楽毅 大鵬伝

松井暁彦

文字の大きさ
89 / 140
田斉

 二

しおりを挟む
 大幕舎の中は、殺伐とした空気が充満していた。それもそのはず。今は連合国として、手を取り合っているが、本来は一様に敵同士なのだ。個人的に楽毅や平原君、廉頗を除いて、憎しみ合っている。
 
 燕は楽毅。趙は平原君と廉頗。韓は名将暴鳶ぼうえん。魏は孟嘗君もうしょうくん。秦は極悪非道の限りを尽くす、白起はくき。楚からは上柱国じょうちゅうこく(楚独自の官名。一種の名誉職)の子良しりょうが名代として、一同に解した。皆、黙然として中空を睨んでいる。見えない火花が飛び散っている。

「進行は私、田文でんぶんが務めてさせて頂く」
 口を開いたのは、孟嘗君である。この中で一番の大物と言ってもいい。また、孟嘗君は讒言によって、斉を負われた身であり、斉王には強い私怨がある。彼の怒りの強さを表した出来事がある。
 
 彼は斉王憎きのあまり、魏の昭王が斉王より友好の証として賜った、女と無理矢理離縁させた。
 更には、秦に赴き、斉を援助していた、穣候魏冄じょうこうぎぜんに援助を打ち止めするように、強諌きょうかんした。孟嘗君の影響力は絶大で、秦はすぐさま旗幟きしを変えた。蘇兄弟の暗躍が、連合において、功を奏したものの、一番の功労者は孟嘗君かもしれない。

(なんと、煌々たる気配を放つ御方か)
 孟嘗君が放つ、気にのまれている己がいる。初老の孟嘗君は、ただ座しているだけで、この場の空気そのもの全てを支配している。斉の人民が、閔王びんおうを慕うのではなく、孟嘗君を慕っていた理由も分かる。
 
 己の器量では推し量ることのできない深さがある。さながら、底なしの深海のようだ。彼と同じ空気を吸っているだけで、果てしなく紺碧が続く、海に一人放り出されたような、心細い気持ちになる。
 
 もう一人。興味を喚起させる男がいる。秦の白起。浮世離れした、純白の髪。雪花結晶せっかけっしょうを想起させる。いや。よくよく見えると、髪だけではない。睫毛、髭に至るまで白い。稀有であるが、玲瓏れいろうな面と白がよく馴染み、不思議と気味の悪さは感じない。それでも彼から横溢する、超然たる気配に、本能が警告を送る。決して馴れ合ってはならないと。だが、これほど美しい男が、伊闕いけつの戦いで魏・韓の投降兵二十四万も平然と斬首したとは信じられなかった。
 
 白起は此方の視線に気づいた。視線が交錯する。
 銀の双眸の奥で、銀砂ぎんしゃを撒いたような、細かな光が明滅している。桃色の唇が綻んだ。その笑みからは、一切の感情を読み取ることはできない。まるで、意志だけを持ち、感情のない操り人形のようだ。

「では、まず血盟を」
 孟嘗君の声が、白起に傾いていた意識を眼の前に引き戻す。
 従者がそろそろと列を成して、大幕舎の中へ。彼等は名代達の前に、白馬の生き血が注がれた、杯を置いた。
 古代から血盟を結ぶ際は、贄を捧げ、生き血を啜り、誓いを立てる。

「我等に勝利があらんことを」
 孟嘗君が高々と、杯を掲げた。

「我等に勝利があらんことを」
 他の者達が続く。
 楽毅は血を啜った。喉にぬるりとした不快感が纏わりつく。思わず吐きそうになったが、顔を朱色に染め、ぐっと堪えた。

「では、本題に入ろう。此度の連合軍の総大将を決めなくてはならん」
 連合軍の総大将の命令は絶対で、たとえ他国の大将軍であっても、総大将に任じられた者には、従わなくてはならない。総大将の意に反した場合、軍規を以って罰せられる。この先、総大将の命は、懿諭いゆさながらの効力を持つ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。 【登場人物】 帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。 織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。 斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。 一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。 今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。 斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。 【参考資料】 「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社 「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳)  KADOKAWA 東浦町観光協会ホームページ Wikipedia 【表紙画像】 歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

ソラノカケラ    ⦅Shattered Skies⦆

みにみ
歴史・時代
2026年 中華人民共和国が台湾へ軍事侵攻を開始 台湾側は地の利を生かし善戦するも 人海戦術で推してくる中国側に敗走を重ね たった3ヶ月ほどで第2作戦区以外を掌握される 背に腹を変えられなくなった台湾政府は 傭兵を雇うことを決定 世界各地から金を求めて傭兵たちが集まった これは、その中の1人 台湾空軍特務中尉Mr.MAITOKIこと 舞時景都と 台湾空軍特務中士Mr.SASENOこと 佐世野榛名のコンビによる 台湾開放戦を描いた物語である ※エースコンバットみたいな世界観で描いてます()

石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。  源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。  長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。  そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。  明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。 〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。

処理中です...