悪辣姫のお気に入り

藍槌ゆず

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おまけ 一話〈3〉

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    ◇   ◆   ◇



 ロザリーには生まれ落ちた瞬間から、視界に『正しいルートに進む方法』が見えているのだそうだ。
 視界の下部にある『天からのお告げ』(とロザリーは呼んでいる)には、常に『その時行うべきこと/これから起こる現象/次に成すべき目標』が表示されているらしい。
 例えば『イヴァン家の畑に害獣が現れ、三分の二が被害に遭う』だとか、『水魔法の適性レベルを10に上げる』だとかが常に示されているのだという。
 表示は他にも存在していて、枝分かれに分岐した目標が示されるものや、現在の自分のステータスなども見えているらしい。

 常にそんなものが見えていたら邪魔だと思うのだけれど。想像だけでも眉を顰めてしまった私の隣で、チェレギンが「ああ、わかります。邪魔ですよね」と呑気な声で同意していた。そう、やっぱり邪魔なのね。

 兎に角ロザリーにとってはこの世界において『進むべき正しい道』のようなものが常に見えていて、実際その通りにすることで領地の者の助けになったり、自分の評価が上がったり、周囲がより良くなっていったそうだ。初めは半信半疑で指示に従っていたロザリーも、やがて『進むべき正しい道』に従うことに疑いを持たなくなっていった。
 その通りにしていれば正しく、より良い結果が得られるのだ。ロザリーは表示される指示の通りにノエルを姉として迎え入れ、分岐した目標の中で最も良い道を選べていることに満足していた。

 そんな彼女に不安の種が生じたのは、その表示に『ミシュリーヌ・シュペルヴィエル』が現れ始めてからだという。表示によればミシュリーヌ・シュペルヴィエルは強大な魔力と公爵家の権力を使って私腹を肥やし、いずれは王家を乗っ取り民に圧政を敷くようになる『悪の権化』なのだそうだ。
 滅びに向かう国を救うためにはミシュリーヌ・シュペルヴィエルと第一王子アルフォンスの婚約を破棄させる他無い────そう書かれた表示に従った結果が、ノエルを使った『決闘』だった、という訳だ。

「……ここまで聞いてもよく分からないのだけれど、その表示は入学時の時点で間違っていた訳よね? どうして急に誤った情報を表示するようになったのかしら?」
「それは……………、……私にも、分かりません」
「分からない?」
「ほ、本当に分からないんです! 私はこれまでずっとお告げを信じて来たのに、どうしてこんな、急に裏切られたのか、本当に……分からなくて……私は正しいことをしている筈なのに……」

 掠れた声で呟いたロザリーの態度は、少なくとも嘘を吐いているようには見えなかった。嘘と演技で周囲を籠絡してきたのだと思っていたけれど、彼女の力から考えるに、本当に何も考えずにただ『正しい』道を選んできただけのようだ。
 全てをその『プレイヤー』スキルのせいにして誤魔化すつもりなのかとも考えていたが、そんな小細工をする必要すら感じていないように見える。愚か者、という認識はやはり間違っていないようだ。
 義理の姉妹とは言え、どうやら似ているところは似ているらしい。二人揃って盲目的に『正しさ』などというものを信じ切っている。
 少し調べれば私の婚約者がダニエル・グリエットであることは分かったでしょうに、自分の信じるものしか見ず、調べることすらしなかったのね。

「まあ、もういいわ。終わったことだもの。貴方の妙な力も今回の件で万能では無いと判明したし、研究材料にもならなそうね。約束通り不問にするわ、迎えの馬車を呼んであげる」
「ま、待って下さい!」
「……なあに? 言っておくけれど、今後同じような理由で刃向かうのなら容赦はしないわよ」
「い、いえ、その、……わ、私、これからどうすればいいんですか」
「…………どうって?」

 予想していなかった言葉に首を傾げた私に、ロザリーは落ち着きなくあちこちに視線を逃がした。青ざめた顔には冷や汗が滲んでいる。
 白く小さな手をきつく握り締めたロザリーが、震える声で言った。

「だって、私はこれまで、正しい道を進めばよかったのに、急にこんな、間違えられて、変なことになって、何が正しいのか分からなくなって、そんなの、困るんです」
「困るって、私に言わないでちょうだい。それは貴方の責任でしょう?」
「わ、わたしは、私は正しいことをしようとしたんです! そうすればみんなが褒めてくれるから! 私でも正しいことが出来るから! なのに、貴方が急に、全部めちゃくちゃにして、こんなのひどいじゃないですか」
「……一応、私は今回の件では被害者である筈なのだけれど?」
「貴方がアルフォンス様と婚約していないからおかしなことになってるんじゃないですか! 私はこれまでずっと間違えてこなかったのに、貴方が、ッ」

 鬱陶しいわね、焼き殺してやろうかしら────なんて考えて無言詠唱をしかけたところで、茶会の前にダンから言われた言葉が脳裏を過った。
 ロザリーと話をしてくる、と告げた私に、ダンはいつも通り余計なことは何一つ聞かなかったけれど、それでも少し困ったように笑った。

 『俺はミミィが気の済むようにしたらいいと思うけど、出来たら誰も傷つかないと嬉しい』

 その言葉さえなかったのなら、すぐにでも事故として処理してあげたのに。大体、一方的に訳の分からない理由で決闘を申し込まれて受けてあげた上に更に意味の分からない理由で糾弾されるだなんておかしいと思わない?
 自分の失敗を正すためだけに責任を此方に押しつけるなんてどうかしてるわね。

 何事かを喚き、しまいには泣き出したロザリーを冷めた目で眺めること数秒、それまで空気のように側に立っていたチェレギンが、発言の許可を得るかのようにそろりと片手を上げた。

「あのお、ミシュリーヌ様。ワタシ、一つ気づいてしまったんですけども」
「何かしら、これ以上私を苛つかせない話題だと嬉しいわね」
「恐らくその『間違い』、このチェレギンが貴方様に渡したマジックアイテムが原因かと」
「…………それは、あのオルゴールのことかしら」
「ええ、ええ、その通りです」

 自身が原因である、と申し出た割りには少しも罪悪感の無い声で頷いたチェレギンは、困惑するロザリーと訝しむ私の前で、やはり胡散臭い笑みを崩さぬまま続けた。

「実はあのマジックアイテム、因果律の外から持ち込まれた代物でして。本来ならばこの世界には存在しない代物なのです。無論ワタシの元いた世界にも無いアイテム、要するに完全なる『異物』という訳でして、恐らくはロザリー様の能力自体はこの世界に則した結果を表示するものでしょうから、ことわりそのものが違う『異物』が混じったことで、本来のミシュリーヌ様との乖離が起こったのでは無いかと」
「その理屈だと本来の私は第一王子と婚約をしたことを笠に着て好き放題に国を荒らし圧政を敷く女、ということになる気がするのだけれど」
「きっとミシュリーヌ様なら上手いことそうするのでしょうねえ」
「まあ、出来なくはないわね。やらないけれど」
「『やらない』と判断する要因になったのはダニエル様と出会ったこと、だとワタクシめは思うのですが、如何でしょう?」

 伺いを立てるように首を傾げたチェレギンの言葉にふと、『ダンと出会わなかった自分』を想定してみる。
 確かにあのまま成長を続ければ私は第一王子と婚約を結ぶことになっていただろうし、第一王子であるアルフォンス殿下にも同じように『教育』を施そうとしただろう。そして、私の要求に応えられない殿下に失望したに違いない。

 人間関係の不和を調整することの重要性は理解しているが、私もやはり人間である以上、感情をただ切り離すことは出来ない。というより、そもそも私は己の感情に従って生きるタイプの人間であって、どう考えても民のために生きる王族には向いていないのだ。

 能力の高さだけを見て適性があると判断されれば、結局は『お告げ』の通りに圧政を敷く暴君と化すだろう。まず確実に、政策に従えない軟弱な民の方が悪い、と思うでしょうね。本当に、驚くほど上に立つものに向いていないわ。少し呆れてしまうレベルね。

 そうならずに済んだのは、チェレギンの言う通り、ダンと出会ったからだろう。世界中の何処を探しても、彼より私に相応しい男はいないと断言できる。
 ダンと過ごすのが一番楽しいのだから、それ以上を求める必要なんてないのだ。無論、探究心は別として。

「まあ、そうでしょうね。私が国を滅ぼす動機なんて、王族包みでダンと私を引き離そうと画策された時くらいだわ」
「何卒、安寧の為にも是非ともお二人には円満でいてもらいたいものです。さて、そういう訳で、ロザリー様の『間違い』はワタシの仕出かしたお節介によるものだったのですが、ここで一つ提案させて頂いても?」
「提案?」
「ロザリー様の身柄をワタシに預けて頂きたく思います。ペルグラン家にも話を通して頂けますと助かりますが、まあ、ともかく、少なからずワタシが原因のようですから、なんとか出来るアイテムでも共に探し回ろうかと」
「……貴方が人助けだなんて珍しいわね、チェレギン」

 身柄を預ける、というからには、ロザリーの生殺与奪権はチェレギンに移るということだ。馴染みのある商人の連れを害するのは私にとっても利が無い。ただ、原因となった詫びにしても、チェレギン自身にも何の利もない話ではあった。
 純粋な人助けをするような男には到底見えない。それはロザリーにとっても同じだったのか、彼女は未だに涙の残る目に懐疑と怯えを乗せてチェレギンを見つめていた。

「要するに貴方様は『この先を一人で、何のしるべもなく進んでいくのが恐ろしい』んでしょう? このままミシュリーヌ様に責任をなすりつけ、自分の能力を過信して生きていくのなら、きっと貴方様は一生そのままです。それは原因を作ったワタシとしても流石に忍びない。
 貴方様がどのような暮らしをしていたかは分かりませんが、少なくとも一人で生きていける力を育てることは出来ます。恐らく貴方の力を既に知っている者たちに囲まれていれば独り立ちは難しいでしょう。ワタシならばそのお手伝いが出来るかと思うのですが、どうでしょう?」
「…………あなたと共に旅をする、ということ?」
「ええ、そうです。男と二人旅は恐ろしいですか? まあ、ワタシとしては娘と同じ年頃の女性をどうこうしようという気はありませんが、信頼出来ないというならば断って頂いても構いませんよ」

 普段となんら変わりない笑みで続けたチェレギンは、そのまま答えを聞く気があるのかも分からない態度で口と閉じると、のんびりと窓から中庭の花を眺め始めた。
 彼からすれば、ロザリーがこの話を引き受けても、そうでなくても、特に困らないのだろう。少なくとも自分に責任の一端がある以上、提案だけはした、という形だ。
 迷うように視線を彷徨わせていたロザリーは、意外にも即答はしなかった。先を見通す聡明な令嬢として大事にされていた身だ、てっきり即座に断るかと思っていたが、彼女の中にも迷いがあるようだった。

 確かに、既に『お告げ』が正常に働いていない以上、これまで同じ生活は出来ないだろう。
 甘やかされてきた令嬢にしては迷う素振りがあるのは、彼女の転生前とやらが関係しているのだろうか。泣き喚くだけにしても、しっかり此方に責任をなすりつける度胸はあったものね。

 静まりかえった室内で、特に返事を急かすこともなくのんびりと風景を眺めるチェレギンの鼻歌と、既に興味を無くした私が焼き菓子を手に取る微かな音だけが響く。三枚ほど飲み込んだ所で、掠れた呟きが響いた。

「…………よろしく、お願いします」
「おや、承諾して下さるとは思いませんでした。それでは、まあ、一旦今日は解散ということにしまして。後日御父様の方にお話しさせていただきましょうかね」
「…………はい」
「ミシュリーヌ様、大変心苦しいのですが、口添えをお願いしたく。ちなみに此方、トエト鉱山にて最近発見されました新種にございます」
「別にそれは構わないけれど、ロザリー嬢は私に何か言うことはないのかしら?」

 馴染みの気安さ故に真正面から賄賂を渡してくるチェレギンに軽い調子で返しつつ、俯くロザリーへと目を向ける。ひくりと肩を震わせた彼女は躊躇うように唇を開き、細く息を吐いてから、絞り出すように謝罪の言葉を口にしたのだった。
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