見た目は全く違う。体温も違う。けれど確かに、僕達の間にあるものはとても温かい。彼女に拾われ、見つめ合ったあの日から変わらず。

「きっと君のことを奇跡って言うんだ」

 そう言った僕に彼女は少し驚いた顔をした後、とても嬉しそうに笑った。

「それなら奇跡は、この世界に数えきれない程あるわ。あなたもそうだもの」

 僕を映す彼女の瞳は、青だけじゃなく白や黄色や桃色……世界の色々なものを映している。どこまでも深く、どこまでも優しく、愛に満ちて。

「ずっと愛してるよ」
「わたしも、ずっと愛してる」

 打ち寄せる波は何よりも優しい。そして僕達の話し声と、愛情も。

 また、彼女の優しい声が辺りに響き渡る。僕は同じようにそれを隣で聴いた。

 何度重ねたって、訪れる『今日』という宝物は色褪せない。
 僕達の命の火が消えるまで、ずっとこんな、優しい日々を続けよう。それが僕の、願いだよ。



      *



読んでくださりありがとうございます。
彼女は人なのか精霊なのか、主人公は人魚なのか精霊なのか、海なのか。彼らが何者なのかは書きませんでしたが、好きなように解釈してもらえたらと思います。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

悪役令嬢は手加減無しに復讐する

田舎の沼
恋愛
公爵令嬢イザベラ・フォックストーンは、王太子アレクサンドルの婚約者として完璧な人生を送っていたはずだった。しかし、華やかな誕生日パーティーで突然の婚約破棄を宣告される。 理由は、聖女の力を持つ男爵令嬢エマ・リンドンへの愛。イザベラは「嫉妬深く陰険な悪役令嬢」として糾弾され、名誉を失う。 婚約破棄をされたことで彼女の心の中で何かが弾けた。彼女の心に燃え上がるのは、容赦のない復讐の炎。フォックストーン家の膨大なネットワークと経済力を武器に、裏切り者たちを次々と追い詰めていく。アレクサンドルとエマの秘密を暴き、貴族社会を揺るがす陰謀を巡らせ、手加減なしの報復を繰り広げる。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

処理中です...