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偽花風景
21話 問8「行き過ぎた自責の念は他人をも傷つけてしまうのか、答えなさい」
「小白さんは普段、本とか読まないの?」
「あんまり読まない…… かなぁ。あ、でもこの前太宰治の富嶽百景を読んだの。あと……あとは……」
「無理しなくていいよ」
頑張って絞り出そうとしてくれる小白さんは健気で、小動物を見ているみたいでなんだか微笑ましい。おとなしそうな外見とは裏腹な積極性というか、必死な姿が私達を惹きつけるのだろうか。
「あとは、芥川龍之介の蜜柑とか」
「どっちも教科書に載ってるやつだ」
「好きなの、教科書が。小学生の頃は毎年配られるのが楽しみだったなぁ」
小さい頃の私もそれを楽しみにしていたひとりだ。ランドセルがぱんぱんになるまで詰めて持って帰らされたことを思い出す。重いし次第に肩も痛くなってくるけれど、徒歩数十分の帰り道は別段苦ではなかった。いや、頭の中を期待で埋め尽くしていたからこそ、苦しいという気持ちが入ってこれなかったのだろう。
本には重さの分だけ知識が詰まっている。あの時私が詰めていたもの、背負っていたのは教科書だけでなかったんだろう。
習うのはまだ先だというのに、貰ったその日にページを次から次へとめくっていく。宝の地図を見つけたらすぐにでも冒険したくなるだろう。多分、それと同じだ。
その後も他愛のない話は続いた。出身とか、普段の過ごし方とか、
「倉實さんってもしかして、透子ちゃんと今喧嘩してたりする?」
ファミリアの話、とか。
「喧嘩? どうして?」
唐突に投げかけられた身に覚えのない単語に思わず、質問に質問で返してしまった。
自分の行動なんて思い返さなくてもそれは否定できる。それに、最近はそもそも会えてないのだから喧嘩なんて起こしようがない。起こす気もないけれど。
それとも、私は知らず知らずのうちに透子さんを怒らせるようなことをしてしたのだろうか。いや、それもないとは…… 思いたい。いくら人付き合いの希薄な私でもそこまで鈍感ではないはずだ。多分。
「この前まで仲良しでいっつも一緒のイメージだったんだけど、最近めっきりじゃない? 教室でも席近いのに全然話さなくなっちゃったし」
会ってないから起こせないではなくて、起こしてしまったから会えない、話せない。
私は小白さんと彼女のファミリアとの関係は教室内のものしか知らない。仲は良さそうだけれどそれはどれくらいなのか。ただの友達なのか、親友なのか、それともそれ以上の仲なのか。
小白さんだってそうだ、私と透子さんとの関係なんて教室内のものしか知らない。だから、いつもと違うように見えた私達を見て、見えない部分を補完して辻褄を合わせようとしたんだろう。この会話は彼女にとっての答え合わせだ。そうは思ってなさそうだけれど。
「喧嘩なんてしてないよ。ただ今は、お互い忙しいだけ」
仲が悪いわけではない。それどころか、個人的にはこの間の件でもっと親密な関係になれた気さえしていた。
私も彼女も今はそれぞれやるべきこと、向き合うことがあってそこに集中しているのだから、交流の機会が減るのはおかしくないし、今だけだ。
収穫祭が終わり、落ち着いたらまた彼女と話す機会も増えるだろう。落ち着いたら…… 増えるよね?
当たり前にそう思っているのか、そうであってほしいと思っているのか。
内在するふたつの感情はかみ合わない歯車のよう。どちらかがいなくなれば回るのに、外せない。
「そっか。なら、私の勘違いだ」
ごめん。添えられた言葉に言葉は返せなかった。
徐々に徐々に寮の分かれ道が見えてくる。彼女は西、私は東。
このまま終わらせるべきか、もう少し何か話すべきなのか。考えているうちに彼女との距離は開いたり縮んだり。選択を急かすように打ち付ける雨音がうるさい。
「けど、」
何か言いかける声を聴いた時、ついにはその足を止めてしまった。
「あんまり離れてばっかりだと、いざ一緒になったときにどう振舞えばいいかわからなくなっちゃうよ?」
「そう…… ね」
わからない。わからないけれど、なんとなくそんな気がする。
一言目はどうしよう、どんな話をしよう。近くにいるはずの彼女がなぜか遠くて、そこにいるのに、今は届かないと思い込んで諦めているみたいで。
私と彼女との距離が曖昧になっていることを、彼女の言葉で実感してしまった。
「じゃあ、私はこっちだから。落ち着いたら3人でお話してみたいな」
「私も楽しみにしてる。さようなら。小白さん」
「ん」
遠ざかる彼女の足音とは対照的に、色が無く、ただコツコツと一定のリズムを刻む無機質な足音が嫌に響く。
水色の雨音が私の彩のない足音を際立たせているみたいで。何かから逃げるようにして、足早に部屋へと足元を進めていったのだ。
「なんか雰囲気違うよね」
「ね。なんか温かい感じ」
私はもうすっかり見慣れてしまったけど、薄水色に照らされるレッスン室しか見たことのない子達にとって線香花火をそのまま吊るたような、赤橙色照らされた放課後のレッスン室は新鮮なようだ。それはそうだ。今まで放課後の、夕方のレッスン室にいたのは私と先生のふたりだけだったのだから。
見慣れたとは言ったけれど私以外の子達がいる放課後のレッスン室は新鮮で、どこか緊張する。
1日1日と発表会が近づくたび、ふたりきりだったここにひとり、またひとりとクラスメイトが参加していった。私以外にも放課後に練習したいと思い声をかけた子がいたのだろう。
わたしも、じゃあわたしも。あとは何もしなくても増えるだけで、半月もすればダンス選択のクラスメイトは全員参加するんじゃないかなんて思わされた。けれどその見立ては甘かったようで、最後のひとりが参加したのは7日後だった。
最後に参加したのは透子さんだった。生徒会の先輩方が気を使って仕事を肩代わりしてくれたらしい。既にあれほど上手な彼女に放課後も練習をする必要があるのかと、疑問に思うけれど。
「いちに、さんし、にーに、さんし……」
流れ出した曲と透子さんのカウントを聴き、差し出された右手にそっと左手を滑らせ、添える。
「さんに、さんし、よんにっ……さんし?」
4小節、それが始まりの合図。
私のリードに合わせて彼女は身体を捻り、足を進め、廻る。
ルーティンは決められた中からふたりで選んだ。決めたのは、素早いターンの後に捻らせたままの身体を維持するオーバースウェイが、動の中にある静、静の中にある動を表現する様が美しかったからだ。
手のひらから熱が伝わり、滴る汗を感じる。私のものでもあるし、彼女のものでもある。ほんのりと赤みを帯びた頬は輝く汗と相まって、夕日に照らされる海のように、何も考えずずっとそこで見ていたいと思わせられた。
私の視線は彼女に、彼女の視線は私とどこかへ。私、透子さん、私、透子さん。それぞれの位置を交互に廻ってみても、やはり彼女がどこを見ていたのかはわからなかった。
足並みは崩れぬように慎重に、行き先を見失わぬよう、左腕を大胆に振ってみせる。
「踊ってる時の倉實さん、すごくお嬢様っぽくない?」
「わかるわかる。こう、纏う雰囲気が変わったっていうか、なんというか」
大振りすぎてしまったせいなのか、時々休憩中の子達から感じる視線が気恥ずかしい。お嬢様にお嬢様っぽいと言われると、素直に受け取るべきなのか対応に困ってしまう。雰囲気が変わったのは多分纏っているものが制服と違うからなのであって、私が何か変わったとかそういうことではないと思う。
唯一私の中で変わったことといえば、そういう余計な事を考えながらでも踊れるような余裕ができた、ということだろうか。
「うまくなったね」
「え、えぇ。ありがとう」
知らないうちに、と。そう続きそうな気がしてつい反応してしまう。
会話ともいえないそれは私に沈黙を意識させた。聞きたくない言葉を聞かぬよう断ち切った私に鋭く、それでいて鈍く這入りこむ。
光が影を際立たせるのと同じだ。今まで気にすることのなかった沈黙はひところふたことで際立ち、時間とともに大きくなってゆく。
もうすぐ曲が終わる。終わるまでは気づかないふりをして、精一杯踊ろう。
ここで前へ、ここでスピン、ここでオーバースウェ――
「なんだか、わたしの知らない倉實さんみたい」
先に手を離したのはどちらだったのだろう。指先からするすると熱が抜けていくのと、重力に後ろ髪を引かれるようなこの感覚は知っている。
背中に伝わる衝撃は肺に溜まった空気を一気に押し出した。何も考えられなくて、場違いに冷えきった身体をそのまま放り出し、ただただ天井に吊るされた赤橙を眺めていた。
曲が終わっても騒がしい周りとその視線で、自分の置かれた状況を把握した。また、やってしまったらしい。
だだ――
「いたっ...…」
「腫れてるね……無理に動かさないで。先生ちょっと倉實さんと保健室に行ってくるから、その間は各自で練習しててください」
立ち上がろうとすると走る痛みとは、初めましてだった。
「礼さん……わたし、わたし……」
「ちょっと捻っちゃっただけだから大丈夫。すぐ戻ってくるよ」
先生の肩を借り、力の入らない左足を浮かせながらゆっくりと、ゆっくりとレッスン室を後にした。
「本番までに痛みは引くと思うけれど……ここ数日は練習をお控えになってください」
「そう、ですよね」
間に合わせとして張ってもらった湿布は醜く腫れた足首を隠し、じんじんと一定のリズムを刻む痛みを和らげてくれる。
わかっていたことではあるけれど、転んだ際に左足首を捻挫していたらしい。
ターンの後、横方向の負荷がかかっている状態で転倒してしまったものだから、重症ではないにしろ、軽傷でもないらしい。
数週間単位の怪我ではないだろうと思っていたけれど、本番までには治ると聞き安心した。
それよりも。
「礼さん。わたし……わたし……」
「だから、透子さんのせいなんてことはないって。もともと私が集中してなかっただけ」
重症なのは彼女のほうかもしれない。
練習に戻った先生と入れ替わりで入ってきた透子さんは、ずっとこれだ。わたしのせいで、話しかけたりなんかしたから、ちゃんと支えていなかったから。一応、リード役である私が支える役ではあるのだけれど。
これに関しては上の空だった私が完全に悪いのだから、言い方は悪いけれど彼女には早く折れてほしい。
先生との特訓で人と話しながら踊れるくらいの余裕はできたけれど、余裕と隙は紙一重であるということに気付けなかった私がいけないのだから。私のせいなんだ。
「今日はもう帰りたいな」
「……えぇ、疲れてしまったものね」
肩を貸してくれた彼女に「ありがとう」と伝え、強く強く、何か締め付けるように、戒めのように一歩一歩踏みしめる。
何も言わずに彼女も歩きだす。痛みから目を背けながら歩くのに精いっぱいで、足並みをそろえようとなんて思いもしなかった。
「失礼しました」
「お大事に」
その言葉は私だけでなく、彼女にも投げかけられているのだと、そう思った。
「あんまり読まない…… かなぁ。あ、でもこの前太宰治の富嶽百景を読んだの。あと……あとは……」
「無理しなくていいよ」
頑張って絞り出そうとしてくれる小白さんは健気で、小動物を見ているみたいでなんだか微笑ましい。おとなしそうな外見とは裏腹な積極性というか、必死な姿が私達を惹きつけるのだろうか。
「あとは、芥川龍之介の蜜柑とか」
「どっちも教科書に載ってるやつだ」
「好きなの、教科書が。小学生の頃は毎年配られるのが楽しみだったなぁ」
小さい頃の私もそれを楽しみにしていたひとりだ。ランドセルがぱんぱんになるまで詰めて持って帰らされたことを思い出す。重いし次第に肩も痛くなってくるけれど、徒歩数十分の帰り道は別段苦ではなかった。いや、頭の中を期待で埋め尽くしていたからこそ、苦しいという気持ちが入ってこれなかったのだろう。
本には重さの分だけ知識が詰まっている。あの時私が詰めていたもの、背負っていたのは教科書だけでなかったんだろう。
習うのはまだ先だというのに、貰ったその日にページを次から次へとめくっていく。宝の地図を見つけたらすぐにでも冒険したくなるだろう。多分、それと同じだ。
その後も他愛のない話は続いた。出身とか、普段の過ごし方とか、
「倉實さんってもしかして、透子ちゃんと今喧嘩してたりする?」
ファミリアの話、とか。
「喧嘩? どうして?」
唐突に投げかけられた身に覚えのない単語に思わず、質問に質問で返してしまった。
自分の行動なんて思い返さなくてもそれは否定できる。それに、最近はそもそも会えてないのだから喧嘩なんて起こしようがない。起こす気もないけれど。
それとも、私は知らず知らずのうちに透子さんを怒らせるようなことをしてしたのだろうか。いや、それもないとは…… 思いたい。いくら人付き合いの希薄な私でもそこまで鈍感ではないはずだ。多分。
「この前まで仲良しでいっつも一緒のイメージだったんだけど、最近めっきりじゃない? 教室でも席近いのに全然話さなくなっちゃったし」
会ってないから起こせないではなくて、起こしてしまったから会えない、話せない。
私は小白さんと彼女のファミリアとの関係は教室内のものしか知らない。仲は良さそうだけれどそれはどれくらいなのか。ただの友達なのか、親友なのか、それともそれ以上の仲なのか。
小白さんだってそうだ、私と透子さんとの関係なんて教室内のものしか知らない。だから、いつもと違うように見えた私達を見て、見えない部分を補完して辻褄を合わせようとしたんだろう。この会話は彼女にとっての答え合わせだ。そうは思ってなさそうだけれど。
「喧嘩なんてしてないよ。ただ今は、お互い忙しいだけ」
仲が悪いわけではない。それどころか、個人的にはこの間の件でもっと親密な関係になれた気さえしていた。
私も彼女も今はそれぞれやるべきこと、向き合うことがあってそこに集中しているのだから、交流の機会が減るのはおかしくないし、今だけだ。
収穫祭が終わり、落ち着いたらまた彼女と話す機会も増えるだろう。落ち着いたら…… 増えるよね?
当たり前にそう思っているのか、そうであってほしいと思っているのか。
内在するふたつの感情はかみ合わない歯車のよう。どちらかがいなくなれば回るのに、外せない。
「そっか。なら、私の勘違いだ」
ごめん。添えられた言葉に言葉は返せなかった。
徐々に徐々に寮の分かれ道が見えてくる。彼女は西、私は東。
このまま終わらせるべきか、もう少し何か話すべきなのか。考えているうちに彼女との距離は開いたり縮んだり。選択を急かすように打ち付ける雨音がうるさい。
「けど、」
何か言いかける声を聴いた時、ついにはその足を止めてしまった。
「あんまり離れてばっかりだと、いざ一緒になったときにどう振舞えばいいかわからなくなっちゃうよ?」
「そう…… ね」
わからない。わからないけれど、なんとなくそんな気がする。
一言目はどうしよう、どんな話をしよう。近くにいるはずの彼女がなぜか遠くて、そこにいるのに、今は届かないと思い込んで諦めているみたいで。
私と彼女との距離が曖昧になっていることを、彼女の言葉で実感してしまった。
「じゃあ、私はこっちだから。落ち着いたら3人でお話してみたいな」
「私も楽しみにしてる。さようなら。小白さん」
「ん」
遠ざかる彼女の足音とは対照的に、色が無く、ただコツコツと一定のリズムを刻む無機質な足音が嫌に響く。
水色の雨音が私の彩のない足音を際立たせているみたいで。何かから逃げるようにして、足早に部屋へと足元を進めていったのだ。
「なんか雰囲気違うよね」
「ね。なんか温かい感じ」
私はもうすっかり見慣れてしまったけど、薄水色に照らされるレッスン室しか見たことのない子達にとって線香花火をそのまま吊るたような、赤橙色照らされた放課後のレッスン室は新鮮なようだ。それはそうだ。今まで放課後の、夕方のレッスン室にいたのは私と先生のふたりだけだったのだから。
見慣れたとは言ったけれど私以外の子達がいる放課後のレッスン室は新鮮で、どこか緊張する。
1日1日と発表会が近づくたび、ふたりきりだったここにひとり、またひとりとクラスメイトが参加していった。私以外にも放課後に練習したいと思い声をかけた子がいたのだろう。
わたしも、じゃあわたしも。あとは何もしなくても増えるだけで、半月もすればダンス選択のクラスメイトは全員参加するんじゃないかなんて思わされた。けれどその見立ては甘かったようで、最後のひとりが参加したのは7日後だった。
最後に参加したのは透子さんだった。生徒会の先輩方が気を使って仕事を肩代わりしてくれたらしい。既にあれほど上手な彼女に放課後も練習をする必要があるのかと、疑問に思うけれど。
「いちに、さんし、にーに、さんし……」
流れ出した曲と透子さんのカウントを聴き、差し出された右手にそっと左手を滑らせ、添える。
「さんに、さんし、よんにっ……さんし?」
4小節、それが始まりの合図。
私のリードに合わせて彼女は身体を捻り、足を進め、廻る。
ルーティンは決められた中からふたりで選んだ。決めたのは、素早いターンの後に捻らせたままの身体を維持するオーバースウェイが、動の中にある静、静の中にある動を表現する様が美しかったからだ。
手のひらから熱が伝わり、滴る汗を感じる。私のものでもあるし、彼女のものでもある。ほんのりと赤みを帯びた頬は輝く汗と相まって、夕日に照らされる海のように、何も考えずずっとそこで見ていたいと思わせられた。
私の視線は彼女に、彼女の視線は私とどこかへ。私、透子さん、私、透子さん。それぞれの位置を交互に廻ってみても、やはり彼女がどこを見ていたのかはわからなかった。
足並みは崩れぬように慎重に、行き先を見失わぬよう、左腕を大胆に振ってみせる。
「踊ってる時の倉實さん、すごくお嬢様っぽくない?」
「わかるわかる。こう、纏う雰囲気が変わったっていうか、なんというか」
大振りすぎてしまったせいなのか、時々休憩中の子達から感じる視線が気恥ずかしい。お嬢様にお嬢様っぽいと言われると、素直に受け取るべきなのか対応に困ってしまう。雰囲気が変わったのは多分纏っているものが制服と違うからなのであって、私が何か変わったとかそういうことではないと思う。
唯一私の中で変わったことといえば、そういう余計な事を考えながらでも踊れるような余裕ができた、ということだろうか。
「うまくなったね」
「え、えぇ。ありがとう」
知らないうちに、と。そう続きそうな気がしてつい反応してしまう。
会話ともいえないそれは私に沈黙を意識させた。聞きたくない言葉を聞かぬよう断ち切った私に鋭く、それでいて鈍く這入りこむ。
光が影を際立たせるのと同じだ。今まで気にすることのなかった沈黙はひところふたことで際立ち、時間とともに大きくなってゆく。
もうすぐ曲が終わる。終わるまでは気づかないふりをして、精一杯踊ろう。
ここで前へ、ここでスピン、ここでオーバースウェ――
「なんだか、わたしの知らない倉實さんみたい」
先に手を離したのはどちらだったのだろう。指先からするすると熱が抜けていくのと、重力に後ろ髪を引かれるようなこの感覚は知っている。
背中に伝わる衝撃は肺に溜まった空気を一気に押し出した。何も考えられなくて、場違いに冷えきった身体をそのまま放り出し、ただただ天井に吊るされた赤橙を眺めていた。
曲が終わっても騒がしい周りとその視線で、自分の置かれた状況を把握した。また、やってしまったらしい。
だだ――
「いたっ...…」
「腫れてるね……無理に動かさないで。先生ちょっと倉實さんと保健室に行ってくるから、その間は各自で練習しててください」
立ち上がろうとすると走る痛みとは、初めましてだった。
「礼さん……わたし、わたし……」
「ちょっと捻っちゃっただけだから大丈夫。すぐ戻ってくるよ」
先生の肩を借り、力の入らない左足を浮かせながらゆっくりと、ゆっくりとレッスン室を後にした。
「本番までに痛みは引くと思うけれど……ここ数日は練習をお控えになってください」
「そう、ですよね」
間に合わせとして張ってもらった湿布は醜く腫れた足首を隠し、じんじんと一定のリズムを刻む痛みを和らげてくれる。
わかっていたことではあるけれど、転んだ際に左足首を捻挫していたらしい。
ターンの後、横方向の負荷がかかっている状態で転倒してしまったものだから、重症ではないにしろ、軽傷でもないらしい。
数週間単位の怪我ではないだろうと思っていたけれど、本番までには治ると聞き安心した。
それよりも。
「礼さん。わたし……わたし……」
「だから、透子さんのせいなんてことはないって。もともと私が集中してなかっただけ」
重症なのは彼女のほうかもしれない。
練習に戻った先生と入れ替わりで入ってきた透子さんは、ずっとこれだ。わたしのせいで、話しかけたりなんかしたから、ちゃんと支えていなかったから。一応、リード役である私が支える役ではあるのだけれど。
これに関しては上の空だった私が完全に悪いのだから、言い方は悪いけれど彼女には早く折れてほしい。
先生との特訓で人と話しながら踊れるくらいの余裕はできたけれど、余裕と隙は紙一重であるということに気付けなかった私がいけないのだから。私のせいなんだ。
「今日はもう帰りたいな」
「……えぇ、疲れてしまったものね」
肩を貸してくれた彼女に「ありがとう」と伝え、強く強く、何か締め付けるように、戒めのように一歩一歩踏みしめる。
何も言わずに彼女も歩きだす。痛みから目を背けながら歩くのに精いっぱいで、足並みをそろえようとなんて思いもしなかった。
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