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決別
六
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田単は踏み込んだ決断をする男へと変わっていた。
姜鵬牙は倉の支柱に躰を預け、痛みで朦朧とする意識を気力で留めたまま、間断なく指示を送る、田単を見つめていた。
「姜施は東に難民達を逃がす準備を。姜知は孫家塾に向かえ」
田単は姜氏党で最年少の少年に、書簡を手渡した。
「僕の名を出せば、受け取ってもらえるはずだ。孫家塾の門下生には、姜施に協力し、民を東へ先導してもらえるよう認めている」
「御意」
姜知は躊躇なく仕切る、田単に羨望の眼差しを向け、強く頷いた。
「さぁ行って」
弾かれたように、姜知が倉を後にする。
「兄上。あいつに何かが変わったわね」
傍に姜音が立った。
「ああ。両親の死が奴を変えたのか。それともー。俺達には理解できない、大きな力が奴を変えたのか。いずれせよ、田単は不退転の覚悟を決めた」
「奇妙よね。今や斉の命運は王にも、軍の上層部にもない。一介の下級役人の掌にあるなんて」
姜音は腕を組み、険しい表情で、机に広げた地図を睨む、田単を見下ろしている。
「上の連中は諦め、考えることを放棄している。唯一未来を諦めず、考え続けている。それが田単だ」
「結果、田単は都を捨てるのね」
皮肉ってはいるが、妹は田単を責めてはいない。
「都を捨て、王と民を生かす。臨淄に囚われている以上、民は都で食らい合うことになるか、連合軍に悉く殺される」
「勝算はあるのかしら」
答えなかった。傷が疼いてきたのもある。
だが、髪を搔き乱し、憑かれたように、思考を巡らせる、田単の代わりに答えてやれるような、答えは己の抽斗にはない。
「何がどうなろうと、俺はあいつに付いていく。田単には命を懸けてもいいと思わせる、不思議な魅力がある」
田単の手足となって動き回る、姜氏党。祖父も従兄の姜施も、田単に惹かれているのだ。
あれほどに毛嫌いしていた、田氏の若者に、一族の皆が心惹かれ始めている。
「そういうお前も、あの男に惹かれているのではないか」
半笑いで姜鵬牙は妹に訊いた。
「馬鹿なこと言わないで」
妹は唇を尖らせ、そっぼを向いた。くつくつと笑いが込み上げてくる。
「田単殿」
倉の中に、数人の若者が雪崩れ込んできた。全員が武装を整えている。顔見知りだった。田単が率いる部隊の兵士達だ。田単は姜施の口利きで、軍に組み込まれているので、数人の麾下を持っていた。この若い兵士達は、頻繁に倉に出入りしている。
「首尾の方は?」
上官らしい厳しい口調で、田単が訊く。
「一万を東門に集結させました」
「馬は?」
応じた兵士が顔を曇らせる。
「三百程度しか集めることが出来ませんでした」
「そうか。仕方ない。今すぐ東門に向かう。軍の総帥である田触殿の行方が知れない今、僕達が大王を御守りしなくてはならない」
「承知しています」
「では。急ごう」
「はっ」
兵士は慌ただしく、倉を後にする。田単は向き直り、土気色の顔をした、姜鵬牙に歩み寄った。
「姜音。君は兄さんを連れて、先に東へ逃れろ。兄さんには独力で、馬を操る力は残っていない」
姜音が反駁しようと口を開くと、田単が射貫くような眼で制した。
「兄さんを死なせたいのか。今頃、連合軍は進発の準備を整えている頃合いだ。明日の昼には、何十万という大軍勢が此処を囲む。そうなれば、鼠が這い出る隙間もない。今の内に、自力で動けない怪我人や老人を逃がす必要がある。民の誘導は、姜施や孫家の門下生達が請け負ってくれる。だから、君は兄さんを支え、東へと逃がしてくれ」
ゆったりと告げているが、其処には有無を言わせない、堅い響きがあった。
「…分かったわ」
噛み締めるような間を置いたものの、姜音は受け入れた。
「田単」
姜鵬牙は動く左腕を、友の細い肩に乗せた。
「死ぬなよ」
「ああ。分かっている」
田単は太い笑みを刷いた。
「さぁ。行け。またあとで落ち合おう」
田単の背が遠くなっていく。姜鵬牙は朦朧とする意識の中で、友の無事を祈念した。
姜鵬牙は倉の支柱に躰を預け、痛みで朦朧とする意識を気力で留めたまま、間断なく指示を送る、田単を見つめていた。
「姜施は東に難民達を逃がす準備を。姜知は孫家塾に向かえ」
田単は姜氏党で最年少の少年に、書簡を手渡した。
「僕の名を出せば、受け取ってもらえるはずだ。孫家塾の門下生には、姜施に協力し、民を東へ先導してもらえるよう認めている」
「御意」
姜知は躊躇なく仕切る、田単に羨望の眼差しを向け、強く頷いた。
「さぁ行って」
弾かれたように、姜知が倉を後にする。
「兄上。あいつに何かが変わったわね」
傍に姜音が立った。
「ああ。両親の死が奴を変えたのか。それともー。俺達には理解できない、大きな力が奴を変えたのか。いずれせよ、田単は不退転の覚悟を決めた」
「奇妙よね。今や斉の命運は王にも、軍の上層部にもない。一介の下級役人の掌にあるなんて」
姜音は腕を組み、険しい表情で、机に広げた地図を睨む、田単を見下ろしている。
「上の連中は諦め、考えることを放棄している。唯一未来を諦めず、考え続けている。それが田単だ」
「結果、田単は都を捨てるのね」
皮肉ってはいるが、妹は田単を責めてはいない。
「都を捨て、王と民を生かす。臨淄に囚われている以上、民は都で食らい合うことになるか、連合軍に悉く殺される」
「勝算はあるのかしら」
答えなかった。傷が疼いてきたのもある。
だが、髪を搔き乱し、憑かれたように、思考を巡らせる、田単の代わりに答えてやれるような、答えは己の抽斗にはない。
「何がどうなろうと、俺はあいつに付いていく。田単には命を懸けてもいいと思わせる、不思議な魅力がある」
田単の手足となって動き回る、姜氏党。祖父も従兄の姜施も、田単に惹かれているのだ。
あれほどに毛嫌いしていた、田氏の若者に、一族の皆が心惹かれ始めている。
「そういうお前も、あの男に惹かれているのではないか」
半笑いで姜鵬牙は妹に訊いた。
「馬鹿なこと言わないで」
妹は唇を尖らせ、そっぼを向いた。くつくつと笑いが込み上げてくる。
「田単殿」
倉の中に、数人の若者が雪崩れ込んできた。全員が武装を整えている。顔見知りだった。田単が率いる部隊の兵士達だ。田単は姜施の口利きで、軍に組み込まれているので、数人の麾下を持っていた。この若い兵士達は、頻繁に倉に出入りしている。
「首尾の方は?」
上官らしい厳しい口調で、田単が訊く。
「一万を東門に集結させました」
「馬は?」
応じた兵士が顔を曇らせる。
「三百程度しか集めることが出来ませんでした」
「そうか。仕方ない。今すぐ東門に向かう。軍の総帥である田触殿の行方が知れない今、僕達が大王を御守りしなくてはならない」
「承知しています」
「では。急ごう」
「はっ」
兵士は慌ただしく、倉を後にする。田単は向き直り、土気色の顔をした、姜鵬牙に歩み寄った。
「姜音。君は兄さんを連れて、先に東へ逃れろ。兄さんには独力で、馬を操る力は残っていない」
姜音が反駁しようと口を開くと、田単が射貫くような眼で制した。
「兄さんを死なせたいのか。今頃、連合軍は進発の準備を整えている頃合いだ。明日の昼には、何十万という大軍勢が此処を囲む。そうなれば、鼠が這い出る隙間もない。今の内に、自力で動けない怪我人や老人を逃がす必要がある。民の誘導は、姜施や孫家の門下生達が請け負ってくれる。だから、君は兄さんを支え、東へと逃がしてくれ」
ゆったりと告げているが、其処には有無を言わせない、堅い響きがあった。
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噛み締めるような間を置いたものの、姜音は受け入れた。
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