2 / 90
弦
しおりを挟む「撮影の予定を決めたい。」
KANからそう連絡があったのは、2週間前のこと。
「平日夜と土日ならいつでも大丈夫です。」
そう返し、相手の都合と合わせて土曜日の夜に決まった。
抜き動画以来、初めての、撮影。
相手は誰か、気になりつつも朔良は、それをメールしなかった。聞いたところで知っているモデルは斗真と凌空。あのふたりなら良いなと思いつつ、そうではない場合も想定し、心を固めた。
いや、それはそう思い込んでいるだけであって、逃げ出してしまおうか、やっぱり辞めますと連絡しようか、そんな心がチラリと顔を出しては、何とか振り払い、夜を過ごし、そして今、事務所の扉の前に立った。
インターホンに指を当て、「ふぅーーー」っと、大きく息を吐いた。あとは、押すだけ。
朔良はこの行為を、さっきから何度も繰り返す。
「あのー……」
背後から突如聞こえた気怠そうな声に、朔良は勢いよく振り返った。振り返ったその視線に入ったのは、黒いカーディガンで、そっと視線を上に向けると、思った以上に高い位置から見下ろされていた。
「入っていい?」
「あ、すいません……俺も入ります」
朔良は慌てて、インターホンに指を当て力を入れた。
力を入れなくても、あっさりとそれは『ピンポーン』という音を鳴らした。
「はーい! あ、ハイハイ待っとったよー」
インターホン越しに、KANの陽気な声が聞こえる。扉が開くまでの間、朔良はチラリと、後ろの男を覗き見た。
随分と背が高い。
ウェーブがかった長めの髪に、口髭が綺麗に整えられている。ダメージの入ったジーパンに、長めのカーディガンを羽織り、ラフではあるがその人の醸し出す雰囲気とマッチしてとてもカッコよく見えた。
と、ジロリと鋭い視線がぶつかった。
「あんた、今日の新人?」
「あ、はい……」
「ふぅん」
そう言って彼は、スッと視線を逸らした。
その瞬間、カチャリと扉が開いて、勢いよくKANが飛び出してきた。
「あれ! ふたりともおるやん! 弦ちゃん久々やなぁ~今日新人やで大丈夫?」
「どーだろな」
弦ちゃんと呼ばれたその男は、スッと朔良の横をすり抜け、事務所の中へと消えていった。
その様子をポカンと眺め見送る朔良の肩を、バシッとKANが叩いた。
「ぽけーっとしすぎやて! 弦ちゃん人見知りなんすよ、こないだのりっちゃんとも仲ええで。ここのムードメーカーやねん」
「ムードメーカーには見えないですけど……」
「今はな~オンオフ激しいねん」
中に入るよう促すKANに導かれるように、朔良は靴を脱ぎ中へと入った。
そこにはSUUの他に数名のスタッフがいて、機材のチェックをする者や、衣装を並べる者、がいた。
所在なさそうに、朔良は忙しく動き回るスタッフをキョロキョロと部屋の隅で眺めた。「来たねー」とポンと朔良の肩に手を置いたのはSUU。にっこりと笑い、「ま、とりあえず座りなよ」とソファに座るよう促した。
「弦、頼むよ、期待の新人」
SUUは、ダイニングチェアに座る男性に声をかけた。それを確認した朔良は思わずガタッと立ち上がり、「あの、今日はよろしくお願いします」と、頭を下げた。
「あぁ、弦です。よろしく」
「弦……変わってますね」
「あぁ、楽器屋で声かけられたから、弦」
「へぇ……」
意外とそんなもんなんだ、という言葉を朔良はゴクリと飲み込み、ソファにストンと座った。
「朔ちゃん、敢えて聞かんかってんけど、NGないねんな? 全部OKやねんな?」
「え、NGとかOKてなんですか?」
「いやだから、こないだ見たでしょ? 絡み。あれを今日、弦ちゃんとやってもらうねんけど、これは絶対あかん! みたいなの、ある?」
KANの言葉にうーーーんと唸り、前髪を触った。
少し長めの前髪。考えるときに触る癖は、昔から。
「よく……わかんないす」
「まぁ、激しいことはせぇへんから。設定もほぼなし、初めてを奪うって、ただそれだけやから、素人感出してええで」
「はぁ……」
その様子を見ていた弦が、
「嫌なことは嫌ってハッキリ言った方がいいと思うよ、この人たち、どんどんエスカレートするから」
と、ボソッと呟いた。
「なにが起きるかわからへんねやんな。途中で無理やってことあったら言うてな。止めるでな」
「やっさしいな~。なんだっけ、朔良?最初だけだからな、こんな優しいの。気付いたらとんでもないことやらされてるから、気をつけた方がいいよマジで」
ニヤリと口角を上げて笑った弦は、ふっと煙草の煙を吐いた。
これから起こることを、脳内で想像してみる。あの日見たのは、ある意味アートを作り上げるような、その過程見ているような、そんな気がした。
いや、そんな甘いもんじゃないだろうと、脳内の甘い考えを振り払う。
なぜなら、使ったことのない場所、を、使うから。2週間前、KANから来たメールを見て、甘い考えではいけないこと、それを朔良は確信した。
気をつけなければならない食事のこと。
最後の食事はいつとってくるか。
食べてはいけないもの。
など、おそらく腸内環境の関係だろうが、それについての細かな指示が下された。
この世界に入るということは、ソレを求められるということ、ただ美術館にアートを見にきたわけではない。
ぞわぞわっとなにかが走ったような、そんな感覚が朔良の背筋をなぞった。
そのとき、ポンっと頭に何か温かいものが触れた。
「弦さん……」
大きな手を頭にポンと置いた弦の顔が、朔良の目の前に現れた。
「ふっ…ちょっと弦さんってやめてもらっていいかな。おじいちゃんみたい」
苦笑いした弦の顔が、撮影用のライトに照らされ眩しく光る。
「弦…くん?」
「うん、そっちの方がいい。大丈夫だよ、俺が相手だ。任せろ」
ゴクリと、喉が鳴った。
目の前に見る弦の少し垂れた大きな瞳が、じっと朔良の瞳を捉える。その真っ直ぐな、漆黒の瞳に、吸い込まれるような感覚がした。
カシャカシャ、パシャリ
大きなカメラのシャッター音に驚いて横を見ると、そこにはカメラを構えたスタッフが笑顔でひらひらと手を振っていた。
「いいよぉ~今の、そのまんまもう1回」
「おいおい、髪もセットしてねぇよ」
「いいよ、そのまんまで。可愛いよ」
カメラマンはそのままシャッターを押し続ける。
どうやら、撮影はもう始まったようだ。
朔良は目を閉じ、ふっと息を吐いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第3巻 - 甘美な檻と蹂躙の獣
大の字だい
BL
失われかけた家名を再び背負い、王都に戻った参謀レイモンド。
軍務と政務に才知を振るう彼の傍らで、二人の騎士――冷徹な支配で従わせようとする副団長ヴィンセントと、嗜虐的な激情で乱そうとする隊長アルベリック――は、互いに牙を剥きながら彼を奪い合う。
支配か、激情か。安堵と愉悦の狭間で揺らぐ心と身体は、熱に縛られ、疼きに飲まれていく。
恋か、依存か、それとも破滅か――。
三者の欲望が交錯する先に、レイモンドが見出すものとは。
第3幕。
それぞれが、それぞれに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる