楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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田斉

 十二

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 斉の臨淄から和平の使者が発った、その日。白起は沃野の窪地に、麾下三十人ほどと身を潜めていた。地平線の先に、使者の一団が、列を成しているのを認めた。

「飾車が四台。守兵が三十名ほどでしょうか」
 窪地から兎のように顔を出す、麾下の王齕おうこつが告げた。王齕は恐ろしく眼が利く。彼我の差は二里。王齕にとって、二里の差でもあっても、対象の数を把握するのは容易い。

呂礼りょれい殿の報告通りでしたね」
 王齕は斜面を滑り降り、鋭い歯で干し肉を食い千切る、白起の隣で止まった。

「あの甘ちゃんは、此方に意図を探らせまいと、何重にも策を重ねているが、とどのつまり、楽毅という男は、万斛の血を流す覚悟がないのさ」

「だからこそ、斉に猶予を与え、暗に降伏を促したと」

「暗にという表現は少し違うな。恐らくあちら側に、楽毅の意図を汲む、聡い者が居るのだろう」
 白起は前髪に付着した、赤い砂をさっと指で払った。単調な動作ですら、流麗なものに見える。白起の相貌は、美麗の極にある。
 まるで陶器のように美しい肌。銀色の眸。桃色の唇。神を体現したような、玲瓏(れいろう)な面。
 容貌だけを知る者に、どれだけ諄諄と諭し続けようとも、この男が果ても無い残虐性を内に秘めているとは、誰も思いもしない。

「では、楽毅と斉の聡き者が繋がっていると?」
 一瞬、白起の横顔に見惚れている、己を払い、言葉を継いだ。

「だろうな」

「使者の連中は如何様に?」

「決まっている」
 にやりと白起は笑った。銀の眼の奥から、燐光が瞬いて見える。

「殲滅する。秦が東に勢力を伸ばす上で、山東の斉はくびきであり続けた。今、此処で斉を滅ぼさなくては、秦の東進が阻まれることになる」
 かちりと白起の佩剣が音を立てた。

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