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第五章 過去の傷と癒やし
25.祖父の法事と過去のフラッシュバック
「蒼介君、久しぶりだね。以前見た時とは随分印象が違うけれど、そちらの高校では上手くやれているかい?」
その問いに俺は、「可もなく不可もなくだよ」と当たり障りのない返答をした。
俺の父さん──緋本空は、俺に柔らかい笑みを向けながら、「そう」と短く相槌を打つ。
父さんは今年で丁度四十代に差し掛かり、趣味が高じて仕事に繋がった大手アウトドアメーカーで企画課課長を務めている。
一人暮らしをしている俺が不自由しないだけの余裕を持たせた仕送りを毎月してもらっていて、ありがたい限りだ。
若い時は艶々していた短い黒髪にも、最近は白いものが目立つようになってきた。
俺達の見えないところで苦労しているからかもしれない。
受けた恩は、いい大学に合格し、いい仕事に就く事で返したいと思っている。
「蒼兄さん、お久しぶりです。その髪型、よく似合っていますよ。私が血の繋がりのない義妹でしたら、素敵な蒼兄さんと結ばれる事も出来たのに······」
このように、俺の実妹で、髪を耳横で細いリボンを使いツインテールに結んでいる中学三年生の緋本和咲は、少々ブラコンの気があるのだ。
幼かった頃は、仲のいい兄妹ならありがちな結婚願望も、この歳になってのそれは、正直かなり恥ずかしい。
あどけなかった顔立ちも、成長して大人びた美少女に変わってきているので、尚更だ。
成績は常に上位だし、運動もそつなく熟し、幼少時から続けているピアノの腕前はコンクールで優勝する程に才能に溢れた妹なのだが、中々兄離れしてくれないのが唯一残念なポイントと言える。
「それじゃあいこうか」
父さんに促され、俺は和咲と一緒に、父さんの愛車ハイブリッド高級セダンに乗り込んだ。
今日は俺の祖父の七回忌が地元の菩提寺で行われる。
俺が小五の時に亡くなった祖父は、生前空手道場の運営と指導者を務めていて、俺もそこに通っていた。
厳格ではあったが、同時に孫を可愛がる一面もあり、俺と和咲の誕生日やクリスマスには毎年必ずプレゼントを用意してくれていた。
その頃の事を思い浮かべつつ、他の集まった親族らと共にお寺の本堂で読経、焼香、法話の儀式を終え、そのまま墓参りをした。
その後は、家族三人だけでのカジュアルな食事会を行う為に、近場にあるファミレスにいった。
昼下がりの時間帯で、既に書き入れ時を過ぎているためか、店内の客は疎らにいる程度だった。
若い女性の店員に、「ではお好きな席にどうぞ」と促され、空いていた窓際の席を選んで座った。
座席順は、窓際に俺、その隣に和咲、そして俺の対面に父さんだ。
窓外には、道を間に隔てて向こうの通りに立ち並ぶ街路樹を見る事が出来る。
あれはシナノキだろうか。
この店に入る前に、レモンやライムにも似た甘酸っぱい香りが風に乗って漂ってきていたのは、その花からだろう。
「二人とも遠慮せずに好きな物を食べていいからね」
父さんにすすめられて、和咲と俺は、
「私、このチーズクリームパスタにします」
「俺はチキンドリアを頼もうかな」
「そちらも美味しそうですね。蒼兄さん、よければ私のチーズクリームパスタと半分ずつシェアしませんか?」
「マナー違反にならないか?」
「高級なフレンチレストランじゃあるまいし、その程度じゃ咎められはしませんよ」
「それなら俺はかまわないけど」
「二人は本当に仲がいいね」
微笑ましいものを見るように目を細める父さん。
ブラコン気味の和咲の間接キスにもなるその提案も、仲睦まじい兄妹のやり取りくらいにしか映っていないんだろう。
「それにしても、蒼介君は本当に見違えたね。誰が見ても爽やかな好青年と言うだろうし、その分じゃ学校でも女の子達が放っておかないんじゃないかい?」
注文を終えた父さんが、楽しげに興味を示しながら問う。
「確かに髪型を変えて素顔を晒す事で多少騒がれはしたけど、元が冴えなかった分のギャップでそうなってるだけの一過性のものだよ」
ネット上のミームみたいなものだな。SNSなど一時的にバズりはしても、瞬間的に人気を得たものは、すぐに新しいものにとって代わられる。
「誰ですか? その私から蒼兄さんを奪おうとする泥棒猫は。処しますよ?」
それまで楽しげにしていた和咲が、突如豹変したように剣呑になる。
「戻ってこい、和咲。そんな相手はどこにも存在していない」
可愛い妹まで憎き甘粕のようになってしまったら、兄さんは悲しいぞ。
「否、憎からず思っている子は確実に五人はいると思われるね」
父さんが面白がるように言う。
「なんですって······? 泥棒猫が五人も······」
「父さんも火に油を注ぐのはやめてくれ」
「ははっ。モテる男は辛いね。天国にいる父さんも、そんな風に立派に成長した蒼介君を見れて喜んでいたはずだよ」
と声を上げて笑いながら。
「立派って言うなら、俺なんかよりも和咲の方だよ。俺には和咲みたいに、音楽で人を感動させる事は出来ない。祖父さんだって、和咲のピアノを聴くのをいつも楽しみにしていたじゃないか」
「確かに和咲さんは優秀だけど、蒼介君だって君らしいよさがあるって事を僕は知っているよ。僕にとっては二人とも、結月さんが遺してくれたかけがえのない宝物だ」
愛おしいものをみるように目を細めつつ。
「······父さんは、そういうところずるいよな」
この先どれだけ経ったとしても、父さんには敵わないだろうと思わされた。
§
「必ず夏休みには蒼兄さんの部屋に泊まりにいきますからね」
食後のレモンティを飲みながら、和咲が何度も念押しする。
いくら実の兄妹とはいえ、年頃の男女が同じ部屋で寝るというのはどうかと一度は断ろうとしたのだが、結局はごり押ししようとする和咲の迫力に負けて首を縦に振ってしまった。
「分かったよ。それで何泊する予定なんだ?」
エスプレッソの香り高くクリーミーな口当たりと濃厚な風味を味わいつつ尋ねる。
「お盆期間一杯です。おそらく四日間になるでしょうね」
「そんなに? ピアノのレッスンとかで忙しいんじゃないのか?」
「お盆期間中は一週間程お休みがもらえるんです。リフレッシュする時間も大事ですからね。その間、蒼兄さんエキスを存分に堪能させてもらいます」
「俺の身体ってエキスなんか出てるの?」
何だそれ。フェロモンみたいなやつ? およそ俺の常識とは食い違っているな。
「はい。それを十分な量摂取すれば、私は後十年は戦えます」
キリッと顔を引き締めながら、毅然として言い切った。
「えぇ······高級エナドリも貧相に思えるくらいの効果·····そんなヤバいクスリみたいな······くれぐれも適量を守ってな·····」
何て事だ。暫く会わないうちに、妹のブラコン度は少々どころか、手に負えないレベルにまで悪化していたというのか──。
俺は処置なしと、そう諦念を抱きながら嘆くように呟いた。
そんな兄の気持ちを察してはくれない和咲は、来たるお泊り会の事を思ってか、機嫌良さげにふんふんと鼻歌を口ずさんでいる。
──まぁいいか。和咲が幸せそうにしてれば、それで。
胸の内でそう思いつつ、ふと何気なく窓外の景色に目をやった時──。
──ドクン!
心臓が大きく跳ねた。
脳裏に、過去に見たネガティブな情景がフラッシュバックする。
目を疑うような信じられない光景──。
無情にも振り払われた手──。
周りから向けられる刺すような冷たい視線──。
胸の奥底に閉じ込めてキツく蓋をしていたはずの忌まわしい記憶が次々と甦り、激流のような勢いで襲ってくる。
「う······」
「蒼介君······?」
「蒼兄さん、どうしたの······?」
様子の可怪しい俺を見て、二人が心配そうに声を掛ける。
「はぁ······はぁっ······」
俺は息を荒げながら、痛む胸を手で押さえつつ、テーブルに突っ伏した。
「蒼介君!」
「蒼兄さん!」
二人が必死に呼びかける声が微かに響く中、俺はそのまま意識を失った。
§
──ここは······?
ゆっくりと目蓋を開く。
飛び込んでくる光の刺激にまだ慣れず、目を瞬かせる。
そうしていると、俺が横たわるベッドの横で椅子に座りながら、掛けられた布団に覆い被さるようにして顔を埋めていた和咲がぴくりと反応した。
「······ん」
顔を上げ、まだ微睡みの中にいるのか、状況が把握出来ていないようで、寝ぼけ眼で周囲に視線を巡らせる。
すると、次第に意識がはっきりとはしてきたらしく、目覚めて上半身を起こしている俺をそのヘーゼルの瞳に映すと、一瞬驚いたように目を丸くした後、
「蒼兄ぃ!」
名前を呼びながら抱き付いてきた。
「ごめんな。心配かけたみたいで」
俺は子供をあやすように和咲の頭を撫でた。
「蒼兄ぃが、急に苦しみ出して倒れた時は、私、どうなるかと思ったよ······このまま二度と目覚めなかったらどうしようって······でも、よかった······」
ぐすぐすと涙混じりの声で、不安だった事と、言葉の最後には安堵した事を呟く。
いつもの敬語口調が崩れているが、和咲は何かが起きて感情が昂ぶった際にはそうなるのだ。
通常は抑えて制御している素の自分が表に出てくるんだろう。
「ここは病室だよな。もう午後六時を過ぎてるのか。あの後俺はどうなったんだ?」
壁に掛けられた時計に視線を向けながら、ここに運び込まれるまでの経緯を聞いた。
「すぐにお父さんが携帯で救急車を呼んで、蒼兄ぃは意識が戻らないままこの病院まで搬送されたんだよ」
「精密検査とかも受けたのか?」
「うん。念のためにって。でも、どこも異常はなかったみたい。医者の先生が言うには、心因的なショックを受けた事によって一時的な過呼吸状態に陥ったんでしょうって」
「そうか。それで、父さんはどこに?」
「今日一日は安静にして様子を見た方がいいって事で、入院のために蒼兄ぃの着替えを買いにいってくるって言って出ていったよ。その内戻ってくると思う。私は戻るのを待つ間にうとうとしてきちゃって、ちょっとだけ寝ちゃってたみたい」
「父さんにも心配と迷惑をかけちゃったな······後で謝っておかないと」
「そんな事気にしなくてもいいんだよ。蒼兄ぃが無事だったってだけで、私達は満足なんだから」
その後、俺の替えのパジャマや下着を持って父さんが病室に戻ってきて、無事に意識が戻った事を涙ながらに喜ばれた。
二人とも、何故俺が一時的な過呼吸に陥る程の心因的ショックを受けたのかについては、一切触れようとはしなかった。
多分、俺の気持ちを慮ってくれたんだと思う。
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