68 / 75
運命の時⑦
しおりを挟む【side アオ】
仕事を終えて、夜の闇に飛び立った。
高く高く飛んで。
ゆっくりと落ちていった先は、あの低層のマンション。
その近くの建物の上に降り立った。
大きくとられた窓から、光が漏れ出て、そこに生きる人を感じる。中で動く人が見える。
昨日話したのは、嘘じゃない。
ココから、朝日を見たい。
夕陽も、夜空も。
一緒に。
ふたりで。
蓮はなぜ、さっき俺を見たのか。
見えていたのか。
子どものように。
まさか、そんなわけはない。
ローブの力で姿を消して。
存在を、消していたはず。
じゃあ見られていなかったとして。
この苦しさは、なんなんだろう。
帰りたくない。
蓮の家に。
何も知らない顔をして、俺は蓮の前にどんな顔をするんだ。笑って、おかえりと言って、恐らく落ち込んだ顔をして帰ってくる蓮を、迎え入れて。
俺は、なにを言えばいい。
どんな顔を、すればいい。
湧き上がった記憶。
俺と兄ちゃんが死神になったあの日。
サツキさんは自ら現れた。
俺たちの前に。
黙っていられなかったんだろう。
友人の命を終わらせた、自分であることを。
ボーっと、木の上で時を過ごして。
大きな窓から漏れ出る光を眺めて。
スマホが、鳴った。
表示には、『蓮』の文字。
「……はい」
『アオ、どこおるん?』
「ん……ちょっと、外」
『仕事?』
「終わったよ……」
『俺も、今帰ってきて、アオおらんかったで』
「うん」
短い言葉で、繋ぐ。
心臓が、ドクドクいっているのが、わかる。
『帰ってくる?』
「……うん」
『待っとるな』
通話を切って、小さく息を吐いた。
♢
マンションの近くに降り立って、歩いて帰宅する。
家の前を歩いていたら頭上から声がした。
「アオ、おかえり」
ベランダに立つ蓮が見えて、軽く手を振る。
少しだけやつれたような表情が、今日の出来事を物語る。
なかったことにしたい。
でもあの子の命が今日まであったこと、そして今はもうないこと、それは、事実。
「おかえり」
扉を開けて、部屋から今度はその声を、聞く。
「ただいま」
やけに部屋が静かで。
外の風の音が、聞こえる。
気づけば季節がひとつ、変わろうとしていて。
外の空気が、心地よく入り込んできていた。
「アオ……」
「ん?」
「遅かったな」
「……うん……」
ローブの入った鞄をコトリと置いて、振り返る。
蓮の目が、俺を突き刺す。
その目は何を、訴えているんだろう。
「蓮……」
なにも知らない俺だったら、なんて言うだろう。
「どした? 疲れとるやん」なんて、口が裂けても言えない。
そんなこと。
どのツラ下げて言ってんだと思う。
俺が、その命を、終わらせたのに。
「シャワー、浴びてきていい……?」
「うん、ええよ」
俺は、逃げた。
多分、蓮の視線から。
どうすればよかったんだろう。
避けてどうするんだ。
この後、どうする。
俺は蓮に、何を言えばいい。
頭から、シャワーを浴びた。
わしゃわしゃと、泡立てて、それを流して。
「アオ?」
「ん?」
「俺も、入っていい?」
「……え?」
カチャリと扉を開けて、蓮が入ってくる。
壁にかけたままのシャワーのヘッドから、俺たちに湯が、降り注ぐ。
肩に残る泡が、カラダを伝って、落ちていく。
そのカラダを蓮が後ろから、抱きしめた。
長い指が唇をなぞり、首筋を這う。
「蓮……? どしたん?」
「アオ……好き」
「……ん?」
「アオは……俺のこと好き?」
「好きやで……蓮が好き」
浴室の鏡に、その姿が映る。
蓮の瞳は、何を見ているんだろう。
鏡に映る俺を見ているその瞳は、俺ではない何かを捉えているような気持ちになる。でもその言葉は、俺に向けられていて。その手は、俺のカラダを包み込んで、刺激を与える。
濡れるカラダが、もうこれ以上は交われないほどに、密着して。そして、繋がる。
何度、蓮とこうしただろう。
あたたかい蓮の手と、言葉が、俺を救った。
俺は蓮に、何ができたんだろう。
蓮から俺は、奪っていく。
救いたい命を、奪ってきた。
「はぁッーーアオ……」
「あぁッ……はぁ、あかん……当たる……」
後ろから突かれて、鏡に映る蓮は目を細めて、俺を見下ろす。
「アオ……好き。好きやねん、アオ……」
「うん、……あぁッーー蓮……はぁッーー」
ただひたすらに、後ろから攻められその手は俺の、胸を這う。
この手が守りたかったのは、あんなに小さな命。
この手はいつも、誰かを守っていて。
なのにそれを握る俺の手は、この手からその命を簡単に奪ってしまう。
「アオ……アオ……イクで?」
「うん……あぁぁーー、ッーー」
吐き出された白い遺伝子たちが、湯に流されて、消えていく。俺の中に残る蓮のモノがドクドクと波打って、背に感じる重みが、静かに上下している。
「なんでなん……」
蓮が、俺の小さいカラダを包み込んで。
そのカラダを強く、強く抱きしめる。
「なんで……アオが泣いとるん……」
ずるりと、カラダから、圧迫が消える。
ザーザーと鳴る水音と、残る息遣いと、俺の喉から漏れる、声。
「なんでアオが……泣くん……」
止められない涙と、漏れる声。
蓮のカラダが俺から離れて、立ち尽くしているのを感じて。
俺は、あの時の視線が気のせいではなかったことを、悟った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
8
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる