【完結】いつか、ネモフィラの咲く花園で

テルミ

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王子とあたしと毒林檎

18.5話 瞬間、今を捉えて

知識も興味もない人が物事を大まかにしか見ることができないのは仕方のないことだと思う。私だって知らないうちにそうしてしまっているのかもしれないのだから、人の言うことやることにとやかく言う権限はない。
 けど、けれども。これはあんまりじゃないだろうか。ねぇ、そう思わない?
 宛てもなく廊下を歩いていた私は窓越しに見える大牧にそう尋ねてみた。あたり前だが答えなんて帰ってこない。答えなんて期待していないけど、そうでもさせてくれないと気が滅入るのだ。
 つい先日、私は幸か不幸か学園のパンフレットに載せる収穫祭の模様を撮影する係に任命されてしまったのだ。多分不幸。
 私のほかにもクラスに写真部員は居るはずなのに、どうして『写真部だから』という理由で選ばれたのか、これが本当にわからない。何分の一である貧乏くじを引かされてしまったとでもいうのか。
 そもそも私は風景と動物専門なのだ。
 それこそ加工アプリ全盛期の今だったら私よりも写真部員でもない子の方がそれこそパンフレットっぽい、思い出っぽい写真が撮れると思う。
 
「なんて言っても、私の代わりにやってくれる人が来るわけでもないしね……」
 
 諦めてまた宛てもなく歩き続ける。
 収穫祭までまだ日にちはあるけれどそう遠くもない。そろそろ放課後もどこかで活動をしていてもおかしくない。
 演劇だって週に2回は放課後の練習がある。今日はないけど。
 ボールルームダンスとかもそういうこと、やってないのかな。
 なんて歩いていると、
 
「む?」
 
 つま先に感触があった。壁のように硬いわけでもプリントのように撫でるだけのあるかどうかすらもわからない柔らかさでもない。
 当たる、というよりかは沈む、と表現したほうが近いのかもしれない。たしかにそれはつま先を中心に沈み、その後にゆっくりと押し返すような、そんな弾力があった。大きな振動が靴越しに伝わってくる。
 
「あ、多蔦さん」
「く、倉實ちゃん!? ご、ごめんね! 大丈夫? 変なところ踏んじゃったりしてない?」
 
 いつか見た扉の前に小さく体育座りしている彼女がいた。
 図らずも見下ろす形になってしまっている私は、いつもされているように腰をおろしてとにかく目線の高さを合わせてみる。
 いくら静かだからって誰も居ないわけじゃないんだから、よそ見なんてやっぱり良くないわね……
 慌てるあたしに対して倉實ちゃんはどこか眠そうな、夢と現の間を行ったり来たりしているような様子だった。やはりデジャヴ。
 
「大丈夫よ、ちょっとつま先があたったくらいだから」
「ほんとっ、ほんとごめんね!」
 
 大丈夫、大丈夫だから、そう言いながら頬を軽く緩ませる彼女を見ていると、余計に申し訳なくなる。
 どうせやることも……ないわけではないがあるわけでもないので、横に失礼して同じ姿勢になってみる。
 
「なにか見てるの?」
「いいえ、ボールルームダンスの練習をする予定なのだけれど、まだ先生が来てなくて」
「そういえばこの間も言ってたね」
「多蔦さんは部活?」
「ううん、収穫祭準備の撮影。でもどこもまだ特別活動らしいことはしてなさそうだから、実質なにもしてない」
「そっか……」
 
 そっと彼女は人一人分、体をずらしてみせた。空いたそこにあたしも腰を下ろしてみる。
 よく無意識で気持ちが言葉として出てしまうと彼女は自分を称していたけれど、それと同じくらい声に出ない気持ちが行動に出ているような気がする。
 それが故意か無意識なのかはわからない。そういう部分になぜか心がくすぐられるし、惹かれるとはまた違った感情の動きがあった。
 生まれつきの人たらしなのかもしれない。悪い意味ではなく、彼女の魅力のひとつとして。
 
「そうだ、ねぇ倉實ちゃん。お願いがあるんだけど、いいかなぁ」
「えぇ。私にできることなら」
「今日の先生との練習風景を撮影させて欲しいんだけ……」
「そっ、それはダメ! いや、ダメというか、無理!」
 
 ここまで勢いよく断る彼女を見たことがなかったから、新鮮だった。
 しかしダメを無理に言い換える辺り、知らない彼女の中にもあたしの知る彼女らしさが身を潜めていて。なんだか安心した。
 
「うん、まあ…… 半分知ってた」
 
 微かな望みは望みのままあたしの胸の奥にしまって、代わりに小さく笑ってみせる。
 
「私なんてぜんぜん上手じゃないしほら……な、なにより!  私と先生のふたりっきりよりかはクラスのみんなが写っていた方が良いわよ。うん、そう、そうなのよ」
「そ、そうなんだ……」
 
 上手じゃないからこそ練習風景として良いものが取れると思ったけれど、それを言う間もなくまくし立てられてしまった。
 自分のことになると慌てる倉實さん、ちょっとかわいいかも。
 
「で、でも……」
 
 なにかを言いかけている彼女。え、あたしまだなにか言われるの?
 
「ただ断っただけだと申し訳ないから、人を撮る練習になら今の私、撮っても、いいよ。一枚くらいなら」
 
 恥ずかしそうにすこし俯きながら段々小声になっていく彼女は、ずるい。何枚だって撮りたくなってしまう。
 
「お言葉に甘えちゃおうかな。向きはそのままでいいよ、あ、もうちょっと顎引いて、そうそう」
 
 切れ目、とまではいかずともシャープで落ち着きのある瞳に物思いにふけるような構図を合わせるとこれはなかなか…… ミステリアス。本当になにか考え事をしているかのような彼女の絶妙な表情は、そんな言葉を想起させた。本当になにか悩んでいるようなら相談してね。
 無機質に空を切る乾いた音が鳴るたびに、彼女は少しずつその頬を染めながら唇をもぞもぞと動かしていた。
 
「い、一枚だけだよ」
「ごめんごめん、つい。でもありがとう、良い写真が撮れたよ」
 
 倉實さんと話せて少し憂鬱な気持ちが晴れた様な気がする。さて、また宛てのない旅を始めよう。
 
「もう行くの?」
 
 腰を上げようと両手を床につくと、彼女はそう聞いた。この子、そんなこと言う子だったっけ? 嬉しいけれども、せっかくした決意が揺らいでしまって困る。
 
「たつ、多蔦さんのお願いを聞いたからさ、一個だけ私も多蔦さんにお願い…… しても良い?」
「い、いいけど……」
 
 不思議と身体が強張って動けない。倉實さんからお願いなんてされたことがないから、ほんの少しの緊張が体中を走っていた。
 
「友達とふたりで写真とか撮ってもらったことないから…… 撮ってもらいたいなぁ、なんて」
 
 ……え?
 
「……そんなことでいいの?」
「そんなことでも、私にとってはたいしたことなんだよ」
 
 友達と写真なんてもう何枚も撮ってきた。プリクラでとか、スマホでとか。
 彼女にとっての『たいしたこと』を、『そんなこと』なんて思っているあたしが相手でいいんだろうか。
 
「あたしとでいいの?」
「多蔦さんとがいいの。友達だから」
「そ、そう。じゃあ撮ろっか」
 
 また腰を掛けなおすと、今度は肩と肩をぶつけても尚顔を寄せるように近づいてみせた。そこまでしなくてもレンズにはふたり写っているはずだけど、どうせなら仲良しに見えた方がいいでしょう。
 
「えいっ」
「ちょっと多蔦さんっ、くすぐっ、ぷふっ――」
 
 カシャッ
 今度は空を切る乾いた音をよく聞くことはできなかった。代わりに聞こえてくるのは彼女の笑い声。
 
「笑って笑って~なんていうよりも、こうしたほうが手っ取り早いしかわいいよね、やっぱり」
「もう、そういうことは初めに言ってよね」
「そしたら意味ないじゃん」
「まあ、そうだけど……」
 
 写真を確認してみるとあたしの思った通りだ、満面の笑みを浮かべている彼女とあたしがいた。既に過去となった今を画面越しに見つめて、少しばかり余韻に浸ってみる。あぁ、たまに人を撮ってみるのも良いかもしれないわね。
 
「私さ」
「うん」
「忘れられない思い出なんて、ないと思うの」
「急だね」
 
 よく無意識のうちに変なことを言ってしまうなんて言っていたけど、これはどっちなんだろう。
 おもしろそうだからもう少し様子を見てみることにする。
 
「けれど忘れたくない思い出はたくさんあるの。だからひとつでも、1枚でも形にしておきたかった。本当にありがとう、多蔦さん」
 
 様子を見ていたら不意打ちを食らった。
 さっきの倉實さん同様にあたしも頬がだんだん熱くなってきて、唇もどこか忙しい。視線だってあっちにもこっちにも向けてしまう。
 目線は定まらないけど、今まで見えてこなかったものがひとつ、見えてきた気もする。
 だからあたしは今度こそ床に手をついて立ち上がり、スカートについた埃を軽く払って歩き出す。
 
「こっちこそありがとね。また撮ろうね、それと練習がんばっ」
 
 またね。小さく聞こえたその声を背に廊下の静寂を破るように駆けだした。
 忘れられない思い出なんてない。たしかにそうだ。
 忘れられない思い出ばかりある。たしかにそうだ。
 忘れたくない思い出はまだ、ここにある。
 今はまだ覚えているけれど、もう過去だ。
 いつ忘れてしまうかなんて、わからない。
 わからないけどいつか来る。ぜったいに。
 だから収めるの。瞳に、そのフィルムに。
 向かう先はもちろん、彼女のいる部屋へ。
 息を切らしながら、一歩一歩踏みしめて。
 息を整え扉に手を掛け踏み出した。
 ねえ綾乃、私と一緒に写真を――
 続く言葉はない。
 言えなかった。
 知らない人が居た。
 髪の短い女性だった。
 鋏の小気味い良い音がする。
 綾乃はもっと髪が長くて、こう、散らばった髪を集めたらちょうどそんな……
 そんな感じだったような……気がする。
 
「あっ、多蔦さん! どう? 東口さん、ショートにしたいっていうからバッサリいってみたの!」
「結構伸ばしてたみたいだけど、本当に良かったの?」
「僕に長髪は似合わないなと思って」
 
 問いかけられても言葉なんて出るはずもない。
 忘れたくない思い出はもうあたしの頭の中にしかなくて、ここにはもうないと受け止めるのに、必死だったから。
 そこにないとわかってはいるけれど、頭でも身体でも理解したくない。夢なら早く覚めてほしい。こんなの現実見たくもないし、触れたくもない。
 
「ねえ多蔦さん、記念にファミリアみんなで写真とか撮ってみない? こういうこと今までしてこなかったし、記念にね」
「え、あ、はい」
 
 言われるまま手伝われるままに準備は粛々と行われていった。私の気持ちなんて置き去りにされたまま。現実感のないまま撮影は一瞬の間に終わって、その一瞬は忘れてしまいたい瞬間を永遠にした。
 画面と瞳に映った髪の短い女性を見て、思った。
 あぁ、私の知っている彼女はもう、いないのだと。
 
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