楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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解放

 五

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 三人は身支度を終え、邯鄲の正門を抜けた。

「さて、どうするよ」
 馬の手綱を曳く、司馬炎がからりと尋ねる。楽毅は邯鄲の扁額を見つめたまま、「魏に行こうと思う」と答える。

「魏か。俺達、祖先の故郷だね」
 楽毅、魏竜の祖先は魏にあった。

「以前、孫師は仰った。泰平の世を望むなら、徳のある王を導けと」

「魏王は仕えるに値する男かな」
 司馬炎が並び、共に扁額を仰ぐ。

「どうだろうな。駄目だったら、また探せばいい」

「俺達は、楽毅を信じてついて行くだけさ」
 魏竜も並び、白い歯を見せた。

「頼りにしているぞ。兄弟達」
 三人で笑い合う。

「では行こうか」
「ああ」
「うん」
 颯爽と馬に跨る。一里ほど並足で駆けさせた。すると、地平線の先に、二つの人影があるのを認めた。

「あれは」
 魏竜が馬を止める。

「おう」
 悠揚と指呼しこの間まで、馬を寄せてきたのは、廉頗と楽乗であった。

「何処へ行く?」
 廉頗から剣呑な雰囲気が放たれる。
 
 一歩。楽毅は馬を前に出した。

「魏へ」

「駄目だ」

「お前に、俺を引き留める権利などない」

「いや、ある。お前は俺に敗けた。趙へ降ると、あの時約束したはずだ」
 廉頗の声音には、戦場の彼を想起させる凄味がある。

「主より自由を賜った。主父が薨去した今、決定権は平原君にある」
 楽毅も圧を放ち、渡り合う。

「自由を得たいのなら、俺ともう一度戦え。お前が勝てば自由。お前が敗ければ、趙に留まってもらう」

「廉頗殿。横暴ですよ」
 魏竜が口挟む。

「いや。いい」
 楽毅は剣を抜き放つ。
「二言はないな。廉頗」
 くうを裂いた、名刀宛馮えんひょうが燐光を発する。

「随分な自信だな。おい」
 廉頗の闘志が、陽炎のように揺らいでいる。
 手挟む矛が、彼の勇みを受けて、震動を繰り返している。

「ただ時を無為に、過ごしてきた訳ではない」
 廉頗に敗け、趙へと降ることを余儀なくされた。結果、主を守り切れず、公子董は失意の中、死んで行った。
 己を責め続けた。過去を悔やんでも、変えることはできないのは分かっている。
 
 臥薪嘗胆がしんしょうたんの思いで、ひたすらに武芸に励んだ。常に脳裏に描いた、幻影の敵は廉頗であった。

「ほう。戦で命を懸け続けてきた俺と、平原君の元で従者として、密かに腕を磨いてきた、お前。どちらが強いか白黒つけるとしようじゃねぇか」
 廉頗が顎をしゃくると、楽乗が馬を駆り、楽毅の傍に馬を並べた。

「槍だ」
 楽乗は槍を差し出す。

「必要ない」

「必要ないって。お前が得意とする得物だろ」

「今の俺なら、槍を遣わずとも勝てる」
 その言葉が、廉頗の自尊心に傷を付けた。

「舐め腐りやがって。どうやら死にてぇらしい」
 廉頗の額に、青筋が浮き立っている。

「四の五の言うな。刃で語り合おう」

「上等だ」
 矛に百雷の闘気が宿る。

「参る」

 馬を駆る。廉頗の咆哮。耳奥が震える。
 馳せ違う。刃交錯。散る火花。重なる斬撃が、新たな火種となり、逆巻く火焔と化す。

 

 廉頗は憤激する。
 反転。再び交錯。一撃、一撃に、確かな想いを乗せる。

(行くな)
 楽毅躱す。蒼の薙ぎ。受ける。痺れる全身。斬り返す。

(お前と俺なら、趙を七雄、一の国に出来る)
 何度、夢想したことか。俺とお前。馬を並べ、共に戦場を駆ける日。
 初めて刃を躱した、あの日。
 お前の才覚に惚れた。
 そして、今は俺にとって、お前は一番の友なのだ。渾身の想い。矛に宿る。次で決める。

「楽毅‼」

「廉頗‼」
 咆哮が空で爆散。煌めく二つの刃。
 衝突。風が幾つもの、層となって大気を震わせる。
 確かな手応え。

(俺の勝ちだ)
 嗤う。不意に手応えが死んでいく。

「なっ」
 火花を散らして、万力の一撃を擦りいなすように、楽毅が馬ごと懐へ。
 視界を覆う。翼。
 
 廉頗は満腔の笑みを浮かべた。

(何処までも翔べ。楽毅)
 
 視界に走った光線。
 からんと乾いた音を立てて、地に落ちた矛は両断されていた。

「殺せ。お前は、俺を憎んでいるはずだろ」
 剣尖は廉頗の喉元に触れている。蒼い輝きを湛えた、楽毅の双眸。

「お前を殺すのは、何時か戦場でまみえた時にとっておく」
 集約された、楽毅の闘志が解き放たれていく。同時に、彼は剣を鞘に納めた。

「甘い野郎だよ。お前は」
 楽毅が馬首を巡らせる。静かに彼の背中を見つめる。

「さらばだ。友よ」
 さつと風が吹き、楽毅の艶やか髪を揺らす。

「ああ。また会おう。友よ」
 大輪の笑みを浮かべた、廉頗の頬は熱いもので濡れていた。
 


 

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