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田斉
十四
しおりを挟む痺れを切らした、田単は危険な賭けに出た。もう一度、姜鵬牙を楽毅のもとへ送ることを決めた。姜鵬牙は何も言わず、諾と受け入れた。自身も何かがおかしいと思っていたからだ。歯車が嚙み合わないような、苛立ちに似た焦りが、田単にも己にもあった。黒衣を纏った、姜鵬牙は夜陰に紛れて、昌国へと入り、官衙に忍び込んだ。
「斉王は降伏を拒絶したのか」
楽毅の執務室に入って間もなく、詰め寄る勢いで彼が尋ねた。
(やはりか)
歯車の動きを狂わせる、原因の一つが形を帯びてくる。
「臨淄から十四日前に、和平の使者は発っている」
「馬鹿な。そのような話は聞いていないぞ」
昌国と臨淄の距離はそう離れていない。飾車を伴なった、遅々とした歩みでも、二日、三日あれば辿り着く。
「気取られたな。連合軍側に、あんたのやり方に不満を抱いている者はいないか」
「いや」
楽毅は言葉を切り、一息の間、強く瞼を閉じていた。
「白起」
「白き魔人か」
秦の白起の名は、聞き及んでいる。天も恐れない、悪行を重ね、彼の名を耳にするだけで、中原の人々は戦々恐々と萎縮するらしい。無理もない。魏と韓は幾度も、白起に攻め入られ、何十万という兵を斬首されている。
「まさか」
楽毅が面を上げる。双の眼には、閃きによる雷霆が走っている。
「斉の宰相は、確か呂礼という男だったな」
「ああ」
瞬間。姜鵬牙は楽毅が、何に気が付いたのか理解した。
総身から血の気が失せ、心臓が万力の力で締め付けられたように痛んだ。
「呂礼は秦から派遣された羇旅の臣だ。秦の狙いが徹頭徹尾、斉の滅亡ならば、斉王のもとにいる、呂礼は斉王に降伏をさせないように働きかけるだろう」
楽毅は溜息と共に、目頭を押さえた。
「呂礼から報せを受けた、白起は使者達を闇に葬り去った。斉の滅亡を望むなら、斉王に降伏してもらっては困る」
姜鵬牙が継ぐ。
「それだけじゃない。秦は斉のあらゆる物を奪い去ろうとしている。勝利後に行われる、会合より前に、臨淄の財宝を奪えるだけ、奪ってしまえという魂胆だろうな」
「田単に報せなくては」
姜鵬牙は黒衣を翻し、踵を返した。
「まず呂礼を始末しろ。急げと、田単に伝えてくれ。此方はあともう少し粘ってみせる」
「了解した」
戸に手をかける。
「待て」
首を返す。
「警戒は怠るな。白起がお前の動向を窺っているかもしれん」
目尻を下げ赤心より、楽毅は己の身を按じている。自然と微笑が浮かんだ。
「奇妙な男だ。あくまで俺とあんた達は敵同士。連合軍の総帥が、これほどに甘い男とは。だがー。田単があれほど、あんたを信じ慕う気持ちも分かる気がする」
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