楽毅 大鵬伝

松井暁彦

文字の大きさ
上 下
27 / 140
邂逅

 三

しおりを挟む
 塞から出ると、騎乗した青年二人が、楽毅の帰りを待っていた。

「終わったか?」
 ぶっきらぼうに長身の青年が訊いた。

「ああ」
 楽毅は答えると、青年が手渡した、馬の手綱を握る。

「その子は?」
 怪訝な顔で尋ねるのは、ずんぐりとした体形の青年。楽毅が田単を二人に紹介する。

「よろしくお願いします」
 田単は深々と低頭した。

「おう」
 にこりと返したのは、司馬炎しばえん

「よろしく」
 如何にも温厚そうに手を挙げたのは、魏竜ぎりゅう
 
 二人は楽毅が中山にいた頃からの幼馴染らしく、趙に降った後も行動をよく共にしているらしい。親族を悉く失い、天涯孤独の身となった三人の絆は、真の兄弟のように強いのだろう。
 
 三人のやりとりを傍目から、観察していれば、容易に窺える。司馬炎、魏竜も同様に、蒼の具足を纏っている。
 朝廷からの支給品にしては、具足はあまりにも精彩を帯びている。楽毅が乗る、馬に同乗させてもらいながら、思案していると、

「何だ?胡服が珍しいのか。坊主」
 司馬炎が馬を並べる。

「いえ。胡服というより」

「ああ。このよろいか」

「凄く綺麗だなと思って」
 雲一つない空の蒼。という表現が最も正しいという気がする。
 
 闊達かったつな司馬炎の顔に、鋭い影が差す。

「かつての主から、下賜された大切な物なんだ」
 微苦笑を浮かべ、司馬炎は押し黙る。受ける風に沈黙が漂う。

(まずいこと訊いたかな)

「あの。もしかしたら僕、お気に障ること訊いてしまいましたか?」
 慌てて取り繕う。

「いや。いいんだ。気にするな」
 司馬炎は、田単の背をぽんと叩いて、馬を飛ばした。
 重い沈黙を破るように、魏竜が馬を並べて、しきりに話しかけてくれた。楽毅は魏竜と田単の会話に、静かに耳を傾けていた。

 邯鄲へは三日ほどで到着した。
 太行山脈たいこうさんみゃくを西方に望む、趙の都邯鄲は、臨淄ほど長大な城郭ではないものの、
また異なった威容が放たれている。
 
 正門を潜ると、一番に驚愕したのは、門を守禦する役割にある、衛兵に至るまで胡服を纏っていたことである。
 
 眼を皿にする、田単の耳元で司馬炎が耳語じごする。

「たまげるだろ。主父は高官や末端の兵士に至るまで、胡服を国服とすること推進しているからな。批難は囂々ごうごうが、俺はこっちの方が断然動き易くて好きだね」
 悪戯っぽく笑う司馬炎。

「田単」
 楽毅が中通りに入ると、歩みを止め振り返った。

「宿のあてはあるのか?」
「銭はあるので、適当に探してみます」
 からりと告げた後、記憶を回顧する。

「あっ!」

(しまった) 
 行李の中に嚢中さいふをしまっていたのだ。その行李は、東垣の集落で邑人達から逃げ出す折に、置いてきてしまっている。

「やったな。お前」
 半眼で司馬炎が嘆息する。

「どうする?楽毅」
 短躯の魏竜が、楽毅を仰ぎ見る。
「とりあえず」

 楽毅は懐から嚢中を取り出し、流れるような所作で田単に握らせる。
「駄目ですよ!こんなの!邯鄲まで送ってもらったうえに」
 嚢中には確かな重みがある。だが、馴染みのない重さである。

「斉と趙では銭の形状も価値も違うからな」
 神妙な面持ちで、嚢中の感触を確かめる、田単を見遣って楽毅が教えてくれる。斉では刀銭。中原諸国では布銭と呼ばれる、貨幣が流通していた。この時代、貨幣の形云々よりは、重量を重視し、換金する術はなくとも、総重量でやり取りができる。

「貰っておけ。邯鄲の宿は高くつく。その程度の銭なら、二日もあれば嚢中が空になる」

「でもー」
 首が千切れんばかりに横に振る。

「せっかく邯鄲まで来たのだ。諸国を巡るのに、斉に戻る訳にも行くまい。意気込んで故郷から飛び出して来たのだろ?体面もあるだろ。残りの国を回れるだけの銭は、工面してやる」
 
 言葉に窮する。出逢って間もない楽毅に、其処まで善くしてもらう訳にはいかない。
 何より田単には、彼に返せるものがない。

「なに、気にするな。俺達の主は、金に頓着しない御方でな。特にお前のような志高い若者を慈しんでおられる」
 楽毅は戸惑う、田単の肩に手を置く。

「お前と東垣の地で出逢ったのも、何かの縁なのだと思う。まぁ、任せておけ」

「楽毅殿」
 彼の優しさに、涙が滲む。

「宿は適当に見つけるといい。二日もあれば、銭は用意できるはずだ。その間、お前は邯鄲を歩いて見て回るといい。それなりの収穫はあるだろうさ」
 じゃあな。と楽毅達は、此方に礼を述べる隙も与えず、黒山こくざん成す大通りの方へと消えて行ってしまった。

「有難うございます」
 田単は消えた楽毅の背中に向かって、強く拱手した。



しおりを挟む

処理中です...