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邂逅
一
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「ここもか」
思わず、田単は顔を顰めた。ひと月をかけて、亡国中山の地に達した。
槐水に沿って、南部の鄗・房子を抜け、北へ進み、封竜・東垣へ。
一様に戦火の後は今も鮮明に残っており、焼け落ちた塞や家屋の一部がひっそりと佇んでいる。時折、見かける集落で邑人の姿をちらほらと見掛けるものの、彼等の表情には生気がまるでなかった。
秋口だというのに、彼等の衣服は襤褸のよう。一様に病人の如く痩身で、田畑は荒れ放題。頬は削げ、落ち窪んだ双眼には、陰鬱な気が渦巻いている。
東垣に入り、意を決して、一つの集落に踏み込む。働きもせず、朽ちた家屋の蹲るようにして座り込む、邑人達は余所者の田単に空疎な眼を向ける。
「より酷いな」
この集落の有様は、群を抜いて酷い。中空に漂う無数の蠅。鼻腔を突く異臭。 邑の通りには、莚の上に無造作に並ぶ屍。もはや、この邑の人々には、仲間の屍を埋葬する力もないのか。
「余りにも救われない」
暗澹たる心地で、放置された男の屍を見下ろす。その時。不意に裾を引かれるのを感じた。
「君は?」
虚ろな眼をした少年が、裾を引いていた。上衣を纏わず、露わになった腹は餓鬼のように膨れている。栄養失調の証左である。少年は指を咥え、田単が背負う行李を見上げた。
「可哀想に。干物程度しか持ち合わせていないが、構わないかな?」
屈み目線を合わせ、優しく問いかける。少年の口許から涎が垂れる。
「よし」
行李を降ろし、中に手を入れる。大きな城邑に暫く立ち寄っていないので、片手で掴める程度のものしか残っていなかった。取り出したのは雀、兎の干物が何切れか。これで全部であるが、田単には多少なり、狩りの心得がある。最悪、野草で腹を満たせばいい。
「済まないね。少ないが、今の僕に出来ることはこの程度なんだ」
細く笑む。内心、中山を滅ぼした趙への忿怒が渦巻いていた。
主父の事績を辿れば、畢生の大事業とも呼べる偉業を成し遂げている。だからこそ、田単は主父の政治を趙へ行き、肌で感じてみたいと、趙へ旅することを決めた。だが、これは何だー。
亡国の民は人としての扱いを受けていない。これでは、家畜以下ではないか。之は主父に政治によるものか。それとも一帯に封じられた、安陽君の政治によるものか。
「ふざけるな」
混沌から瞋恚が這い上がる。握りしめた拳には、熱い血が滲んでいる。
「あー」
少年が突如、呻き声のような声を上げた。
振り返る。
「なっ」声が上擦る。
背後から豺狼のように、眼をぎらつかせた、二十人余りの男女。
まるで幽鬼の群れのようである。瞬間。少年は田単の掌にあった、干物を両手で抱え駆け出した。
「俺達にも寄越せ!」
覚束ない足取りで、餓えた邑人達は瞬く間に、田単の周囲に殺到した。
「ごめんなさい。あの子にあげたもので全部なんです」
証拠に行李の中を、彼等に見えるように向きを変えた。
「嘘よ!」
垂れた乳を露わにした、女が叫んだ。
「そうだ!嘘だ。懐の中に何か入っているはずだ!」
「本当です!」
ならばと懐を開く。
「何処かに隠しているはずだ!」
(駄目だ。狂気に呑まれている)
邑人達の眼に、やがて殺意が宿る。
「ならばお前を喰う。余所者なら天帝もお許しになってくれるはずだ」
「そんな」
田単は立ち上がる。自然に剣把へ右手が向かう。
(いや。剣を抜いては駄目だ)
斬り抜けるには造作はない。田単とて、自身の身を守れるだけの技はある。
「くっ」
踵を返し駆け出した。
「待て!!」
枯れ枝のような腕を伸ばし、邑人達は追い立ててくる。だが、彼等は飢えている。気力残る、田単に追いつけるはずもない。 勾配を駆け、朽ちた塞の前に辿り着く頃には、邑人達の姿は消えていた。
「はぁはぁ」
肩で息を切らしながらも、戦争の悲惨さを嘆いていた。
戦争は人を化け物に変える。七国の王は、天下へと眼を向けているが、どの王も戦争によって生み出された、被害者達に眼を向けようとしない。やはり戦など悪だ。
孫師が悲しい眼で語っていたように、泰平の世を築くのに、戦が必要だとは思えなかった。七国の王が欲望を捨て、万民を愛し、武力ではなく、対話することを選べば、平和への道が拓くはずだ。
かつて、遊説家の蘇秦が、秦を除く六か国合従を成立させた時のように。
秦という一つの強大な敵を前に、僅かの期間であったが、六か国は共に手を取り合い、穏やかな世が現れた。
そう長くは続かなかったものの、人とは元来、手を取り合える生き物なのだ。
ただ蘇秦の合従論には、何かが欠けていた。その欠けているものを、旅の中で見つけ出すことが叶ったのなら、再びいがみ合う大国同士を協力関係へと導けるかもしれない。果ては祖国を守ることに繋がるはずだ。 軍人の道を選ばずに良かったと心から思える。軍人になれば、取捨選択の権利は己になく、仕える国が持つ。
思わず、田単は顔を顰めた。ひと月をかけて、亡国中山の地に達した。
槐水に沿って、南部の鄗・房子を抜け、北へ進み、封竜・東垣へ。
一様に戦火の後は今も鮮明に残っており、焼け落ちた塞や家屋の一部がひっそりと佇んでいる。時折、見かける集落で邑人の姿をちらほらと見掛けるものの、彼等の表情には生気がまるでなかった。
秋口だというのに、彼等の衣服は襤褸のよう。一様に病人の如く痩身で、田畑は荒れ放題。頬は削げ、落ち窪んだ双眼には、陰鬱な気が渦巻いている。
東垣に入り、意を決して、一つの集落に踏み込む。働きもせず、朽ちた家屋の蹲るようにして座り込む、邑人達は余所者の田単に空疎な眼を向ける。
「より酷いな」
この集落の有様は、群を抜いて酷い。中空に漂う無数の蠅。鼻腔を突く異臭。 邑の通りには、莚の上に無造作に並ぶ屍。もはや、この邑の人々には、仲間の屍を埋葬する力もないのか。
「余りにも救われない」
暗澹たる心地で、放置された男の屍を見下ろす。その時。不意に裾を引かれるのを感じた。
「君は?」
虚ろな眼をした少年が、裾を引いていた。上衣を纏わず、露わになった腹は餓鬼のように膨れている。栄養失調の証左である。少年は指を咥え、田単が背負う行李を見上げた。
「可哀想に。干物程度しか持ち合わせていないが、構わないかな?」
屈み目線を合わせ、優しく問いかける。少年の口許から涎が垂れる。
「よし」
行李を降ろし、中に手を入れる。大きな城邑に暫く立ち寄っていないので、片手で掴める程度のものしか残っていなかった。取り出したのは雀、兎の干物が何切れか。これで全部であるが、田単には多少なり、狩りの心得がある。最悪、野草で腹を満たせばいい。
「済まないね。少ないが、今の僕に出来ることはこの程度なんだ」
細く笑む。内心、中山を滅ぼした趙への忿怒が渦巻いていた。
主父の事績を辿れば、畢生の大事業とも呼べる偉業を成し遂げている。だからこそ、田単は主父の政治を趙へ行き、肌で感じてみたいと、趙へ旅することを決めた。だが、これは何だー。
亡国の民は人としての扱いを受けていない。これでは、家畜以下ではないか。之は主父に政治によるものか。それとも一帯に封じられた、安陽君の政治によるものか。
「ふざけるな」
混沌から瞋恚が這い上がる。握りしめた拳には、熱い血が滲んでいる。
「あー」
少年が突如、呻き声のような声を上げた。
振り返る。
「なっ」声が上擦る。
背後から豺狼のように、眼をぎらつかせた、二十人余りの男女。
まるで幽鬼の群れのようである。瞬間。少年は田単の掌にあった、干物を両手で抱え駆け出した。
「俺達にも寄越せ!」
覚束ない足取りで、餓えた邑人達は瞬く間に、田単の周囲に殺到した。
「ごめんなさい。あの子にあげたもので全部なんです」
証拠に行李の中を、彼等に見えるように向きを変えた。
「嘘よ!」
垂れた乳を露わにした、女が叫んだ。
「そうだ!嘘だ。懐の中に何か入っているはずだ!」
「本当です!」
ならばと懐を開く。
「何処かに隠しているはずだ!」
(駄目だ。狂気に呑まれている)
邑人達の眼に、やがて殺意が宿る。
「ならばお前を喰う。余所者なら天帝もお許しになってくれるはずだ」
「そんな」
田単は立ち上がる。自然に剣把へ右手が向かう。
(いや。剣を抜いては駄目だ)
斬り抜けるには造作はない。田単とて、自身の身を守れるだけの技はある。
「くっ」
踵を返し駆け出した。
「待て!!」
枯れ枝のような腕を伸ばし、邑人達は追い立ててくる。だが、彼等は飢えている。気力残る、田単に追いつけるはずもない。 勾配を駆け、朽ちた塞の前に辿り着く頃には、邑人達の姿は消えていた。
「はぁはぁ」
肩で息を切らしながらも、戦争の悲惨さを嘆いていた。
戦争は人を化け物に変える。七国の王は、天下へと眼を向けているが、どの王も戦争によって生み出された、被害者達に眼を向けようとしない。やはり戦など悪だ。
孫師が悲しい眼で語っていたように、泰平の世を築くのに、戦が必要だとは思えなかった。七国の王が欲望を捨て、万民を愛し、武力ではなく、対話することを選べば、平和への道が拓くはずだ。
かつて、遊説家の蘇秦が、秦を除く六か国合従を成立させた時のように。
秦という一つの強大な敵を前に、僅かの期間であったが、六か国は共に手を取り合い、穏やかな世が現れた。
そう長くは続かなかったものの、人とは元来、手を取り合える生き物なのだ。
ただ蘇秦の合従論には、何かが欠けていた。その欠けているものを、旅の中で見つけ出すことが叶ったのなら、再びいがみ合う大国同士を協力関係へと導けるかもしれない。果ては祖国を守ることに繋がるはずだ。 軍人の道を選ばずに良かったと心から思える。軍人になれば、取捨選択の権利は己になく、仕える国が持つ。
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