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出会い①
しおりを挟む【side 蓮】
異常に速い脈。
やけに深い呼吸。
殆どもう意識はないが、わずかに口を動かして。
そこにいる皆の意識がそこに、集中する。
「なに? ーーちゃん……お母さん、ここにいるよ……ーーちゃん……」
輪の中心にいるのは、まだ、まだ6歳の女の子。
ピクンと指先が、動いた。
その手を、父親が力強く握る。
目を見開いて。
真っ赤に染まった目で、その姿を、その全てを自身に焼き付けているように見えた。
一歩後ろから、俺はその様子を見つめる。
握った手には、爪が食い込んで。でもそこに痛みは感じない。唇を噛んで。震える身体を、必死で抑える。
俺は、泣いちゃいけない。
ピコピコと激しく波打っていた波形が、スーッと消えていく。
それと共に、俺の耳に届く音も、消えていくような気がした。
俺は、何をしているんだろう。
こんな小さい子をなぜ、救えないんだ。
なぜ。なぜ。
この子の夢。
ランドセルを背負って学校に行きたい。
そんな夢ひとつ、叶えさせてあげられなかった。
あと半年。
あと半年だったのに。
それでもその半年は、この子にとってはとてつもなく遠い場所にあった。半年なんて、無理だって、わかっていた。
でも。
俺が当たり前に過ごしてきた生活を、この子は夢だと言った。
ランドセルを、背負うことが、できなかった。
今年に入ってよくなくて。
買ったばかりのピカピカのピンクのランドセルは、ベッドの上で、大事そうに抱えて写真を撮った。
「蓮先生も一緒に撮ろう」
そう言って、一緒に写真を撮った。
せめて、ランドセルを背負わせてやりたい。
そう思ったのに。
それすら、叶わなかった。
真っ暗闇の公園で。
ベンチに座ってご家族にもらったその写真を、ぼーっと眺めた。
何人の子どもを見送っただろう。
小児科の医師になって、5ヶ月。
田中蓮。田中という苗字が多いから、同僚からも子どもたちからも、「蓮先生」と言われている。
子どもが大好きだった。
子どもを見送ることだって、覚悟していたし、研修医時代からそんな経験はたくさんしていた。
なのに。
いま感じるのは、無力感。
救えなかった。
あの子たちの願いすら、叶えさせてやれない。
何もできなかった。
医者は神様じゃないし。
万能な薬があるわけじゃないし。
あの子たちが厳しい病気を抱えていることは、十分、十分わかっていたけど。
俺はあの子たちに、何ができたんだろう。
あの子たちは、幸せな人生だったんだろうか。
もう……消えてしまいたい。
ギュッと、手を握った。
さっきは感じなかった爪が食い込む痛みを、感じる。
痛い。いたい、いたい。痛い。
「いってぇ……」
自分の心の声が、聞こえたのかと思った。
でもそれは俺の声とは少し違って。
暗闇に目を凝らすと、月の光の下に、黒い塊がいた。その塊は紛れもなく、人。
音もなく現れた人に俺は、吸い寄せられるように、足を出した。
今日は風が強くて。
足元には木の枝や歯、それから砂利が散乱している。
じゃり……と言う足音に、その人はゆっくりとこちらを見上げた。
月の光が、照らす。
真っ黒の髪。
アーモンド型の、少しだけ釣り上がった目。
ツンと尖った鼻に、少し歪めた口元。
それは、空から現れたナニかの使者、のように見えた。そして月の光が照らす彼は、とんでもなく、美しかった。
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