国殤(こくしょう)

松井暁彦

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七章 珠玉の疵

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 縄を打たれた熊啓と汗明が、王翦の前に膝を付いた。
 
 王翦は憮然とし、胡床から腰を上げた。
 
 既に蘄は制圧し、叛旗を翻した義勇兵は一人も漏らすことなく、斬首している。

「昌平君よ。随分と手間を取らせてくれたものだ」

「項燕殿の首を奪りそこなったようだな、王翦将軍。確かに我等は戦に敗けた。だが、貴様が不断の執着を見せる、項燕殿との決着は遂につくことがなかった。貴様は死ぬまで、項燕殿から受けた屈辱を背負い生きて行かなくてはならない」
 熊啓の表情は、敗者のものではなかった。

「裏切り者が。減らず口を」

 王翦は彼等の脇に控える、兵士から棒を受け取り、熊啓を何度も打擲した。
 血を吐き、地に蹲りながらも、熊啓は敗者の表情を見せない。

「王になり損ねた愚か者が」

 王翦は血に塗れた、熊啓の顔に唾を吐きかける。

「もういい。首を刎ねよ。売国奴の顔など、もう見たくはない」

 大刀を手にした処刑人が、熊啓と汗明の傍らに立つ。

 王翦が踵を返すと、熊啓の嗤い声が終戦を迎えた、戦場に谺する。

「訊け、王翦。秦王が創り上げる新世界は、累卵の如く危うい。何もかも性急過ぎるのだ。今の世では、秦王の思想に追いつくことはできない。必ず統一後の世、二代で秦は内側から瓦解する。その後に待っているのは、未曾有の災禍だ」

「そんなものわしの知ったことではない」

「だが、未曾有の災禍の最中にも、必ず光輝は現れる。私や汗明―。そして、項燕殿の遺志は、既に蒼き世代に受け継がれている」
 
 熊啓は起き上がり、朗々とした声で訴えた。
 
「たとえ三戸となろうとも、秦を滅ぼすのは楚なり!」

 予言めいた呪詛が、王翦の躰に纏わりついて離れない。

「黙らせろ」

 王翦は死に行く二人を刮目し、その姿を嘲笑ってやろうと思った。

 だが、二人は眦を見開き、毅然とした態度で、見つめ返していた。

 爽やかな笑みがあった。
 まるで、未来の勝利を確信しているような。
 
 大刀が振り下ろされた。二人の首が宙を舞う。
 
 音を立てて、転がる首。
 
 全てが終わった。だが、王翦の心は何一つ満たされず、虚無感だけが心のうろに蟠り続けていた。
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