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第九章 体育祭ともじの広場
65.バズる
おにぎりとお茶で簡単な昼食を摂り終えた後、午後からの売り子には、昼食前に戻ってきていた怜愛がつくことになった。
「未だ売れたのは一冊だけ。それに比べて、あちらさんは、もう二十冊くらい売れてるみたいだぞ? 惨敗する未来しか見えないんだけど⋯⋯」
俺が自信なさげに話し掛けると、それに反して怜愛は、マスクを嵌めているので口許は見えないが、それでも余裕たっぷりに見える態度で答えた。
「まぁ見てなって。今に勝機が訪れるから」
「いいんですか? そんなハッタリを利かせちゃって。それ、恥の上塗りってやつですよ?」
隣のブースにいる揚羽が、そんな怜愛を勝ち誇ったように嘲笑う。
けれど、怜愛はそれには取り合おうとせず、先程他のブースを回って購入してきていた薄い冊子の小説を読み始めた。
「ふん。そうやって余裕ぶっていても、内心焦っているのは分かってるんですからね!」
無視された揚羽が、ぷんすこと頬を膨らませて、憤る。
そうして、ブースに立ち止まる人も殆どいないまま、時間は刻一刻と過ぎていき、午後三時となり、閉場まで残り一時間を残すのみとなった。
──もう駄目だ⋯⋯幾ら内容がよくても、やっぱり知名度だったり、宣伝だったりが必要だったんだ⋯⋯。
そう俺が、無策でこの勝負に挑んだ事を悔やみながら、打ちひしがれようとしていた時──。
ここで、状況は一変する。
ついさっきまで閑古鳥が鳴いていたはずの俺達のブース。
そこに、この終わりまで間近となった時間帯に、新たに会場入りしてきたと思われる一般参加者達五人が詰め掛け、先を競い合うように、作品を買い求めていったのだ。
「どういう事ですか⋯⋯?」
予期せぬ事態に、隣のブースで売り子をしていた揚羽が、怪訝に眉を顰めた。
「ん。光、これ見て。『コスメティック悪役令嬢の華麗なる下剋上』を書いたのがねーじゅ先生だって、その筋じゃ有名なラノベ専門の書評ブロガーのSNS上で特定されてる」
夏伐さんにそう伝えられ、向けられたスマホの画面を見た揚羽の口許が、ひくりと引き攣る。
これは、イベント後に確認した事だが、その書評ブロガーのSNS上では、こういうメッセージのやり取りが行われていたらしい。
『今開催中のもじの広場で、「変調愛テロル」のねーじゅ先生が執筆したと思われる文芸同人誌を発見。ソースは書評ブロガーとしての勘。未だ全然売れてなかったから、欲しい人は会場までどうぞ。表紙の画像も貼っておく』
『そのツイ見て、何だよ、ただの勘かよ? って疑いながらも、とりあえず会場まで確かめにいったら、マジっぽかったんで即購入したわ。ペンネーム少し変えてあるから、他の一般参加者達には気付かれてないっぽい』
『俺、会場組。教えてくれてサンクス。スルーするとこだったわ。未だ冒頭部分しか読んでないけど、文体の癖みたいなもんが、まんまねーじゅ先生なんだよなぁ。先生が作品で頻繁に使うお気に入りの言い回しも入ってるし。ちな、先生がアマチュアだった時からの古参勢』
『ペンネームもネージュブルで、ねーじゅって入ってるし、間違いないだろ』
『私、ねーじゅ先生の大ファンなんだ。そのねーじゅ先生の異世界転生悪役令嬢ものなんて、ファンとしては絶対ゲットしたい』
『俺地方在住だから、無理だわ。ネットショップで委託販売してくれたらいいんだけど』
SNSのトレンドにも『ネージュブル』が、下位ではあるものの一時的にランクインしており、軽くバズっている状態だったらしい。
そんな訳で、そこから後の展開は、推して知るべしといったところ。
間断なく次々と押し寄せる購入者の波に、こちらの対応が追いつかなくなる程。
気付けば、三十分程前までは、残り五十冊近くも売れ残っていていた文庫本が、一冊も手許にない状態に。
「ありがとうございます! おかげさまで、『コスメティック悪役令嬢の華麗なる下剋上』完売しました!」
俺は、そう声を大きくして告げると共に、深々と頭を下げた。
周りにいた一般参加者達から、パチパチと温かい拍手をいただき、また、購入出来なかった人達からは、「続きは通販でお願い!」などの声も上がった。
怜愛はその光景が見れるのを初めから予期していたように、満足げに目を細めていた。
§
「私が執筆に関わっている事はバレちゃったみたいだけど、そちらの出した条件通りマスクと帽子で変装してたんだから、文句はないよね?」
閉場後、俺がブースの後片付けをしている横で、マスクを外した怜愛が、向かい合って立つ揚羽にしたり顔で言った。
「ぐぬぬぬ⋯⋯でも、結局プロ作家ねーじゅのネームバリューがなければ、これ程の差は⋯⋯」
口惜しそうに唸りながら、揚羽が食い下がろうと足掻く。
「そうだって気付かせたきっかけは、私の筆力だよ。私の書く文章は、それだけの力があるって事の証明。まぁ今回は蒼介君の力も少なからず影響したっていうのは認めるけどね。でもそれは、事前に提示されていた条件の一つで、そっちも受け入れた事だったはずだよね?」
「ぐぎぎぎ⋯⋯」
何も言い返せず、歯が折れそうな程に奥歯を噛み合わせる揚羽。
「ほら見た事ですか。所詮貴女は、アマチュアの世界で、ほんのちょっと、極僅かな層にウケただけの井の中の蛙なんですよ。怜愛さんが蝶々ちゃんなら、私は貴女をこれから蛙ちゃんと呼ぶ事にしましょう。よかったですね。これで可愛いニックネームが二つに増えましたよ」
怜愛の隣に両手を腰に当てて仁王立ちする和咲が、容赦のない追い打ちを掛ける。
「⋯⋯うわぁーん! ママに言い付けてやるー! 覚えてろーっ!」
揚羽は、子供のような捨て台詞を吐きつつ、涙を流しながら、他の『ライターズシエスタ』のメンバーを残したまま会場の外へと逃げるように走り去っていった。
§
展示即売会イベント──もじの広場から帰ってきた後。
未だ夜が目覚めて間もなく微睡んでいるような時分に、怜愛との第九ミッションの振り返りミーティングが始まった。
BGMとして鳴っているのは、鮮烈なトランペットのファンファーレで幕を開ける吹奏楽曲『三日月の舞』──。
京都の吹奏楽部が、顧問の指導のもと、全国を目指して成長していく物語を描いた青春アニメで、その吹奏楽部がコンクールで演奏した曲だ。
個人的には、淡々としたマイペースで、口数少なくあまり感情を表に出さない女子生徒の吹くオーボエソロが好みだ。
ねーじゅ『いやー、蝶々ちゃんのあの悔しさに歪みまくった涙顔の可笑しさったらなかったねー。あー、せいせいした』
ブルー『君、揚羽の事になると、途端に性格悪くなるよな。和咲も同じく。後輩なんだから、すこしは手加減して優しくしてやれよ』
ねーじゅ『嫌だね。蝶々ちゃんは私の大事なものを奪おうとしたんだ。その罪は重いよ』
ブルー『彼女が、君の何を奪ったってんだよ』
ねーじゅ『それを君が聞く?』
問い返されたが、思い当たる節はない。
バックで流れる曲は、アニメのタイトルとしても使われているユーフォニアムの柔らかく温かい音色が優しく包み込む、『響け! ユーフォニアム』に変わっていた。
ブルー『答えを持たない問いには、答えようがない。強いて言うなら、答えがないのが答えだ』
ねーじゅ『”答え”って言葉が多用されていて、ゲシュタルト崩壊を起こしそうだよ』
ブルー『俺のレトリックは、お気に召さないようで』
ねーじゅ『悪くはないけどね。君がネージュブルとして書き上げたあのラストシーンの鮮烈さには、ちょっと及ばないかな』
ブルー『あれは、ライターズハイ状態だったから生まれた描写だよ。二度とあんな風にはなれないと思う。というか、なりたくない』
ネット上でも、ねーじゅ先生の新境地として騒がれている『コスメティック悪役令嬢の華麗なる下剋上』だが、問題の俺が書き上げたラストシーンとその後のエピローグについての感想は──。
『あの告白のラストシーン、よかったなぁ。おかげで記憶に残る作品になったわ』
『でも、その前までと、文体がちょっと違ってるように思えなかった?』
『ネージュブルって、「変調愛テロル」のねーじゅ先生と、スカーレット&ブルーってWeb作家の共同ペンネームらしいぜ。高校の文化祭の時も演劇脚本を共作したらしい』
「長いな。縮めてブルーでいいだろ。だからか。どういう事情でかは知らないけど、ラストシーンとエピローグはそのブルーってやつが書いたんだろうな。文体模写して隠そうとはしてたみたいだけど、個性がそこかしこに滲み出てたよ』
『俺、そのブルーの作品、気になったからちょっと読んでみるわ」
俺が、ゾーンに入ったような状態で徹夜で仕上げたその部分は、好意的な意見が殆どだった。
文体の変化に戸惑ったという意見も多かったが、それでも内容はいいと褒めてくれていた。
ねーじゅ『漸く、君の作家としての魅力が広く理解されるようになってきたね』
文章だけでも、彼女が喜んでくれているのが伝わってくる。
彼女はいつも、陰に潜んでいようとする俺を、日の当たる世界へとつれていこうとする。
夕星が、むき出しの夜の始まりをその光芒で刻み浮き彫りにして、韜晦しようとする青い魂を晒すみたいに──。
奏でられる、マーチ『プロヴァンスの風』が、スパニッシュな陽気で情熱的に震える空気を運んできてくれていた。
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