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相剋
三
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田単達同様に、西から逃れてきた難民達には、菰を張った、猫の額ほどの一角が、仮の住まいとして与えられていた。
「あの無能な太守を始末しようと思う」
姜鵬牙の囁きが、同じく菰の影に身を委ねる難民達の苦悶の声に巧く溶け込む。彼の左手は、懐に忍ばせた、小刀にあった。右腕の傷は癒えたが、後遺症として、以前のように自由が利かなくなっている。
「太守を始末した所でもう遅い。安平の兵に、現状を盛り返せるほどの士気と体力はないさ」
田単は失意に染まった眼で、影の下で横たわる、難民達を見遣った。一様に痩せこけ、劣悪な環境が流行り病を齎した。子供の姿も多く、子供等の下っ腹は大きく突き出している。
五歳くらいの男の子と、不意に眼があった。眼に黄疸が見える。病の兆候である。このままでは、罪なき子供等も安平の陥落と共に殉ずることになる。
流行り病は、すぐに死と直結する病ではない。風邪より強い症状を引き起こしたもので、腕の確かな医者や、薬が処方すれば、治るものだ。だが、現環境では二つとも揃っていない。数少ない医者は、負傷した兵士にかかりっきりであるし、絶対的な人数も足りておらず、優先度の低い末端の兵士などは、治療を待っている間に、傷が化膿したことで死んでしまった者も少なくはない。
「安平を捨てる」
田単は独りごちるように呟いた。
「民は?」
姜鵬牙は疑念を抱くことなく、田単の心中をはかる為に訊いた。
「東へ逃げるように扇動するしかない。此処に残ったとして、あの太守のもとで殉死することになる」
「しかし、東といっても何処へ?」
「今、守りが堅いのは、斉王がおられる莒だ」
「それと即墨ね」
市中を見回っていた、姜音がすっと菰の下に身を滑りこませる。
「なぜ」
即墨は安平から約二百里ほど東に離れた位置にある、包囲三里の城邑である。
また城郭は五里と、安平の半分ほどの規模に満たない。
「即墨に潜り込ませている、仲間から伝書が届いたの。即墨の守りを預かっている大夫が、中々の出来物らしくてね。僅か一万程度の兵で、即墨一帯を囲む、燕軍五万と互角に渡り合っているらしいわ」
どうするのか。と姜鵬牙が眼で訴えかけてくる。答えは既に決まっている。
「姜鵬牙、姜音。二人で市中に触れ回って欲しい。数日後、太守は燕軍への降伏を表明し、自身の身柄の保証と引き換えに、城中全てのものを明け渡すつもりでいると」
「容易いことだ」
姜鵬牙が衒いなく頷いた。
「更深に僕達で東門をこじ開けてやる。そうすれば、多くの人が門を潜り東へ流れるはずだ」
導かれるように人々は、極東の莒を目指すだろう。道行き全ての者が安全に辿りつけるか分からない。安平より東にも、等間隔で燕軍は布陣している。だが、何も行動も起こさず、ただ死を待つだけよりはいい。
「俺達も莒へ向かうか?」
「いや。僕達は莒へ向かわない。即墨へ向かおう」
きっと即墨は主戦場になる。莒に王はいるといっても、戦う気概がある者が集まっているかといえば、そうではない。
王族の力が強まれば、強まるだけ、わが身が可愛い保守派の力が大きくなる。ならば、果敢な大夫が指揮を執り、燕軍と一進一退の攻防を繰り広げている、即墨の方が、できることは残されているかもしれない。
「あの無能な太守を始末しようと思う」
姜鵬牙の囁きが、同じく菰の影に身を委ねる難民達の苦悶の声に巧く溶け込む。彼の左手は、懐に忍ばせた、小刀にあった。右腕の傷は癒えたが、後遺症として、以前のように自由が利かなくなっている。
「太守を始末した所でもう遅い。安平の兵に、現状を盛り返せるほどの士気と体力はないさ」
田単は失意に染まった眼で、影の下で横たわる、難民達を見遣った。一様に痩せこけ、劣悪な環境が流行り病を齎した。子供の姿も多く、子供等の下っ腹は大きく突き出している。
五歳くらいの男の子と、不意に眼があった。眼に黄疸が見える。病の兆候である。このままでは、罪なき子供等も安平の陥落と共に殉ずることになる。
流行り病は、すぐに死と直結する病ではない。風邪より強い症状を引き起こしたもので、腕の確かな医者や、薬が処方すれば、治るものだ。だが、現環境では二つとも揃っていない。数少ない医者は、負傷した兵士にかかりっきりであるし、絶対的な人数も足りておらず、優先度の低い末端の兵士などは、治療を待っている間に、傷が化膿したことで死んでしまった者も少なくはない。
「安平を捨てる」
田単は独りごちるように呟いた。
「民は?」
姜鵬牙は疑念を抱くことなく、田単の心中をはかる為に訊いた。
「東へ逃げるように扇動するしかない。此処に残ったとして、あの太守のもとで殉死することになる」
「しかし、東といっても何処へ?」
「今、守りが堅いのは、斉王がおられる莒だ」
「それと即墨ね」
市中を見回っていた、姜音がすっと菰の下に身を滑りこませる。
「なぜ」
即墨は安平から約二百里ほど東に離れた位置にある、包囲三里の城邑である。
また城郭は五里と、安平の半分ほどの規模に満たない。
「即墨に潜り込ませている、仲間から伝書が届いたの。即墨の守りを預かっている大夫が、中々の出来物らしくてね。僅か一万程度の兵で、即墨一帯を囲む、燕軍五万と互角に渡り合っているらしいわ」
どうするのか。と姜鵬牙が眼で訴えかけてくる。答えは既に決まっている。
「姜鵬牙、姜音。二人で市中に触れ回って欲しい。数日後、太守は燕軍への降伏を表明し、自身の身柄の保証と引き換えに、城中全てのものを明け渡すつもりでいると」
「容易いことだ」
姜鵬牙が衒いなく頷いた。
「更深に僕達で東門をこじ開けてやる。そうすれば、多くの人が門を潜り東へ流れるはずだ」
導かれるように人々は、極東の莒を目指すだろう。道行き全ての者が安全に辿りつけるか分からない。安平より東にも、等間隔で燕軍は布陣している。だが、何も行動も起こさず、ただ死を待つだけよりはいい。
「俺達も莒へ向かうか?」
「いや。僕達は莒へ向かわない。即墨へ向かおう」
きっと即墨は主戦場になる。莒に王はいるといっても、戦う気概がある者が集まっているかといえば、そうではない。
王族の力が強まれば、強まるだけ、わが身が可愛い保守派の力が大きくなる。ならば、果敢な大夫が指揮を執り、燕軍と一進一退の攻防を繰り広げている、即墨の方が、できることは残されているかもしれない。
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