楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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終章 天紡ぎ

 完

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 田単の功績により、斉軍は七十余城を奪い返し、王となった田法章でんほうしょうは、都であった臨淄りんしに戻ることが叶った。

 斉王は臨淄で迎えた、田単の赫赫かくかくたる功績を讃え、彼に国政を一任した。田単は斉の宰相となり、斉を滅亡の危機から救った、英雄と評した。
 
 だが、まだ戦は終わっていない。燕軍は河上に退いているものの、戦備は解いていない。田単は自ら、軍の総帥として、以前奪われたままの聊城へと向かっていた。率いる斉兵はおよそ五万。斉の旌旗。田の麒麟旗が林立し、風にあおられ翻り続けている。

「全てが終わりに近づいている」
 傍らに馬を並べる、黒衣姿の姜鵬牙きょうほうがが言った。田単を守るように、黒の姜氏党数十名が、周囲に展開している。

「いや。終わりなどではない。私は一から、斉という国を創り変えなくてはならない。
武力のみを頼りとせず、信頼と対話によって、諸侯と縁を結ぶことのできる、穏やかで優しき国を。我等がさきがけとなって、零落れいらくした周宗室を奉り、天子様を御支えするのだ」
 西の方角に睨む、田単の双眸は、鮮やかな色を放っていた。

「天子を中心に、七雄が手を取り合えば、戦乱なき世が訪れる」
 姜鵬牙は、田単がずっと胸に抱き続けていた、想いを吐露した。

「ああ。所詮は夢想かもしれない。それでも私は諦めない。私の小さな双肩には、死んでいった仲間達。そして、志半ばで翼を捥がれた、楽毅殿の勁い想いが託されている」
 深く息を吐き、今は趙に身を寄せる、兄弟子を胸の内で想った。

(見ていて下さい。楽毅殿。私はあなたとは違うやり方で泰平の世を創り上げてみせます)
 雲一つない蒼空で、馬が嘶くような高い声が轟いた。

 田単は仰ぐ。其処には空を駆ける、黄金の獣の姿があった。水晶のような煌めくたてがみと尾。やじりの如く、頭部から突き出した、一本の角。獣が翔ける度に、黄金の輪が幾重にも空に拡がる。

「あれは」

「どうした」
 姜鵬牙に視線を薙ぎ、再び空を見上げた時には、その獣は消えていた。

「いいや。何でもない」
 田単は大輪の笑みで友に返した。




                                             完


 
 

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