悪辣姫のお気に入り

藍槌ゆず

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[ダニエル視点] 前②

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 繰り返すが、『悪辣姫には関わるな』――というのが、セレネストリア学園での暗黙の了解である。

 それは我が愛しの婚約者様が入学してから半年の間に数々の令嬢、令息、教師、その他諸々が彼女の前に散っていったことによって成された不可視のルールであり、己の立場とプライド、暴かれたくない秘密を守る為の安全策だ。
 誰だって好き好んで弱みを握られたくなどないし、関わらないだけで平穏無事に過ごせるのなら、守った方が余程賢い選択なのである。

 つまり、その暗黙の了解を破るものは有り体に言って、どうしようもない馬鹿ということだ。

「ミシュリーヌ・シュペルヴィエル様! 貴方の行いは目に余ります! 権力を振りかざして不当に他の生徒を害し、貶めるなんて、淑女の行いではありません!」

 廊下を行く生徒の殆どが、うわあ、と言いたげに顔を背けた。何なら数人は実際声に出していたかもしれない。
 俺の前を歩くミミィが振り返ると同時に、悪辣姫の視界に入っては堪らない、と廊下に残っていた生徒が教室に逃げ込んでいく。
 残ったのは小首を傾げて立ち止まるミミィと、その後ろに控えた俺、そしてその対面に立つ見慣れない女生徒だった。見慣れこそしないが、見覚えはある。

 ノエル・ペルグラン男爵令嬢。俺たちが二年生に進級すると同時に編入してきた特待生で、魔法適性の高さと座学でミミィとトップ争いに躍り出た女子だ。
 恐らくは編入したてで、この学園の暗黙の了解を知らないのだろう。

 つい先日、ミミィが主体となって開発した精油のせいで大打撃を受けたらしい商家の息子が八つ当たりをかました。
 当然、物の見事にやり返された訳だが、その手口で職どころか家すら失いかけた彼の悲惨な様を見た彼女は義憤にかられ、ミミィに直接物申しに来た――というところだろうか。

 俺としては、幼気な同級生がミミィの悪意に晒され甚振られる様は見たくない。何とか穏便に済まないか、とどう考えても無理だろう願いを中庭の空へと投げていた俺は、そこで再度見せつけるように小首を傾げたミミィにそっと耳打ちした。

「ノエル・ペルグラン男爵令嬢だ、ほら、編入生の」
「ああ、色狂いの男爵が孤児院から拾ってきた女ね。大方、育てたら適当なところで摘まみ食いしてその辺の輩にくれてやるつもりかしら」

 本来ならば公爵令嬢であるミミィには話しかけることすら出来ない身分だが、学園内は一応、とりあえず、なんというか、建前として『貴賤無く皆平等』であることを信条として掲げている。

 著しく礼儀に欠けなければ王太子にすら此方から話しかけても構わないのだ。勿論、何の用もなく気安く話しかければ顔でも覚えられて要注意人物として扱われるが。
 一つ上、三学年の先輩である我が国の第一王子――アルフォンス・マンディアルグ殿下の穏やかな顔を思い出しつつ、そういえばノエル嬢は成績優秀者として第一王子とも懇意にしているようだったな、と思い出した。

 身分の上下無く優秀な者は取り入れたいと考えている王族が目を掛けている少女だ。あまり波風を立てるのも良くないだろう、と、ピンときていないらしいミミィに名前を伝えてみたのだが、返ってきたのは女子生徒の間でまことしやかに囁かれている下世話な噂についての言及だった。

 対面に立つノエル嬢の顔が、怒りと羞恥からか赤く染まる。
 わなわなと口を震わせる彼女が言葉を発するより早く、ミミィはその美しい顔にはっきりとした嘲りの笑みを浮かべてみせた。

「噂に違わず随分と可愛らしいお嬢さんね、例えその気がなくともうっかり手が出てしまいそうだわ。貴方、随分と無防備に殿方と触れ合っているようだけれど、気をつけた方が良いわよ」
「お、御義父様はそのような方ではありません! そっ、そっ、それに、その、淑女がそんなはしたない物言いを、なんっ、なんて方、公爵令嬢とも在ろう方が、信じられません!」
「あら、学園では学生は貴賤無く、皆平等なのよ。下世話な話が好きなのは人間の性なのだし、公爵令嬢かどうかなんて関係ないわ。そうよね、ダン?」

 頼むから俺に話を振らないでくれ。答えたくない。が、お前のそれはどう考えても暴論が過ぎると思う。
 公爵家の令嬢で無くとも、そもそも『令嬢』として間違っているだろう物言いにも躊躇いのないミミィに呆れつつ目を逸らしていると、詰まらなそうに鼻を鳴らされてしまった。

「それで? 目に余るから何だっていうのかしら。貴方が私の行いを咎めることに何の意味があって? 権力を振りかざすだなんて言っていたけれど、私、実家には一つも頼っていないのよ。
 私はあくまでも趣味の範囲で商いを行い、個人の収入を『活動』に充てているだけ。公的な書面もあるし、そうでなくとも貴方の言う『目に余る仕打ち』は個人間の揉め事ですもの、貴方に口を出される謂われはないわ。
 ああ、それとも、学生の身分で金銭を得るのは間違いだと言うつもりかしら? 普通科の生徒には放課後に労働している者も居るようだけれど?」
「い、いくら個人の問題だと言っても、それはあくまでも学園内でのこと! 結局は家柄に怯え、正当な主張を行えない者ばかりではありませんか! 貴方は横暴です、此処に居る者は皆、共に学ぶ友である筈です! 不当に虐げる必要などないでしょう!?」
「必要かどうかは私が決める事よ。貴方に口出しされたくはないわ」

 冷えた声音で切り捨てたミミィを、ノエル嬢は握り締めた拳を震わせながら睨み付ける。なんて度胸のあるお嬢さんなんだろうか。思わずノエル嬢を応援しそうになってしまった。そもそも、言っていることは至極真っ当であるし。

 しかし、こうして改めてミミィの所業について詰られると、全くもって『その通りです』としか言えなくなってしまうな。無論、ミミィもただ非道な行いをしているばかりではないのだが。

 実際、ミミィがこれまでに開発してきた様々な発明品によって我が国の技術は著しく発展したと言える。
 現在は魔鉱石の加工技術を上げ、純度が高く長持ちする魔石の開発を進めているようだ。半年後には実用可能なレベルになるそうだが、これまでの魔石と比べ二十倍は保つと聞いて、飲んでいる紅茶を噴き出したのは記憶に新しい。

 性格には難があるものの、技術者や研究者としてはミミィは恐ろしいほど有能なのである。
 元より歴史を振り返れば、そういう偉業を成す人間は大抵、何処かしら重大な欠点があるものだ。
 ミミィなんて可愛いものだとも言える。勿論、口に出すつもりはないが。

 我関せず、と従者に徹し続けている俺と、まさに悪辣姫の呼び名に相応しい笑みをもってノエル嬢を見下ろすミミィの前で、ノエル嬢は耐えきれない、と言わんばかりに震える声ではっきりと言い放った。

「やはりロザリーの言う通り、悪の権化のような方ですね……もはや我慢がなりません! 学園規則に従い、正式な決闘を申し込みます!」

 学園規則第二条に記された『決闘』の項目は、第一条の『貴賎無く皆平等である』を裏付けるものとして定められた規則だ。
 全ての生徒は身分に関係なく、双方の意見の食い違いを議論で解決できない場合、あるいは必要であると学園長が認めた場合に『決闘』を行い、勝敗を決することで決着をつけ、その結果がどうであろうと学園内ではそれに従い、納得しなければならない。
 まあ、これはこれで実力主義が過ぎるため問題がある仕組みであり、最近は殆ど使われない御飾りのような規則なのだが。まさかこのタイミングで持ち出されるとは思わなかった。

「お断りよ、私に受けるメリットが微塵も無いわ。くだらないことに付き合わせないで頂戴」
「貴方が勝てば、私のことは好きにして頂いて構いません! ですが、私が勝った暁には――」
「話を聞きなさいよ」

 呆れ混じりに睥睨するミミィはノエル嬢に微塵も興味が無いようだったが、

「婚約者との婚約を破棄して頂きます! 貴方のような悪逆非道な方に、あの方が相応しいとは思えません!」

 叫ぶように宣言されたノエル嬢の言葉を聞いた瞬間、ミミィの端正な顔から、一切の感情が削ぎ落とされた。

「ん? ……え? 婚約?」

 どうして此処で婚約が出てくるんだ?
 訳が分からず間の抜けた声を上げる俺の横で、ミミィの目に冷えた光が宿る。組んだ腕を、人差し指が苛立たしげに叩いていた。

 何が何だかさっぱり分からない。一切分からない。
 ノエル嬢は一体何を言っているのだろうか。そもそも、ミミィの悪行を阻止することと婚約破棄に一体何の関係があるんだ。

「…………ノエル・ペルグラン。それは本気で言っているのかしら?」
「ええ、本気です。貴方のような力を持つ貴族に言われては断ることも出来ないのでしょう? 可哀想な方。これは貴方の魔の手から人々を救い出す一歩目です」
「……『私の婚約者』の話をしているのよね?」
「そのような者は居ない、と言うつもりではありませんよね。幾ら表立って知られていないとは言え、婚約関係に在ることは確かな筈です」

 きっぱりと言い放つノエル嬢に、ミミィが静かに目を細める。シアンブルーに宿る焼け付くような炎を感じ取った俺は、混乱の最中でありながらもゆっくりと、なるべくミミィを刺激しないように少しだけ距離を取った。

 常日頃から苛烈とも言えるやり口で相手をやり込め、心を抉る物言いで相手をやり込める様ばかり目撃されているミミィだが、本当に恐ろしいのは無言になった時である。
 音も無く獲物に近づき、締め上げ命を絶つ蛇のような、静かな殺意。こういう時のミミィの側に居て、碌な事になった例しがない。
 かといって、『婚約』が絡んでいる以上俺も部外者であるとは言えない訳で、距離を取ったのはあくまでも精神的な安寧を求めてのことだ。一切効果がある気がしないが。

 いや、大体、本当に、なんで『婚約破棄』なんてものを賭けて決闘を申し込んでいるんだ? さっぱり分からない。

 冷や汗を掻きながら後ろに控える俺の前で、ミミィは肩に掛かる髪を払いながら、あくまでも冷静な声で告げた。

「分かりました。その決闘、受けましょう。日時は一週間後のサンクの日。放課後に第六闘技場の使用許可を得ておきます」

 敬語だ。敬語だった。
 淡々と紡がれた了承の意に、俺は思わず目を閉じ、眉根を思い切り強く寄せていた。後ろに倒れそうになる身体を何とか支え、ミミィの靴音を聞き、急いで後を追う。
 気絶するかと思った。
 あまりにも胃が痛い。常に横暴な態度を崩さず、『全ての者は私の下に在る』と言わんばかりに振る舞うミミィが、相手を排除するべき『障害』ではなく、一個の『敵』として認識してしまった。
 こうなってしまったら、俺に出来るのはただ一つ。どうか俺の愛しの婚約者殿が人殺しになりませんように、と神に祈ることだけである。

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