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幼少期に心を壊した私の物語
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私は今現在、30代ギリ前半の所謂中年おばさんだ。
結婚も妊娠も出産も経験し、有難いことに子供は3人もいる。
私には、母親や姉妹以外誰にも言っていない過去がある。
その事で自分自身が、子供達に同じ事をしてしまわないか……
と怖くなる事が日常の中に沢山起こる。
「虐待」
親が子を虐待し、家庭の中の事だからと発見が遅れ、子が死亡するケースが後を絶たない。
昔からあった事ではあるものの、近年激しさを増し、今でこそ社会問題になっている。
かく言う私も、幼少期に実父から虐待を受けた被害者だ。
大人になり、自分自身も親となった。
そんな私の、今まで誰にも話してこなかった辛い体験を、自分の中での整理として文字に起こした実話。
私がしっかり記憶があるのは幼稚園の年長の時。
当時の家族構成は、祖父、祖母、叔父が2人と母、父、私、妹の8人だった。
祖父は根っからの職人気質な人で、祖母はそんな祖父の言う事を、「はいはい」と聞くような人。
叔父2人は1人が高校生、もう1人は小学生で、いつも仲が良く私とも遊んでくれた。
母は看護師として働きながら、新しく産まれてくる私の妹を大事に育てていて、妹は5歳離れていたので可愛くてしょうがなかった。
ここまでの家族構成なら、本当に幸せそうな一般家庭であると思う。
問題は私の父だ。
私は父の事を人間だと思った事は一度もない。
何故なら、殴られたり蹴られたり、投げられたりと日常的にされていたから。
幼いながらに人間(ひと)の皮を被った怪物だと思っていた。
父の機嫌が悪ければ、悪い事を何もしてなくたって殴られる。
1つでも父の嫌な事をしていれば蹴られる。
酷い時には、首根っこを掴まれたままクローゼットに向かって投げられる。
それが私の日常だった。
私は父が仕事から帰ってくる時間になると、母の足にしがみつき、ガクガクと震えていた事を記憶している。
正直、いつからとか何をしたから殴られたとかはハッキリと覚えていないが、帰宅早々機嫌が悪ければ私を母の足から引き剥がす事から、地獄の時間が始まる。
当然泣きながら母の足に力一杯しがみつき、母の足が血だらけになる事も多かった気もするが、母も父が怖かったのか助けてくれる事はなかった。
それは祖母もそうで、見て見ぬふりだったので私には味方が居ないと幼い私でも分かる。
祖父にも相談してみたものの、大工の頭領をしていた頭の堅い人だったので、「子は親の言う事を聞きなさい、それが出来ないから怒られるんだろ」というスタンスで、もちろん助けてくれる素振りなどない。
布団叩きで両足を滅多打ちにされ、6歳の細っこい足が、相撲取りかのように腫れ上がり暫く車椅子で生活したこともあったし、クローゼットに投げつけられ、頭を打ったのかその後の記憶が無く、気が付けば誰かの膝の上で両鼻にティッシュが詰まったまま、頭を冷やされながら介抱されていたり、怒声を浴びせられながら外に出され鍵を締められて一晩を明かしたりもした。
その他色々とされていたと聞いたが、その内父が帰って来た時間から翌朝までの出来事を覚えていない事も増えた。
今でも良く死ななかったなぁ~と関心するくらいである。
小学生に上がる直前、父が母のお腹を蹴っているのを見つけたが、小さく父の事が怖かった私が助けに入る事も出来ず、ただただ泣いていた日があった。
その日から急に父が帰って来なくなり、私は歓喜したのをしっかり覚えている。
父さえ居なければ、みんな私を可愛がってくれるし、優しくしてくれた。
どれだけ嬉しかった事か。
まるで世界が変わった。
色褪せて見てえいたものが急に色鮮やかに映るようになったし、味気ないご飯も美味しく食べる事も出来るようになった。
その後の人生でも、虐待による苦しみと戦わないといけなくなるなんて、この時は思ってなかったと思う。
小学生に上がり何をしていたかと言うと、覚えていない……というか、正直小学2年生くらいまでの記憶がスッポリないと言った方が正しいと思う。
後々になって母から聞かされたのは、父との離婚が成立した直後から祖父母達とは離れて暮らしだした事、学校も転校になり新しい環境になった事だ。
それからの私は見るからに元気にはなったらしかったが、それは本当に人が変わったようだったとの事だった。
違和感を持った母は、看護師だった事もあってか、すぐに精神科へと連れて行ってくれたようで、違和感の正体はすぐに判明。
「解離性同一性障害」
言わば二重人格や多重人格と呼ばれるものだ。
私の中には複数人の人格が同居していたようで多重人格者の方である。
虐待を受けている時に受け止める為の人格が1人。
元気に明るく振る舞う人格が1人。
急に無口になり、何も話さなくなる人格が1人。
愛情不足から来るであろう、異常なまでの構ってな人格が1人。
これが私の同居人達だ。
この人達が私の代わりに表に出ている間の記憶は私にはない。
所構わず人格交代が起こり、コロコロと人が変わっていたと聞くが、私には何の話やら全く分からなかった。
しっかり私が私として、人格を保てるようになったのは小学3年生の頃。
それでも人格交代は頻繁に起こっていたけれど。
解離性同一性障害の話を聞いた所で、幼い私には理解出来る筈もない。
「それは一体誰の話だろう……?」
「私がやった事ではないけど、何故私の名前を使って話をしているんだろう……?」
そんな疑問を当時持ったのを覚えている。
他者からの攻撃的な態度や言動などがあると、それらを受け止める為の人格、名前は舞と言うらしいがその人が出て来ていて、友達や家族と談笑する際に私が上手く話に乗れないと、明るく元気に振る舞う人格、名前はユカと言うらしいがその人が出て来ていて、逆に誰とも関わりたくない、喋りたくないと思った時際には無口な人格、無口な為名前が分からない人が出て来ていて、寝ている間は、急に夜中に赤ちゃん返りをしたかのように泣いたり、暴れたりする人格、名前は輝と言うらしいがその人が出て来ていて……と。
医師と時間をかけて、どんな時にどの人格が顔を出すのかを調べたらこの結果だった。
急に私が私じゃなくなり、人格が、名前が、喋り方が、態度が、全てにおいて変わるのだ。
それはそれは、周りの人達は奇妙だっただろうし、気持ち悪かったとは思う。
そのおかげでいじめにもあった。
学校に行けば罵られたり物が無くなったりは日常で、その度に舞さんが出て来て助けてくれた。
でも、私にとっては自己防衛の手段であっても、周りは面白おかしく時には痛烈な暴言を交えて弄ってくる。
それに耐え兼ねて、怖くて、不安で不登校になった。
母は1人で私を含めた3人の子供を育てる為に、昼夜問わず働いていた為家には中々帰って来なかった。
誰にも相談出来ず、いつからかどの人格が本当の自分なのかも分からなくなっていたし、この世界には私1人だけしか存在していないのではないかと思うようになった。
「どうせ1人ならいっその事死んでしまおうか」
「悲しむ人なんてどこにもいない」
グルグルと頭の中を巡るのはこんな事ばかり。
もはやこの世に未練なんてものは全く無い。
それでも死なずに生きていられたのは、精神科の先生が鬱である事をしっかり見極めて下さり、治療出来た事と再び祖父母の元で暮らし始めたからだと思う。
母も看護師の仕事だけに絞り、その他の仕事は辞めてそばに居てくれた。
そのおかげか、残りの義務教育期間を全て使い鬱は完治。
それでも解離性同一性障害は治らず、コロコロと中の人達が出て来て生活していたので、1日の中で記憶が飛び飛びだった。
高校生になってからは恋愛も経験。
初めて出来た彼氏が嬉しくて、飛び上がる程だったが、その彼氏が好いていてくれたのは「私」ではなく「ユカ」だった。
確かに根暗な私よりも、天真爛漫なユカさんの方が魅力的だろう。
でも「私」も彼の事が好きだったのだ。
「私」の体であって中身は「私」ではない人が好きだなんて、ショックで、悲しくて、苦しくて。
結婚も妊娠も出産も経験し、有難いことに子供は3人もいる。
私には、母親や姉妹以外誰にも言っていない過去がある。
その事で自分自身が、子供達に同じ事をしてしまわないか……
と怖くなる事が日常の中に沢山起こる。
「虐待」
親が子を虐待し、家庭の中の事だからと発見が遅れ、子が死亡するケースが後を絶たない。
昔からあった事ではあるものの、近年激しさを増し、今でこそ社会問題になっている。
かく言う私も、幼少期に実父から虐待を受けた被害者だ。
大人になり、自分自身も親となった。
そんな私の、今まで誰にも話してこなかった辛い体験を、自分の中での整理として文字に起こした実話。
私がしっかり記憶があるのは幼稚園の年長の時。
当時の家族構成は、祖父、祖母、叔父が2人と母、父、私、妹の8人だった。
祖父は根っからの職人気質な人で、祖母はそんな祖父の言う事を、「はいはい」と聞くような人。
叔父2人は1人が高校生、もう1人は小学生で、いつも仲が良く私とも遊んでくれた。
母は看護師として働きながら、新しく産まれてくる私の妹を大事に育てていて、妹は5歳離れていたので可愛くてしょうがなかった。
ここまでの家族構成なら、本当に幸せそうな一般家庭であると思う。
問題は私の父だ。
私は父の事を人間だと思った事は一度もない。
何故なら、殴られたり蹴られたり、投げられたりと日常的にされていたから。
幼いながらに人間(ひと)の皮を被った怪物だと思っていた。
父の機嫌が悪ければ、悪い事を何もしてなくたって殴られる。
1つでも父の嫌な事をしていれば蹴られる。
酷い時には、首根っこを掴まれたままクローゼットに向かって投げられる。
それが私の日常だった。
私は父が仕事から帰ってくる時間になると、母の足にしがみつき、ガクガクと震えていた事を記憶している。
正直、いつからとか何をしたから殴られたとかはハッキリと覚えていないが、帰宅早々機嫌が悪ければ私を母の足から引き剥がす事から、地獄の時間が始まる。
当然泣きながら母の足に力一杯しがみつき、母の足が血だらけになる事も多かった気もするが、母も父が怖かったのか助けてくれる事はなかった。
それは祖母もそうで、見て見ぬふりだったので私には味方が居ないと幼い私でも分かる。
祖父にも相談してみたものの、大工の頭領をしていた頭の堅い人だったので、「子は親の言う事を聞きなさい、それが出来ないから怒られるんだろ」というスタンスで、もちろん助けてくれる素振りなどない。
布団叩きで両足を滅多打ちにされ、6歳の細っこい足が、相撲取りかのように腫れ上がり暫く車椅子で生活したこともあったし、クローゼットに投げつけられ、頭を打ったのかその後の記憶が無く、気が付けば誰かの膝の上で両鼻にティッシュが詰まったまま、頭を冷やされながら介抱されていたり、怒声を浴びせられながら外に出され鍵を締められて一晩を明かしたりもした。
その他色々とされていたと聞いたが、その内父が帰って来た時間から翌朝までの出来事を覚えていない事も増えた。
今でも良く死ななかったなぁ~と関心するくらいである。
小学生に上がる直前、父が母のお腹を蹴っているのを見つけたが、小さく父の事が怖かった私が助けに入る事も出来ず、ただただ泣いていた日があった。
その日から急に父が帰って来なくなり、私は歓喜したのをしっかり覚えている。
父さえ居なければ、みんな私を可愛がってくれるし、優しくしてくれた。
どれだけ嬉しかった事か。
まるで世界が変わった。
色褪せて見てえいたものが急に色鮮やかに映るようになったし、味気ないご飯も美味しく食べる事も出来るようになった。
その後の人生でも、虐待による苦しみと戦わないといけなくなるなんて、この時は思ってなかったと思う。
小学生に上がり何をしていたかと言うと、覚えていない……というか、正直小学2年生くらいまでの記憶がスッポリないと言った方が正しいと思う。
後々になって母から聞かされたのは、父との離婚が成立した直後から祖父母達とは離れて暮らしだした事、学校も転校になり新しい環境になった事だ。
それからの私は見るからに元気にはなったらしかったが、それは本当に人が変わったようだったとの事だった。
違和感を持った母は、看護師だった事もあってか、すぐに精神科へと連れて行ってくれたようで、違和感の正体はすぐに判明。
「解離性同一性障害」
言わば二重人格や多重人格と呼ばれるものだ。
私の中には複数人の人格が同居していたようで多重人格者の方である。
虐待を受けている時に受け止める為の人格が1人。
元気に明るく振る舞う人格が1人。
急に無口になり、何も話さなくなる人格が1人。
愛情不足から来るであろう、異常なまでの構ってな人格が1人。
これが私の同居人達だ。
この人達が私の代わりに表に出ている間の記憶は私にはない。
所構わず人格交代が起こり、コロコロと人が変わっていたと聞くが、私には何の話やら全く分からなかった。
しっかり私が私として、人格を保てるようになったのは小学3年生の頃。
それでも人格交代は頻繁に起こっていたけれど。
解離性同一性障害の話を聞いた所で、幼い私には理解出来る筈もない。
「それは一体誰の話だろう……?」
「私がやった事ではないけど、何故私の名前を使って話をしているんだろう……?」
そんな疑問を当時持ったのを覚えている。
他者からの攻撃的な態度や言動などがあると、それらを受け止める為の人格、名前は舞と言うらしいがその人が出て来ていて、友達や家族と談笑する際に私が上手く話に乗れないと、明るく元気に振る舞う人格、名前はユカと言うらしいがその人が出て来ていて、逆に誰とも関わりたくない、喋りたくないと思った時際には無口な人格、無口な為名前が分からない人が出て来ていて、寝ている間は、急に夜中に赤ちゃん返りをしたかのように泣いたり、暴れたりする人格、名前は輝と言うらしいがその人が出て来ていて……と。
医師と時間をかけて、どんな時にどの人格が顔を出すのかを調べたらこの結果だった。
急に私が私じゃなくなり、人格が、名前が、喋り方が、態度が、全てにおいて変わるのだ。
それはそれは、周りの人達は奇妙だっただろうし、気持ち悪かったとは思う。
そのおかげでいじめにもあった。
学校に行けば罵られたり物が無くなったりは日常で、その度に舞さんが出て来て助けてくれた。
でも、私にとっては自己防衛の手段であっても、周りは面白おかしく時には痛烈な暴言を交えて弄ってくる。
それに耐え兼ねて、怖くて、不安で不登校になった。
母は1人で私を含めた3人の子供を育てる為に、昼夜問わず働いていた為家には中々帰って来なかった。
誰にも相談出来ず、いつからかどの人格が本当の自分なのかも分からなくなっていたし、この世界には私1人だけしか存在していないのではないかと思うようになった。
「どうせ1人ならいっその事死んでしまおうか」
「悲しむ人なんてどこにもいない」
グルグルと頭の中を巡るのはこんな事ばかり。
もはやこの世に未練なんてものは全く無い。
それでも死なずに生きていられたのは、精神科の先生が鬱である事をしっかり見極めて下さり、治療出来た事と再び祖父母の元で暮らし始めたからだと思う。
母も看護師の仕事だけに絞り、その他の仕事は辞めてそばに居てくれた。
そのおかげか、残りの義務教育期間を全て使い鬱は完治。
それでも解離性同一性障害は治らず、コロコロと中の人達が出て来て生活していたので、1日の中で記憶が飛び飛びだった。
高校生になってからは恋愛も経験。
初めて出来た彼氏が嬉しくて、飛び上がる程だったが、その彼氏が好いていてくれたのは「私」ではなく「ユカ」だった。
確かに根暗な私よりも、天真爛漫なユカさんの方が魅力的だろう。
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