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第十三章 アイドル転校生との勝負
95.芸能界の闇
二月下旬。
三連休の中日に当たる日曜日の今日。
怜愛が、アイドル事務所『アウロラプロモーション』からの小説を執筆して欲しいというオファーを受けるかどうか──。
その交渉の席が、麻布にある高級フレンチレストラン『クローネ』で設けられる事になっている。
「蒼介君、スマートカジュアルも似合うね。素敵だよ」
空が、軽快にスウィングする陽気なジャズナンバーを思わせる橙色に染まる夕方、自宅の前で待っていた怜愛が、迎えにきた俺の格好を褒めた。
今日の俺は、アウターは紺色のテーラードジャケット、トップスは白の襟付きシャツ、パンツはグレーのスラックス、シューズは革靴という、王道のジャケパンなスマートカジュアルスタイルで纏めてみた。
その上から、防寒の為に黒のロングコートを羽織っている。
「怜愛の方だって、どこのお姫様だよ、って感じだぞ」
怜愛はと言えば、ベロア生地の鮮烈なワインレッドに染められた七分袖のドレスを身に纏い、その上からは黒のカシミヤストール羽織り、足にはパンプスにストッキングを着用している。
「ふふっ。ありがと。嫌な会食だけど、君と普段はしない大人なお洒落をしてお出かけするのは楽しみだよ」
喜色を含んだ声で笑いを零しながら。
「光栄だな。こんな綺麗なお姫様をエスコート出来るなんて」
気の利いた言葉を返す。こういう時くらいは、少々格好を付けても許されるだろう。
「君はそんなお姫様を守ろうとする騎士様だね」
目を細めながら、頼りにしてるよ、と続けた。
そんな会話をしていると、通りの向こうから、一台のリムジンが近付いてきて、俺達の前に停まった。
アイドル事務所の社長が気を利かせて寄越してくれる事になっていた。
その車内から、運転手の四十代半ば程の壮年男性が出てきて、
「こんばんは。雪代様でいらっしゃいますね。本日担当させていただきます赤井でございます」
運転手の赤井と名乗った壮年男性は、そう畏まった挨拶をすると、「では、どうぞこちらへ」と後部座席のドアを開けて促した。
「じゃあ、エスコートを頼むよ」
「ああ」
俺は怜愛が差し出した手を取り、騎士がお姫様に馬車へと向けてそうするように、車内に優しく紳士的な所作で迎え入れた。
「麻布のフレンチレストラン『クローネ』へお送りします。出発の準備をしてよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
「承知いたしました。では、出発します」
赤井さんの問い掛けに怜愛が答えて、リムジンが走り出した。
§
出発から三十分程で、俺達の乗るリムジンは、目的地の高級フレンチレストラン『クローネ』の駐車場に到着した。
「では、私はここで待機して帰りをお待ちしています。いってらっしゃいませ」
運転手の赤井さんにそう送り出された俺達は、駐車場を出て、店まで歩いた。
やがて、その交渉の舞台となる『クローネ』の前に立つ。
ドイツ語で『王冠』を意味するだけあって、威風堂々とした佇まいだ。
その黒を基調としたシックで高級感溢れる外観に気圧されながら、怜愛と一緒に木の重厚な自動ドアを潜り、店内へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
エントランスで、グリーターをしている三十前後と思われる男性に心地よい笑顔を添えた丁寧な対応で迎え入れられた。
けれど、その自分に向けられた視線に、品定めされているような感覚がして、思わず萎縮してしまう。
一介の高校生でしかない俺に、こういう雰囲気は敷居が高すぎる。
「当店は完全予約制となっております。人数とお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「予約していた雪代です。人数は私達二人で、それぞれ予約は別個に取っています」
怜愛がその問いに答えた。彼女はプロ作家としてこういう店にも慣れているのか、泰然としている。
「雪代様ですね。『アウロラプロモーション』の方々が先にきてお待ちですので、そちらの個室へとご案内させていただきます。そちらのもう一名の方は、私が戻るまで、少々その場でお待ちになっていてください」
「「分かりました」」
二人で揃って頷きを返すと、
「それじゃあ、いってくるね。蒼介君はここの料理を楽しんでいて」
怜愛はそう告げ、グリーターの男性に連れられて、奥に伸びている通路の先へと姿を消していった。
§
席に案内され、暫く待つと、アミューズ・前菜、スープ・魚料理、肉料理、デザートの順にコース料理が運ばれてきた。
が、俺はその星付きで絶品のはずのどの料理を食べても、ほとんど味がしなかった。
食事中も、ずっと怜愛の事が気掛かりだった。
──あれから、もう一時間程が経っている。そろそろ交渉も終わる頃なんじゃないだろうか⋯⋯。
俺がそんな風に憂いながら考えていた時──。
ジャケットの胸ポケットに入れていたスマホがバイブ音を鳴らした。
怜愛からのメッセージだ。そこに記されている言葉は──。
──『たすけ』
瞬時に、あの夏祭りでの一件を思い起こす。
怜愛の身に、危険が迫っている。
そのたった三文字の続きが抜けている言葉から、そこに込められた切実な思いを汲み取ると、俺は勢いよく席を立った。
先程怜愛がその先へと向かった奥に伸びる通路へと足早に進む。
「ち、ちょっとお待ちください、お客様! そちらに許可なく立ち入られては困ります!」
後ろからグリーターの男性が投げ掛けてくる制止の声を振り払うように、そのままずんずんと通路を先へと進む。
通路の壁には、間隔を置いて幾つかのドアが並んでいたが、その内の突き当たりにあるドアが開いて、中から一人の男性が出てくるのが見えた。
──あれは⋯⋯確か、鴻上のマネージャーをやっているっていう御影とかいう男だ。
そのマネージャーの顔は、鴻上がIsostaに彼とのツーショット写真を投稿していたのを見ていたので知っている。
その姿を確認した俺は、鍵が掛かっていない今が好機と見て、そこへと向かって駆け出した。
入口の前に立っていた警備員と思われる制服に身を包んだ男性が、接近してくる俺の姿を見て、
「グリーターの案内もなく、無断でここに立ち入らないでもらおうか」
道を塞ぐように立ちはだかった。
俺が「どけ」とそれを無視して凄むと、警備員の男性は、「悪いが、拘束させてもらう」と掴み掛かろうと手を伸ばしてきた。
けれど、その動きを見切り、即座に防衛行動を取り対応。
その右手首を掴んで捻じり、そのまま相手の手首で脇腹を撫でるように廻し、手首関節を極める。
『グースネック』と呼ばれる実用的かつ非常に安全性の高い制圧法だ。
この技は、子供の頃今は亡き祖父さんの空手道場に通っていた時に、そこの先輩に教わった。
「──ッ! ぐぁああっ!」
激痛に警備員が、苦悶の叫びを上げる。
その隙を見て、思いもよらない状況に呆然と立ち尽くしているマネージャーの御影を横に押しのけて、強引に室内に割って入った。
すると、そこでは、端に置かれたソファで、ドレス姿のまま仰向けの状態で眠っている怜愛に、上半身裸になった鴻上が、今にも覆いかぶさろうとしていた。
その傍では、腹が突き出た中年の太った男が、ビデオカメラを構えてその様子を撮影している。
状況を瞬時に把握し、すぐさまその元へと駆け寄る。
間一髪で、怜愛の形のいい胸に手を伸ばそうとしていた鴻上の頬に、強烈な右ストレートをお見舞いしてやった。
「ぷぎやぁあっ!」
奇っ怪な悲鳴を上げながら、鴻上がソファの向こうへと吹っ飛ぶ。
「な、なんだ貴様は!?」
中年の男が、驚愕に目を剥き、慄いて構えていたビデオカメラを床に落とす。
「あんたも一発もらっとくか?」
そう睨みを利かせると、
「ひぃいいいい!」
情けない悲鳴を上げながら、脱兎の如く部屋を飛び出していった。
§
あわやというところで介入し、怜愛が純潔を散らされるのを防ぐ事が出来た俺は、呼び掛けても未だ眠りから覚める様子のない怜愛はそのままソファで寝かせておく事にした。
後から駆け付けてきていたグリーターの男性も、入口で騒動の一部始終を見ていた為、すぐに事情を理解して、警察に連絡してくれた。
そうして彼は、眠っている怜愛の事を俺に任せて、他の客の対応にあたる為にエントランスに戻っていった。
マネージャーの御影は、いつの間にか姿を消していた。
状況を判断した限り、彼も犯行に関与していた可能性が高い為、焦って逃げ出したのかもしれない。
俺に制圧された警備員の男性は、事情を理解すると、痛めた肩を押さえながらも、気にしないでいいと豪快に笑い飛ばしてから、自分の業務に戻っていった。
そんな状況の中で、一つ確認したい事があったので、ハンガーラックに掛けられていた鴻上の物と思われるジャケットの胸ポケットを漁った。
思惑通り、その中に収められていた彼のスマホを見つけ出すと、そのスリープモードを解いた。
スマホは指紋認証が設定されていたので、意識を失った状態で床に伸びている鴻上の手を取ってその指先を画面に当てる事で指紋認証をクリアし、ロックを解除した。
そして、保存されているデータを調べてみたところ、年若い少女達が、鴻上によって陵辱されているシーンを撮影した悍ましい動画や画像が何点も見つかった。
元々卑劣なやつだと思ってはいたが、ここまでのクズだとは予想していなかった。
今までこれらの事件が明るみにならなかったのは、公にすれば、動画や画像をネットに流出させるとか言って脅して口封じしていた為だろう。
俺がその最低極まりない犯行に、耐え難く憤りを感じて身を震わせていると、怜愛が身を捩らせて小さく唸り声を上げた。
「ん⋯⋯んぅ⋯⋯」
暫くして、ゆっくりとその目蓋を開く。
「蒼介君⋯⋯? ここは⋯⋯」
未だ目が光に慣れないのかしょぼしょぼとさせながら、周りに視線を巡らせる。
「目が覚めたか。ここはフレンチレストランの個室だよ」
無事彼女が意識を取り戻した事で安堵しながら答えた。
「そっか⋯⋯私⋯⋯多分、食事に強力な睡眠薬を入れられて⋯⋯それで、眠らされてたんだっけ⋯⋯」
ようやく意識が鮮明になってきたらしく、その時の事を思い出しながら呟く。
睡眠薬については、テーブルに残されたままになっている飲み物の成分を調べてもらえば明らかになる筈だ。
「眠らされる前に、俺にメッセージを送ってくれたんだろ? おかげで、この場に駆けつける事が出来たよ」
「うん。意識が朦朧としていたけど、なんとかね」
「油断していたよ。まさか、そんな強引な手を使うとはな」
鴻上は、一介の高校生でしかない俺の想像が及びもしない程の卑劣漢だった。
「腐ったキャベツらしいやり口だよね」
苦いものを口に含んだように同調する。
「その床に芋虫みたいに転がってる鴻上だけど、彼のスマホを調べてみたら、他にも同じような手口を使って若い女の子達を陵辱したと思われる動画や画像データがいくつも見つかったよ」
「今回だけじゃなかったんだね。被害に遭った女の子達が可哀想」
怜愛が傷つけられた彼女達の事を思い、眉尻を下げて悲しむ。
「それと、彼以外にも、もう一人、君を汚そうとしている様を撮影しようとしていた中年の男がいたんだけど、その男はどんな人物なんだ?」
会食の席にいたという事は、『アウロラプロモーション』の関係者なんだろうが。
「それは、アイドル事務所の社長だね。あのデブも、腐ったキャベツとグルだったんだ。最初に顔合わせした時から、いやらしい目付きのデブだと思ってたんだよね」
怜愛がゴミを扱うような口調で蔑む。
「事務所のトップからして腐り切ってたのか。救いようがないな」
「でも、そんなゲスいやつらに、いいようにこの身体を弄ばれなくて、本当によかったよ。また助けてくれたね。私のヒーローさん」
その言葉に、俺は照れ隠しに頬を指で掻きながら、
「絶対に守るって誓ったからな」
そう告げて、怜愛から、最上級の笑顔をもらった。
§
大人気アイドルグループ『カグラ』のセンターを務めていた鴻上透也が、クラスメイトの女子を薬で眠らせて陵辱しようとしたという大スキャンダル──。
そのニュースは、様々なメディアのトップとして報じられ、瞬く間に広まって世間を騒がせた。
それに加えて、余罪として、他にも若い新人アイドルやモデルなど数名を、同じ手口で陵辱していたという事実が明るみになると、さらに報道は過熱した。
その犯行に深く関わっていたアイドル事務所『アウロラプロモーション』をも巻き込んで、トウヤを非難する声があちこちから上がる事態となる。
陵辱された女の子達は、俺が予想していた通り、動画や画像をネット上に流すと脅されて、泣き寝入りする事になっていたらしい。
ファンサイトやSNSは炎上し、フォロワーは激減。
『カグラ』のファンクラブも、会員数を大幅に減少させる事になったようだ。
グループが今後どうなるのかについては未だ明らかにされていないが、その人気を牽引していたセンターが、これだけのスキャンダルを起こしたんだ。
おそらく近い内に解散するんじゃないだろうか。
その主犯のトウヤは、おそらく学校を退学させられ、少年院に送られる事になるだろうとの事。
来栖の時とは違い、鴻上には一切の同情の余地がない。
せいぜい、少年院で冷たくつましい食事でも味わって、大いに我が身の行いを省みてもらおう。
§
ねーじゅ『機は熟したり!』
俺がRainの通知を受けて応じると、唐突に、怜愛がその言葉を放った。
ゆるぺんくんの、「いくぞ!」というスタンプを添えて。
今は、あのフレンチレストランで起きた事件から数日が経った日の夜──その始まりの頃。
鴻上のスキャンダルを伝える報道の熱は、未だ衰える事を知らない。
学校でも、「裏切られた」とか、「顔だけのクズ男」だとか言った声がどこかしこから聞こえてくる状況だ。
ブルー『どうしたんだ、突然。どんな好機がやってきたっていうんだよ』
そうメッセージを送る俺の後ろで流れているのは、Oasisの『Whatever』──。
自分はどんなものにだってなれるんだ──そう力強く歌われるその曲は、美しいストリングスの旋律が印象的なロックバラードだ。
ねーじゅ『何とぼけちゃってるの。君は腐ったキャベツに襲われそうになっていた私をその窮地から救って、その本当に腐り切っていたゲスい裏の顔を暴いて、泣き寝入りしていた女の子達の無念を晴らした正義のヒーローなんだよ? 今や時の人。この流れに乗らない手はないよ』
ブルー『過大評価なんだよなぁ⋯⋯』
ねーじゅ『謙遜しない! という訳で、真のリア充キング──リア王になるための最終ミッションを課します』
ブルー『久しぶりに見たな。そのフレーズ』
ねーじゅ『そんなどうでもいいところに注目してないで、いよいよな最終ミッションってところに感慨深げにしてよ』
ブルー『世間は卒業シーズンだしな。俺も次のミッションをもって、めでたくこのプロジェクトから卒業するって訳か』
ねーじゅ『そういう事。では発表します。最終ミッション『連載中の「ふるリア」で、誰もが感動するクライマックスを書き上げて、評価を劇的に高め、書籍化作家になろう!』
ブルー『また大層な目標を掲げてくれたなぁ。でも、それに事件を解決したヒーロー云々は関係ないだろ? 君みたいに顔出ししている訳でもなし、作品とは結び付かない筈だ』
ねーじゅ『果たして、本当にそうかな? 君は一つ大事な事を忘れていない? 『ふるリア』は、君自身の経験をモチーフに描かれているんだよ。君の今回の活躍をクライマックスで描けば、あの事件がモチーフなんだって読者達は気付く筈。そこから君が事件の関係者という事が噂になって、そこで、満を持して、SNSなんかを使って、『ふるリア』の主人公のモデルが君なんだという事を大々的に発表するんだ』
ブルー『何かそれって、少し卑怯なやり口じゃないか? 純粋な作品の評価とは違うだろ』
ねーじゅ『使える者は親でも使えの精神だよ。この際、目的の為には、手段は選ばないって事で』
ブルー『何か釈然としないなぁ⋯⋯』
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