【完結】滴るあなたで溺れたい

テルミ

文字の大きさ
1 / 7

第1話 救いと報いの糸の先

しおりを挟む
母親が新しい男を連れてきた日、私は家という居場所から追い出されたような気分だった。
 今まで私にばっかり構ってくれた、一心に愛を注いでくれた母はそこに居ない。隣には上辺だけの笑顔を私に向ける知らない人が居て、他人が私の家で暮らしているみたい。
 けれど実際、あの家で他人なのは私の方なのかもしれない。
 逃げるように一歩一歩その足を進めていく。本当はもっと早く、どこか知らないところまで飛んで行ってしまいたかったけれど生憎、私に羽なんて生えていない。
 どうせ身体はどこにも行けないのだから、せめて心だけでも遠く遠く、遠く。
 だから、
 誰よりも早く登校した。
 進学する気もないのに希望して、遅くまで学校で勉強した。
 なりたくもない学級委員長に立候補した。
 何か考える時間が増えた。その時は家のことなんて忘れられるから。
 ノイズみたいに聞こえる街の、校内の喧騒が心地良い。家と比べてだけれど。
 一段一段階段を駆け上がる度に、空に近づいているような感覚がある。そんなことでも少し救われるような感覚がある。
 教室の扉を開けるとそこだけ、沈黙が広がっていた。毎日の喧騒がそこだけになくて、他愛のない話をいつもしている田中さんも今日は口を閉ざして、他の皆も沈黙を守り続けている。視線を一点に向けながら。
 それは私の後ろの潤井うるいさんの机に置かれた、空っぽの花瓶に。
 彼女は何も言わない。何もせず、ただただ俯いていた。
 水も注がれていなければ花も添えられていないそれはまるで、私みたい。
 注がれない愛に私は干からびて、そこに花なんてものは一輪も、咲くわけがない。
 教室の隅には奇妙に笑う顔がちらほらとあった。多分、そういうことなんだろう。
 気分が悪い。こんな、こんなところでも考えさせられるなんて。
 だから私は、そんな沈黙に亀裂を入れる。

「やめてよ、こんなこと」

 鞄を置いて、潤井さんの机に置かれたそれは掃除用具入れのバケツに重ねるように捨て、扉を閉じる。しっかりと閉まるように強く、強く、叩きつけるように。こんなもの、もう目に入れたくはないもの。
 その亀裂は徐々に徐々に広がり、いずれ破片をボロボロと散らせながら割れる。
 どういえば昨日さ、週末の大会が、明日の小テストが、言葉は波紋のように広がる。かくして私の喧騒は守られた。
 誰がやったのかは知らないけれど、もうこんなことはしないでほしい。私の求める日常を潰さないで。
 鞄の教科書を机に押し込んで、誰にも吐けるわけのない言葉は鞄に押し込めた。

空木野あきのさん」

 知らない声が聞こえた。小さくてか弱くて、今にも折れてしまいそうな声だ。
 それは後ろから、すぐ後ろの席からだというのに、私から伸びる影よりも遠くから発されているみたい。

「ん、どうしたの?」

 栗色の髪が陽光にさらされてキラキラと光る。
 あちらにもこちらにも向く視線に揺れる長いまつ毛に不思議と、目が奪われる。

「助けてくれて、ありがとう」
「別に、助けたつもりではないから。潤井さんが勝手に救われたと思っているだけよ」
「それなら、それでいいから、もう一回言わせて」
「――ありがとう」

 思い返すとその日が、その出会いが、その言葉が私を救うきっかけだったのかもしれない。
 これから始まる物語はまるで、救いと報いで紡がれた繭のよう。
 包まれた私は、どんな色の羽で飛び立つのだろう。
 今の私にもそれは、わからない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私と先輩のキス日和

壽倉雅
恋愛
出版社で小説担当の編集者をしている山辺梢は、恋愛小説家・三田村理絵の担当を新たにすることになった。公に顔出しをしていないため理絵の顔を知らない梢は、マンション兼事務所となっている理絵のもとを訪れるが、理絵を見た途端に梢は唖然とする。理絵の正体は、10年前に梢のファーストキスの相手であった高校の先輩・村田笑理だったのだ。笑理との10年ぶりの再会により、二人の関係は濃密なものになっていく。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

せんせいとおばさん

悠生ゆう
恋愛
創作百合 樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。 ※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

没落貴族とバカにしますが、実は私、王族の者でして。

亜綺羅もも
恋愛
ティファ・レーベルリンは没落貴族と学園の友人たちから毎日イジメられていた。 しかし皆は知らないのだ ティファが、ロードサファルの王女だとは。 そんなティファはキラ・ファンタムに惹かれていき、そして自分の正体をキラに明かすのであったが……

遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜

小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。 でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。 就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。 そこには玲央がいる。 それなのに、私は玲央に選ばれない…… そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。 瀬川真冬 25歳 一ノ瀬玲央 25歳 ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。 表紙は簡単表紙メーカーにて作成。 アルファポリス公開日 2024/10/21 作品の無断転載はご遠慮ください。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

春に狂(くる)う

転生新語
恋愛
 先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。  小説家になろう、カクヨムに投稿しています。  小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/  カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761

処理中です...