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おさめる

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 火照った体をどうにかおさめて、半日ほど眠り、再び目を覚ました。
 立ち上がって体を動かしてみたが、寝起き特有の怠さを除けば、ほぼ万全な状態まで回復している。そして、青色の肌触りの良い寝間着がちゃんと着せられていた。

 腰や腕を回してストレッチしていると、部屋の扉が開き、センダン(鎧の姿)が入室した。
 センダンは私の状態を分かっていたのか、特に変わった反応を見せることなく淡々と喋り始めた。

「もう問題なく動けるまで回復しただろう。多少気怠さはあると思うが、少しでも時間が惜しい。食べ物を買ってきた。これを食べて、準備が出来たら白の三番の部屋に来い。妹を救いたいなら、なるべく早くしろ。部屋で待ってる」

「わ、分かりました」

 言われたことを頭の中でまとめていると、センダンが近づいて来て、頭一つ分程度の紙袋を私の方に差し出した。両手で受け取り、中身を覗くと、様々な種類のパンが入っていた。

「ありがとうございます………い、妹を助けるために、頑張って早く食べます!」

 少し言い淀んでから、特に訂正することもなく勝手にルビアを妹にした。

 センダンは一つ頷き、足早に部屋から出ていった。
 部屋の机を見つけて椅子に座り、相当腹が減っていたのか、一瞬で三つのパンが胃の中に消えていった。そこでようやく人心地つく。

 どれくらい眠っていたのだろう。正直かなり体は怠いし、頭はぼんやりしている。そして、ふと湧き出す不安感。これから行われる鍛錬、殺されかけた相手と戦うこと、ディグの安否、改めて並べると、今すぐにでも泣き出しそうになるほど怖い。
 でも、その全ての不安を足し合わせてみても、ルビアを助けない理由にはならない。これほどまでにルビアの存在が大きくなった原因は分からないけど、きっと私は、これから何度この身が朽ち果てかけても、手を伸ばせる限りルビアを諦めることはないだろう。

 目的を改めてはっきりさせてから立ち上がり、空になった紙袋をゴミ箱に放り込む。ドアノブを回して、部屋から廊下に出た。
 廊下は白く塗られた壁、天井に囲まれ、床は茶色い絨毯が敷かれている。靴は用意されていなかったら、裸足で絨毯の腹を歩いてみたが、中々気持ち良い感触が押し返してくる。

 通路は左手に伸びていて、自分が出てきた部屋の扉上を見ると『白の一番』の番札があった。特に考えることなく、廊下が続く限りを進んで行くと、白の二番の部屋、その隣に『白の三番』の部屋が続いていた。

 軽くノックしてから扉を開くと、何もない白い部屋の真ん中にセンダンが正座で座っていた。

「来たか」

「………お待たせしました」

 いつまでその恰好なんだと言うツッコミをギリギリの所で飲み込み、どこに座ろうかと考えている内にセンダンの方から立ち上がった。

「よし。まずは鍛錬と言っていたが、しかし時間はない。遅くとも、明日の夕方には敵地へアクションを起こすくらいでなければ、間違いなく手遅れになる。睡眠や食事の時間を考慮すると、鍛錬の時間は半日程しか猶予はない。そのため、最低限覚えて欲しいことだけ教えるつもりだ。心して聞け」

「分かりました」

「最初に質問だ。お前の名前は何だ」

「え、えっと、イブンです。イブン・リリー」

 そういえば私、名前すら明かしてなかったのか。

 思えばこの人、名前も知らない私を無償で助けてくれて、ルビアを救うことにもこんなに前向きに手伝ってくれて、少し変わってるけど相当良い人なのかもしれない。字面だけで見ると良い人過ぎて、逆に何か裏がありそうで怖くなる程。
 尤も、物理的にこの人も表の顔すら見たことはないし、そもそも怪しむならもっと早い段階からだったか。

 そんな私の遅すぎる危惧とは裏腹に、センダンは抑揚のない声で事を進める。

「イブンだな。イブンにとって、魔法を使う上で重要なことは何か分かるか?」

「ん………魔法を使う……速さと、威力…とか?」

 引き出しの少ない頭を捻り出して、それっぽい単語を並べる。
 どうやら大体合っていたらしく、センダンさんは小さく頷いてくれる。

「細かく言えばもっとあるが、それでも間違いない。しかし、その『速さ』と『威力』と言うのは、もう少し詳しく言えば何だ」

「詳しく………んー、『速さ』で言うなら、詠唱とか出来るだけ早く魔法を出すことで…『威力』で言うなら、魔力をいっぱい使う大きい魔法を使った方が強そうだけど………?」

 最後に魔法についての教科書を読んだのは五年くらい前のこと。ルビアを助けたい一心で『グラナタム』、『フー・シー・ス』を捻り出せたのが奇跡だっただけで、魔法に関する用語なんてぼんやりとしか覚えてない。

 しかし、枯れきった記憶から削り取られた残りカスの答えをセンダンさんはお気に召してくれたようで、一つ大きく頷いてくれた。

「そう。大きく、早く、それが魔法における単純な強さ。だが、それを両立出来る者はそう多くない。何故なら、大きくするためには莫大な魔力がかかり、連発は出来ない。そしてその弱点は、早く撃つための条件から悉く外れている。よって、大体の者はどちらかに重きを置くことが多い」

「でも私…簡単な魔法でも、一発撃つだけで魔力がすっからかんになっちゃいます」

「問題ない。今回の鍛錬は、正にそこを改善するためにある。それに、イブンの主軸となっている風魔法は、余程大きな魔法でない限り有効打にすらならないから、簡単な魔法しか扱えないことに関して心配はいらない」

「な…るほど。改善するって、具体的にはどんなことを?」

「まずは、『フー・シー・ス』と言ってみろ」

「分かりました。『フー・シー・ス』」

 今日で口にするのが二回目の『フー・シー・ス』。しかし、体内の魔力が動く気配もなく、魔法の発射装置となる『グラナタム』を唱えていないと、当然魔法は発動しない。これだけだと、詠唱じゃなくてただの復唱。
 「なんじゃこりゃ」と内心で苦笑いしつつ、バレない程度に首を捻る。

「呪文を唱えても、魔法が発動しない理由はなんだ」

「それは、『グラナタム』を唱えてないからただの………あれ?でも今唱えたのに、そういえばなんでだろ」

「大前提として、『グラナタム』と唱えて出てくる白い円、『セラム』と言うが、それ自体は大切な段取りだが、そもそも詠唱することが絶対必要と言う訳ではなく、発動しないのは、発動させようとしていないからだ。『今から魔法を発動するぞ!』と言う、魔力への強い働きかけが、魔法には不可欠だ。極論、その働きかけだけでも魔法は発動できる」

「え…でもじゃあ…詠唱は要らないってことですか?」

「そんなことはない。気持ちだけで簡単に発動出来るのが確かに理想ではあるが、ほとんどの者が詠唱やセラムと言う名の『補助』に頼らないと、簡単な魔法も満足に扱うことは出来ないだろう。それに、恐らくイブンは気付いていないだろうが、呪文を唱えるだけでも、魔法を発動する準備はされている」

「嘘…全然気付かなかったです。魔力の動く気配、全然感じなかったのに………」

「今はそれでいい。呪文を詠唱するだけで魔法を発動する準備がされていると、分かっていればいい。今度は本当に発動するつもりで『グラナタム』と唱えて見ろ。私も同時に発動させる」

「分かりました。『グラナタム』」

 今度は集中して唱えると、体内から魔力が、前面に突き出した右手に集まっていき、白光する一重の円、セラムが作られていく。
 ふと目先にいるセンダンを見ると、何も唱えていないはずなのに五重の、私より一回り大きな円が胸の前辺りに作られていた。

「次に『フー・シー』と唱えてみろ。『ス』は要らない。ちゃんと発動する意志を込めてやってみろ」

「わ、分かりました。『フー・シー』」

 言われた通り唱えると、グラナタムよりも多くの魔力が円の前に集まり、風の球が捏ねられていく。心做しか、以前のものよりか少し小さい気もするが、『フー・シー・ス』と、最後まで教科書通りに唱えなくても発動出来ることが目の前で証明された。
 詠唱が必須と、どこで教わったか覚えていないが、ただの先入観だったらしい。

 センダンの方を見ると、五重円のセラム前に、手のひらサイズの風を圧縮した球体が生成されていた。大きさ的には自分のよりも少し大きい程度だったが、込められている魔力が自分のと似て非なるもののような気がした。

「適当に、壁に向かって撃ってみろ」

 一つ頷き、左手の壁に近付く。どうやったら球が破裂するのか分からなくて、セラムと風球のくっついた右手をブンブン振り回していると、何の脈絡も無く突然爆発した。

 風は四方八方に暴発し、その幾つかが自分に向かって牙を剥く。風の塊が腹や胸を抉り、私の身体を易々と反対面の壁まで吹き飛ばし、背中に強い衝撃を受けてから尻餅を着いた。
 鋭い風によって出来た切り傷で小さな痛みや、受けた衝撃で吐き気はするが、前よりも球が小さかったおかげか、あの時よりも衝撃や音はずっと小さかった。

 センダンの方を見ると、私と同じく壁近くまで近付いてから、三秒後くらいに球が元気よく破裂した。鎧を纏った身体が勢いよく吹き飛ばされたがしかし、反対面の壁スレスレの所で器用に着地した。

 初めて自分以外の風魔法を目にしたけど、あそこまで綺麗に魔法を使えるとかっこよく見える。今は出来る気配がないけど、憧れる。

「どうだ。『フー・シー・ス』と『フー・シー』で違いは実感できたか?」

「はい!『フー・シー』の方が全部詠唱するよりも若干威力が落ちてて、何ていうか…余計な魔力を使ってない感じです」

「そうだ。その程度だったら、ギリギリ二回は使えるだろう。だが、一々そんなに傷だらけでは道理に合わない。無傷は難しいだろうが、少し改善が必要だな」

 言われてから自分の身体を見てみたが、服も含めて気持ち悪い量の細かい切り傷が出来ていた。確かに、自分で魔法を使う度にこんな有様では馬鹿みたいだ。

「どうしたら……」

「方法はいくつかあるが、今すぐ出来ることがあるとすれば『想像』。『フー・シー』を唱える時に、球の大きさはどれくらいか、何秒後に弾けるか、どういった風に風が流れていくか、出来る限り細かく想像する。それを踏まえて、もう一回やってみろ」

「分かりました。『グラナタム』」

 再び、突き出した右手のすぐ前方にセラムが作られる。
 先のセンダンが生成していた風球を思い出す。球の大きさは私のものより少しだけ大きく、弾けるのは生成してから約五秒後、風の動きは多分、進みたい方向だけに限定されていた気がする。

 一度大きく深呼吸をしてから、円が消える前に詠唱を開始する。

「『フー・シー』」

 魔力が円の前に収縮し、風の球を作る。気持ちさっきより大きい気がするが、正直違いは分からない。

 壁に向かって球をかざしてみてから、大体十秒後くらいに球が弾け、さっきと同じくらいの所まで飛ばされた。
 先よりも風に殴られたみたいな感覚はなく、風の暴発も控えめだったのに、ちゃんと切り傷の数は増えていた。
 結局吹き飛ばされた後にきっちり着地は出来ず、尻餅は着いたが、壁に激突することは免れた。

 微妙ではあるけど、確かな違いが表れているのも事実。
 多分、本当に身体中の魔力がほとんど無くなってしまったのだろう、急に骨が抜かれたみたいに全身から力が抜けて、頭から床に倒れ込む。走っても無いのにどこか息苦しくて、怠くて、どう足掻いても立ち上がれる気がしない。

 初めての感覚に戸惑っていると、金属の籠手を帯びた手が差し出された。その手を取ると、軽々と身体を引っ張り上げられて、そのままお姫様抱っこされる。
 感情まで鈍くなっているのか、普段なら絶対に羞恥心が爆発している筈なのに、特に何とも思わない。

「魔力が丁度切れてしばらくは満足に動けないだろうから、回復するまで、また部屋で待機していろ。治癒薬や食糧も、お前を運んでからまた持っていく」

 センダンは淡々と言いながら、私を白の一番の部屋まで運び、ベッドの上に寝かせてくれた。冷たい口調ではあるが、全体を通してみると温かい人だ。

 魂が抜けたような表情で、仰向けのままボーっとしている間に、二、三回くらい扉が開く音がした。気になって身体を起こそうと思っても、微動だにしない。それよりも、抗えない眠気が襲ってくる。
 少しだけ傷口が痛むが、そのまま浅い眠りに落ちていった。


***

 また、視界の中に入り込む、見慣れたベッド、窓とカーペット。
 私の部屋だ。

 さっきまで身体を動かす気力すら湧かなかったのに、壁に凭れ掛かって座った状態で、気怠さは全然ない。

 前の夢にも同じ光景を見た。現実なら願ってもないことだが、まず有り得ない。
 自覚できるのも変な話だけど、やっぱり夢の中なのか。

 立ち上がってから扉に近付き、ドアノブを回しても空回りするだけで、押しても引いてもびくともしないし、風の入り込む窓から出ようとしても、透明な壁に阻まれて外に出ることは叶わなかった。

「…変な夢」

 まあ、思い通りに行きそうで行かないのが夢か。

 大人しくベッドでゆっくりしようと振り返ると、ベッドの上には、こちらに背を向けて横になっている子がいた。
 シルバーブロンドの真っすぐに伸びた長髪で、自分より一回り小さな身長。この特徴で該当する人物を、私は一人しか知らない。

 回り込んで正面から見てみると、予想通り、そこにはルビアの可愛らしい顔があった。
 ここまで前回の夢とほぼ同じ。全く、最高の夢だ。

 夢ルビアも相変わらず端麗な顔立ちをしているが、どこか不安そうな表情で、目に見えて血色が悪い。
 すぐ隣に腰掛けて、無造作に放り出された彼女の手を取り、しばらく温もりを楽しむ。

 夢の中でくらい、話したいこと、相談したいこと、沢山あるし、何ならキスやエッチをしたいのも山々だけど、こんな疲れた表情のルビアを起こしてまでやることでも無い。例え夢の中であっても、ルビアはルビアだから。

 と、内心では思っていても、体は正直に、握った手を深く絡めてみたり、見えない引力でもあるかのように身体が引き寄せられていく。そうして、ぽつりと本能が顔を出す。

 『唇が触れ合うだけのキスなら、起きないかな』

 普段なら理性が性欲に負けることなんてないのに、夢の中だからか、二人っきりだからか、脳のどこかで小さく箍の外れる音が聞こえた。

 ルビアと顔を見合わせる形で隣に寝転がり、一瞬ためらってから、結局唇を重ねた。
 お互いの上唇からくしゃりと溶け合い、下唇も続く。数秒だけですぐに顔を離し、さっきより気持ちだけ血色の良くなった愛しい顔を眺めていると、頬が緩み切って溶けそうになる。

 流石に抱き着きまではしないが、片手を軽く繋ぎながら、余った手をもちもちの頬っぺたに合わせて、なるべくルビアの体温に触れる。

 あぁ、今が一番幸せ。

 特別裕福でなくても、恵まれた体質でなくても、ただルビアの隣に居られるだけで私はいいのに。それすら叶わないのはどうしてなんだろう。

 これ以上ない幸福感と不条理な世界に疑問を抱いたまま、心地の良い温かさに、段々と意識は遠くなっていった。
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