楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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相剋

 二

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 臨淄を奪われて暫く、安平より西の城邑は燕軍に陥とされ続けていた。
 国の中枢である、都を無力化し、斉の国土八割を制圧した所で、燕以外の国は軍を引き揚げた。隣国の燕と違い、各国には糧道確保の問題がある。糧道を確保するには、莫大な費用が必要となる。本来なら、兵糧は敵国に求めるべきものであるが、斉王の逃亡と共に、数ある城邑の備蓄は安平より東へと移されている。
 
 臨淄を陥落させたことで、斉王による恫喝的な支配を受け続けてきた、各国の溜飲も下がったのだろう。負傷した燕の総大将楽毅は、燕から戦勝を祝う為に出国した、燕王を出迎える為に、昌国しょうこくに留まっている。
 
 楽毅は劇辛げきしんを将軍に据え、十万を与え、安平に向かわせた。ほどなくして、燕軍十万が安平に攻撃を仕掛けた。安平は攻勢に備え、防備を固めていたが、数か月で危機に瀕した。安平の太守は凡愚で猜疑心さいぎしんが強く、一万を率いて安平に入った、田単を遠ざけた。
 
 下級役人の立場にありながら、勇敢な一万の兵から信任を集める、田単に妬心としんを抱いたのである。付き添った一万の兵は、太守の権限で、安平の城軍に編入された。
 
 しかし、単純に籠城策を執るだけでは、安平は守り切れない。
 籠城策とは、援軍の見込みがある時に執るべく策である。独力での籠城策など、ただ立ち枯れるのを待つしかないだけの愚策である。安平には一万五千の城兵。三万の民がいて、計四万五千にも及ぶ、人間の腹を充分に満たすことのできる食糧はない。
 
 二ヶ月で夜の配給が終わり、三ヶ月経過した、今でも朝の配給ですら途絶えようとしている。更に鋭気を充分に蓄えた、燕軍は気が緩まる夜を狙って、休息の時を与えまいと、無数の銅鑼を叩き、精神の疲弊を促してくる。兵、民も同様に疲弊の極みに達していた。
 
 田単の憶測では、保って一ヶ月という見立てだった。歯がゆさがある。これほどに、立場の無さを怨んだことはなかった。慕って付き添ってくれた一万は、太守の権力によって、有無も言わさず取り上げられ、ただ彼等が無能の指揮官のもと、死にゆく姿を遠い所で眺めることしかできない。

「田単。少しいいか?」
 安平の官衙の前に、重なり合うように張られたこもの屋根の影に蹲る、田単の隣に姜鵬牙きょうほうがが座り込んだ。
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