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第一章 蒼と雪の出会い
6.君を素敵な物語の主人公に
ねーじゅさんの中の人がクラスメイトの、しかもあの雪代怜愛だったと知ったのは衝撃だった。
まるでミステリー小説のラストで、男性だと思っていた登場人物が実は女性だったと明かされる叙述トリック──。
それに、まんまと騙されていた事にはたと気づかされたかのようだ。
そんな雪代に翻弄されるばかりだったオフ会の後は、特に変化のないまま数日が過ぎ、GWが明けて学校が始まった。
登校し、いつものように教室の自分の席で読書していると、いつもより少し遅めに登校してきた雪代に挨拶された。
「おはよう、緋本君」
「⋯⋯おはよう、雪代」
無視する訳にもいかず、不承不承ながらも挨拶を返した。
雪代は満足そうな顔で頷くと、その長い黒髪からふわりといい香りをさせながら、颯爽とした足どりで横を通り過ぎて一番後ろにある自分の席に着いた。
「おい、あの雪代さんが挨拶したぞ」
「しかも相手はまたあの陰キャかよ。この前は白鳥さんに構われてたくせに⋯⋯妬ましい、恨めしい⋯⋯」
「あんな根暗なやつより、俺の方が何倍もイケてるだろ」
「私、雪代さんが誰かに挨拶するの初めて聞いた」
「処す?」
白鳥の時以上に教室が騒がしくなる。
こうなるって分かっていたから、雪代には学校では今まで通りの距離感でいようって念を押して言っておいたのに⋯⋯。
あの時生返事だったのは、そうするつもりはないって事か。
はぁ⋯⋯今後が思いやられるな⋯⋯。
それはそれとして、最後に呟いたやつ! また君か! いい加減その物騒な発想はやめろ!
俺が行き場のない怒りに内心悶々としていると、後ろから肩をぽんぽんと叩かれた。
今度は何だよと振り返る。
「緋本氏。少しばかりボクの話に付き合ってくれませんか?」
そう声をかけてきたのは、後ろの席の江南桜。
髪を左右に分けて耳の下あたりで二つに結んだおさげの女子。
顔立ちは可愛らしいのだが、リアルでは珍獣みたいな存在のボクっ子な事を初め、言動が少々奇抜な変人として扱われていて、男子達からは残念美少女と呼ばれている。
「何だよ、江南。俺達これまで会話なんてした事なかっただろ?」
つんけんした態度で言った。
「はい。緋本氏については、冴えない根暗な陰キャぼっちという認識は今も変わっていませんし、単体としての貴方への興味はミジンコ程にもありません」
「君、少しはオブラートに包めよ······」
なぜ親しくもない相手にここまで下に見られ貶されなければならないのか。嘆かわしい事この上ない。
「ですが、先程驚愕の事実が判明しました。その緋本氏に、なんと! あの上位カーストの中でもさらに上澄み! 孤高の存在として他者を寄せ付けない雪氷の美姫! トレードマークの白いニーハイソックスと太ももの境界線が作り出す絶対領域が今日も眩しい! とステータスが盛りに盛られた雪代怜愛氏が、自ら挨拶をしたではありませんか。これはこのクラスが始まって以来の大事件ですよ! 一体二人はどういった関係なんですか? 私、気になります!」
江南が、早口で一気にまくし立て、某人気アニメに登場するヒロインが、好奇心の権化と化した時に言うのと同じ決め台詞で締めた。
「どうって⋯⋯俺達は君が勘繰っているような関係じゃないよ。ちょっとした知人程度ってところだ」
鼻息荒く興奮して詰め寄ろうとする江南に若干引きながら、当たり障りない答えを返す。
「それは建前ですよね? ボクの見立てでは、二人はただならぬ関係だと思われます」
「ただならぬって⋯⋯はぁ⋯⋯君と話していると疲れる⋯⋯とにかく俺と雪代はただのクラスメイトであって、それ以上で以下でもない! 以上だ!」
ピシャリと言い切るが、江南は納得していないようで、さらに言い募った。
「嘘です! ボクの第六感がキュピーンと反応を示しました! 予想以上に頑なですね。もしや何か見返りを求めているんですか? それでしたら、今ボクが履いているパンティについての情報を提供して差し上げましょう。色は淡いパステルブルーでリボンのついたとってもキュートなお気に入りのやつです。どうです? グッときたでしょう? さぁ、いい思いをしたんですから、ちゃっちゃと吐きやがれください!」
「君、恥じらいを母親のお腹の中に忘れてきたんじゃないか?」
ド変人改めド変態の江南に対し、軽蔑しつつ突っ込む。
「むぅ。これでもまだ足りないって言うんですか。この欲張りさんめ。いいでしょう。では大奮発してボクの豊満な胸を揉む事が出来る権利を貴方に与えて差し上げます」
そう不穏な言葉を発したかと思うと、江南は不意にガッと俺の手首を掴み、自分の控えめに膨らみを主張している胸へと持っていった。
「やめろ! 俺に性犯罪者のレッテルを張って、公開処刑に晒させるつもりか!」
俺は慌てて江南の手を振り払い寸前でそれを阻止すると、声を大きくして咎めた。
なんてやつだ。
こいつに関わっていると、俺の学生生活が終わりかねない。
俺の危機管理センサーが警鐘を鳴らす。
「失敬。今のはボクのお茶目な美少女ジョークです」
悪びれる素振りも見せず、当然のようにして言う。
「君もかよ⋯⋯なんで俺の周りには、自分の事を美少女と呼んで憚らない女子が二人もいるんだ⋯⋯」
俺は遠い目をして嘆くように零した。
「それで、正直なところ、実際はどういった関係なんですか? 冴えない根暗な陰キャぼっちでクソザコ童貞の緋本氏が、一体どうやったらあの雪代氏のダイヤモンドよりも硬いガードを崩せるって言うんです? 秘密は厳守しますから教えてください」
「不名誉な称号が増えてる⋯⋯分かったよ。教えるから、もう俺を社会的に殺すような美少女ジョークとやらは止めてくれよな」
「分かりました。武士に二言はありませんで候」
「なぜ突然武士に⋯⋯まぁ、君そんなんじゃ友達なんて一人もいないだろうし、教えたところでそれを話す相手もいなさそうだもんな」
「えへへ、照れますね」
とおさげ髪をくしくしと弄りながら。
「褒めてる訳じゃないんだけどな⋯⋯まぁいいや。確かに俺と雪代には特別な繋がりがある。共通の趣味っていう繋がりがな」
「趣味ですか? というと、緋本氏の唯一のアイデンティティとして知られる読書の事ですか?」
「まぁそんなところだな」
正確には創作活動を通じてだが、そこまで伝える必要はないだろう。
「なるほど。あの雪代氏が実は本の虫だったと。これは貴重な情報をいただきましたね。ごっつぁんです」
言いながら力士のように手刀を切って見せる。
こいつさっきから武士になったり力士になったりと忙しいやつだな。キャラブレしてるじゃないか。
「これで君の好奇心は満足させる事が出来たはずだ。もう、いいだろ?」
「はい。今日のところはこの辺で許しておいて差し上げます」
と偉そうに。
「なんで上から目線なんだよ⋯⋯君が教えてくれって頼んだ側だろ」
「また新情報が手に入ったら教えてくださいね。では今後ともご贔屓に。ばいちぇ」
意味不明な言葉で会話を終わらせると、江南は机の引き出しから、一冊の雑誌を取り出した。
──なんだ、噂に違わぬ変人っぷりだと思っていたけど、今時の女子高生らしくファッション雑誌なんて読むんだな。意外な面もあるもんだ。
なんて感心したのも束の間、よく見ると、それはファッション雑誌なんて洒落たものとは違い、全く異質の怪しげなオカルト情報誌だった。
──って月刊ヌーかよ! 驚きについ二度見したわ! 今時の女子高生で月刊ヌーを購読してるやつなんてそうそういないぞ! やっぱりこいつただのやべぇやつだ!
こうして江南は、腐女子橘に続き、めでたく俺の中で要注意人物としてその名が刻まれる事になった。
§
「緋本君、お昼はいつもどこで食べてるの?」
午前中の授業が終わり昼休みになってすぐに、雪代が俺の席までやってきて尋ねた。
「屋上に通じてる階段の踊り場だけど」
「そっか。いつも昼休みになると教室を出ていってたから、学食にいってたのかと思っていたよ。ちなみにお弁当?」
「いや。朝学校に来る途中のコンビニで買ったパンと珈琲」
言いながら、それらが入ったエコバッグを掲げて見せる。
「それじゃあ私もお弁当だからそこで一緒に食べよ」
そういう事になり、俺達は教室を出てその場所へ向かった。
「こんな穴場があったんだ。確かにここなら他に誰もこなさそうだから、ゆっくり出来そうだもんね」
雪代が階段の一番下の段に、俺と並ぶ形で腰を下ろす。
「⋯⋯近くないか?」
今にも肩と肩が触れ合いそうだ。
初めての会話で、見返りに自分の身体を差し出そうとした距離感のバグっている江南程じゃないにしても、少しばかり戸惑いを覚えてしまう。
「普通でしょ」
「そうか?」
「そうです」
押し切られた俺は、甘んじて受け入れる事にするしかなかった。
「ねぇ。朝、後ろの席の江南さんと何だか楽しげに話してたみたいだったけど、彼女とは仲がいいの?」
弁当のミートボールを箸で摘んで口に運びながら雪代が問う。
彩りもいい美味そうな弁当だ。
彼女の母親に作ってもらっているんだろうか。
「別に。会話したのは今日が初めてだ」
味気ない惣菜パンを齧りつつ答えた。
このウインナーパン、パサついてるな。
「ふぅん。でも興味あるんじゃない? 彼女可愛いもんね」
「顔立ちだけはな。中身はとんでもない変人だからプラスとマイナスで相殺──否、マイナスが大き過ぎるから、やっぱりろくでもないやつだ」
と吐き捨てるように。
「ディスり方が酷いね。でも君達って、どこか似ている部分があると思うんだけどな」
「やめろよ。あんなアナーキーなやつと一緒にしないでくれ」
心底嫌だった。あれと似ているなんて、蛇や蜥蜴と同列に置かれるようなものだ。
「君はそう思っていても、彼女の方では君に興味がありそうだよ」
「あいつが興味があるのは、雪代との繋がりがある俺だよ。俺単体には全く興味がないと断言していたからな」
「緋本君は、複雑な乙女心ってものをもっと学んだ方がいいと思う」
「どういう意味だ?」
含みを持たせた言い方に意図を図りかねる。
「それは自分で考えてみてね」
「はぁ⋯⋯俺は男女の機微ってやつに疎いんだけどな⋯⋯」
うんざりと溜息を吐きつつボヤくと、気になっていた事を追求するために続けた。
「それよりどういうつもりなんだよ。学校ではこれまで通りの距離感でいて、俺達の関係は秘密にしておくって約束したはずだろ?」
「ん? 私はそんな約束した覚えはないよ」
素知らぬ顔で嘯く。こいつ確信犯だな。
「惚けるなよ。確かに言ったぞ」
はぐらかそうったって、そうはいかないぞ。
「だって君と学校でも普通に会話したりしたかったんだもん。いい加減あの一軍グループとやらからも離れたいしね。でも一番の目的は、君をこのまま孤立させておきたくないからだよ」
「俺は今の立ち位置を結構気に入ってるんだけどな。人間関係の煩わしさに振り回されずに済むし」
「確かにそれは気持ちの一部ではあるだろうけど、人間の心っていうものはそんなに簡単に割り切れる程に完璧には出来ちゃいないよ。君がどれ程の痛ましい過去をその内側に抱えているのかは分からないし、無理に聞き出すつもりもないけれど、いつまでも本当の自分を隠して陰に身を潜めるようにして生きていたら、その内孤独に押し潰されちゃうよ」
鹿爪らしく言い切った。
「心配してくれてるのは分かるけど、ちょっとお節介が過ぎるな。それに友達を作ろうとこちらから歩み寄ったところで、俺みたいな爪弾き者の相手を好き好んでしようなんて人はいないよ」
「私がいるでしょ? これでも付き合う相手は選んでるからね。私のお眼鏡に適った君は、それだけの魅力があるって事だよ」
「買い被り過ぎじゃないか? 俺なんて、ただのペシミスティックな社会不適合者でしかない」
「君はすぐにそうやって自分を卑下しようとするけれど、それは君の本質じゃない。君はもっと周りから認められるべきだよ。ただ、それには君自身が得難い存在だって自覚する必要がある。そのために必要なのは、周りからの好感度だね。周りに気に入られて好かれれば、自ずと自信も付いていって、ポジティブな生き方が出来るようになるはずだよ。実は今、それを実現するための計画を練っているところなんだ。内容を詰めてその内君に伝えるね」
「計画って⋯⋯何か地雷な気配をひしひしと感じるんだが⋯⋯」
嫌な胸騒ぎしかしない。
ねーじゅさんは神作『変調愛のテロル』で、主人公のヒロインに奇抜な策を弄させているからな。
その計画とやらも、そういった類の策で溢れていそうだ。
「何、それ程難しい事じゃないよ。君ならきっと成し遂げられるはず」
そうさらりと何でもない事のように軽い調子で告げると、
「覚悟しておいてね。きっと私が暗い闇の中で怯えている君を、光の当たる華やかな表舞台に引きずり出して、素敵な物語の主人公にしてあげるから」
その黒目がちなアーモンドアイを細めながら、不敵に悪戯っぽく笑った。
その笑顔は、まるで一つの雪花のように美しく透明で、俺は思わず、稚い少年が年上のお姉さんに一目惚れするような初心さで見惚れてしまった。
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