白狼 白起伝

松井暁彦

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澱み

 十一

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「わ、私ですか?」
 口は乾き切っている。上官の白起を見遣ると「構わん」と軽く返した。
 
 心を奮い立たせる。

「わ、私なら軍を二手に分けます」
 誰も口を挟まないので続ける。

「私は総帥殿麾下の天狼隊の速さを知っています。その気になれば、一日に二百里を駆けることも可能かと。故に此度は天狼隊の疾風の如き速さを生かしてはどうでしょうか?」

「というと?」
 魏冄が訊く。

「まず天狼隊一万を本隊から分離させ南へ迂回させます。距離として七百里ですが、一日に二百里を駆けることが可能な天狼隊ならば、多く見積もっても四日の行程でしょう。本隊が直線距離の五百里を進んだとしても、一日にせいぜい七十里が関の山。此方と同様に、敵方も七日か八日は到着に要すると目算することでしょう」

「なるほど。殿が率いる天狼隊は南へ迂回させた所で結果本隊より先行した形となる」
 義父の王齕が相槌を打つ。

「無謀な策だ。君はあろうことか十二万の大軍を廉頗対策の為に囮にしようとしている。廉頗が十二万を越える兵を埋伏しているとは思えないが、それでも数日は廉頗軍に足止めを食らうことになるだろう。その間、天狼隊は孤立無援の情況に陥る。少なく見積もっても四日間も天狼隊はたったの一万で三十万もの大軍を相手にしなくてはならない。不可能だ」
 公孫胡易が鼻を鳴らしたその時。

「面白い」
 総大将白起が不敵な笑みを浮かべながら呟いた。

「えっ?」
 公孫胡易が眼を丸くする。

「廉頗との肚の探り合いだ。ならば、俺達は奴の思考の先を行かなくてはならん。奴とて俺がたったの一万を率いて、三十万の大軍にぶつかるとは思ってはおらん」

「総帥殿!正気ですか!?」

「どうだ?宰相殿」
 白起は杖の先に手を重ね、瞼を閉じる魏冄を見遣る。

「わしは常勝将軍白起を信じる」

「決まりだな」
 にやりと笑い、白起は王翦の髪をくしゃくしゃと撫ぜる。

「面白味のある男だよ。お前は」
 緊張が一気に解け、変わって歓喜が突き上げてくる。

「王齕。王騎。胡傷。李莞。これは総力戦だ。全員今すぐ鞍を用意しろ!久しぶりに皆で駆けるとしよう」

「御意‼」
 王翦は提案した策は、死が限りなく近いものだ。だが、古参の将達の表情には嬉々としたものが滲み出ていた。
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