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第22話 契約と対価

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 衣服も纏わず、ベッドの周囲を取り囲む様にして立ち並ぶ男達。

 河瀬が所有するマンションの一室へと突入した俺は…、この瞬間までこの場で何が行われていたのかを瞬時に悟り、幾度も繰り返してきた後悔と、その光景を重ねてしまう。


 例えばそれは…

 …臨時で組んだメンバーに見捨てられ、魔物に攫われてしまった冒険者。

 彼女は右も左も分からない俺のサポートを、国から依頼されたベテラン冒険者だった。姉と弟の様に接してくれた彼女は、その役目が終わる日まで様々な知識や異世界のルールを教えてくれた恩人であり、あちらでの家族のような人だった。

 …街に蔓延る犯罪者集団から運悪く目をつけられた、お気に入りだった食堂のウェイトレス。

 帰らぬ両親の代わりに朝から深夜まで働くのだという彼女の姿は、挫けそうな俺の気持ちを何度も奮い立たせてくれた。

 …俺達の不在を狙われ、奸計に陥り奴隷へと落とされてしまった貴族令嬢。

 彼女は暗殺を企む貴族達から、俺の事を守り続けてくれていた。

 こっちでも…、異世界でも…、やりきれない気持ちばかりが募っていく。

 幼馴染も…、友も…、そして恋人も…。

 どれもこれも、後になって初めて後悔する。

 あの時彼女と組んだパーティメンバー、奴等の経歴に疑問を抱いていれば...

 あの時もっと早くに犯罪者達の拠点を見つけられていれば...

 あの時彼女を狙っていた貴族達に対して、何か一つでも手を打てていれば...

 あの時真尋を引き止めていれば...

 あの時石動の悩みをもっと深く聞いていれば...

 あの時アイラに自分の気持ちを伝え続けていれば...

 あの時俺が勇者としてもっと強ければ...

 決して広いとは言えない、むしろ狭い世界で生きてきた俺にとっては、そのどれもが大きな心の支えであり、変え難い存在だった。

 もうこんな思いはしたくないと…、そう思ったからこそ必死に戦った。

 1つ…また1つと後悔が募る度、皮肉な程に増していく勇者としての実力。

 俺はかつての勇者が成し得なかった魔族との終戦をたったの3年で実現し、気付けば歴代一の勇者などと言われるようになっていた。

 しかし、日本へと帰還した俺を待ち受けていたのは単なる後悔塗れの人生…その続きだ。

 異世界でどれだけ強くなり、偉業を成し遂げようとも、世界が異なればそれらは何の意味も成さない。

 此方で使える魔法など、精々日常を少し便利にする程度のものだ。

 良く考えるまでもない極々当たり前の事実。

 認めたく無かったのかも知れない。

 勇者として確かな結果を残した自分は、何かを変えられたのだと…、そう思いたかったのかも知れない。

 自分が本当に成したかった事など、何一つ成し遂げられなかったというのに。




 目の前に広がる暴力の跡を、これでもかと直視する。

 以前から微かに感じていた、しかし目を逸らし続けた自身の現状を今改めて自覚する。

 自分はまだ何も変えられていないのだと。

 むしろここからが本番なのだ。

 死に物狂いで得たこの魔法ちから…。

 折角手に入れたんだ。

 これを最大限に活用し、後悔だらけのこれまでを…、自らの行動の結果を、変えていきたいと思った。

 その為にもまずは……。






 片澤には待機してもらい、1人で部屋に突入した俺はその場の男全員に即『麻痺』の魔法を掛け、石動の元へと急いだ。

 何かしらの薬物を投与されたのだろうか…、意識が朧げな石動をとりあえず『睡眠』で眠らせて、『解毒』『治癒』『洗浄』と順に掛けていく。

 しかしどれだけ傷や汚れを消そうとも、その身に受けた屈辱による心の傷まではどうする事も出来ない。




(あれを…、やってみる価値はあるかもしれない)

 当然だが石動に頼まれた訳では無い。これは俺の勝手な判断によるものだ。

 しかしこれまでの経験から考えても、こんな記憶は忘れてしまえるならそれが一番だろう…、そう思わずにはいられなかった。

 そこで俺は1つ…あちらの世界で禁忌と呼ばれていた魔法を試す事にした。

「序でにどうなってるか確認しとくか…」

 『保管庫』からアパートに居た男の一人を取り出す。

 男は気絶したままだが微かに息をしている。どうやら『保管庫』は生物を入れても問題無い様だった。

「そこで黙って見ていればいい。ここに居る全員、石動の為に役立ってもらう」

 邪魔な男達を浮遊魔法で部屋の隅へと移動させ、確保できたスペースに取り出した男を寝かせる。

 コイツは確かアパートの玄関ごと吹き飛ばした男だったか。

 男の腕を捥ぎ取り、流れ出る血液をインクとして大きな魔方陣を描いていく。

 数分もしない間に完成したその魔方陣は、異世界では広く使われている『加護』の魔法の為のものだ。

 覚えさえすれば簡単に発動できるこの魔法は、効果こそ低いが能力を満遍なく上昇させる為一種のおまじないとして使われる事が多かった。

 俺やガストンら勇者パーティの面々も、出撃前には必ずと言って良いほど使っていた馴染みのある魔法だ。

 しかし魔族との長い戦争の中で、この魔法の思い掛けない側面が発見される。

 劣勢を強いられる戦いの中で水や食料さえも枯渇し、魔族によって追い詰められたとある国の兵士達。

 死に物狂いで抵抗を続けた彼等は最後…、その身から流れ出る己の血を用いてこの魔法を使い、捨て身の突撃をしようと決意した。

 想定通りに発動する魔法…、それに一縷の望みをかける兵士達。

 しかしそこに落とし穴があった。

 本来は聖水を用いてこそ真価を発揮するこの魔法は、人の血を媒介とする事でその性質を180度別の物へと変容させた。

 赤く、禍々しく輝いた魔方陣が呼び出したのは、魔族達が何よりも崇拝する存在…。

 悪魔と呼ばれる者達だった。

 狡猾な悪魔の甘言に乗せられた兵士達は、自身の全てを対価として契約を結び、敵味方関係なく殺戮の限りを尽くした後に力尽きたのだという。

 それ以降、噂を聞きつけおもしろ半分で悪魔の召喚を試みる者達が現れたが、いずれの場合も悪魔にとって都合の良い契約を結ばされ、最後には対価として多くの血が流れる事になった。

 故に禁忌とされるこの魔法…。

 対価なら目の前に幾らでもある。

 俺にはその手の魔法が使えない以上、それを得意とする者達に頼ってみる価値はある筈だ。

 勇者という肩書きが意味を成さないからこそ選べる選択肢。

 俺は悪魔に男達を捧げ、石動の記憶を消してもらう事にした。




 描かれた陣に魔力を込め、己の願いを念じ続ける。

 次第に赤く光り出した魔方陣は輝きを増していき、その中心では人型の影が姿を現し始める。

 徐々に姿は明確になり、やがてその影は完全に形を固定した。

 ワインレッドのドレスに腰元まで伸びた艶のある金色の髪。まるでそう作られたかの様に整った容姿と彼女の出で立ちは、思わず見惚れてしまう程の異彩を放っていた。

 その場に降り立ち少し辺りを見渡した彼女は、俺と目が合うなり獲物を見つけたと言わんばかりの蠱惑的な笑みを浮かべる。

「ほう…、おヌシの仕業か。随分とまあ遠い場所に呼び出されたものじゃな」

 互いの唇が触れ合いそうなほどに顔を近付け、俺の瞳を覗き込んでくる。

 その肢体から仄かに漂う香りが本能を刺激し、彼女に隷属したい、支配されたいと思考を惑わせる。

 出会い頭に『誘惑』の魔法とはやってくれる。こうやって召喚者の逃げ道を塞ぐつもりなのだろう。

「…残念だが『誘惑』は効かない」

「……その様じゃの。久方ぶりの召喚故、少し気合を入れてみたのだが残念じゃ。それで?おヌシは何ゆえ妾を呼び出した?」

「そこのベッドに寝ている女性。彼女のここ半日の記憶を消して欲しい。可能か?」

 俺の要求を聞くや否や、石動へと歩み寄りその頭部に触れる女悪魔。

「ほう…。なるほどなるほど……。随分と屈辱的な目に遭わされた様じゃが、幸いにも意識が途切れ途切れな為有耶無耶にする事は容易い。なんじゃ、それだけか?」

「ああ。それだけで良い。対価はこの場に居る男達の命。どう扱ってくれようとも構わない。足りないのであればコイツらの仲間も連れて来る」

「気前の良い奴は好きじゃぞ?しかし…、それは要らんなぁ」

「要らない…?」

 もしかして年齢や性別などの好みがあるとでも言うのだろうか…。だとすれば俺にはどうする事も出来ない。

「何か勘違いしておる様じゃな。人の血肉や魂を好む悪魔が多いというだけで、全ての悪魔がそうと言う訳では無い。まあ…、捨てると言う位なら貰っておいてやるがの」
 
「他に欲しいものがあると…。言ってくれ」

「折角この様な世界に呼び出されたんじゃ。そんな不味そうな男を貰ってはい終わり。ではあまりにも味気なかろ?」

「……大体予想出来たけど、具体的にどうすればいい?」

「簡単な話じゃ。妾が飽きるまでこの世界でもてなせ。僕として手足の様に使ってやろうぞ」

 大袈裟な身振りで話すその姿に思わずイラッとしてしまう。

 悪魔の出した条件は考え得る限り1番面倒なタイプだ。

 この場で完結しないばかりか、この悪魔の気分次第ではいつまでも拘束される可能性もある。

 もしかしてそれを見越しての要求かとすら思えてきた。

 そんな心配を察してか、女悪魔は続けて言う。

「なに、何もこの世界で傍若無人に振る舞おうという訳ではない。先ずは妾の城を用意し、腹を空かせれば特上の食事と美酒を用意する。とりあえずはその程度で良い。退屈な魔界で過ごす事と比べれば、それだけでも充分に価値はあるからのう」

 要は何不自由する事無く贅沢をさせろと言う事か。

 随分と金の掛かりそうな悪魔だが…、コツコツと異世界の財宝を現金化している俺は、使い切れない程の大金を手にしている為とりあえず金銭面での問題は無い。

 どこかのタイミングで言い分を変えてくる可能性もあるが…、万が一の時は俺が直接抑え込むという手も残されている。

「わかった。それでいい」

「それは何よりじゃ。では早速取り掛かるぞ?」

 具体的な条件が決まれば次にすべきは契約の締結。

 部屋全体を覆う程の魔方陣が展開され、真紅の魔力が彼女と俺を結ぶ様にして伸びてくる。

「ゴホンッ…、我が名はラピスティア・バロウ。魔界の一端を治める誇り高き女王である。契約を求める前に汝の名を答えよ」

 聞き間違えで無ければ女王と聞こえた気がしたけど…、今は受け流す。

「山田大地だ」

「ではヤマダダイチ。契約の締結を求めるのであれば汝の魔力を、この契約の帯へと流すが良い」

 自身の胸元へ伸ばされた真紅の帯。適切な方法など知らない俺は、とりあえずラピスティアの魔力に対しで魔力を流した。

「?…おヌシまさか……⁉︎」

 途端に慌てだしたラピスティア。もしかして魔力が少なかったのだろうか。
 
 補充の手段があるとは言え、自然回復を望めない此方では常に全盛期の1/10も無い。

「ぐっ…このっ!」

「お、おい。大丈夫か?」

 足に力を入れて踏ん張る様な体勢をとるラピスティア。

「は、ハメたな⁉︎最初からこれを狙って妾を…!」

「ハメた?何の話だ?それより契約は大丈夫なのか?」

 心配になってきた俺は、念の為限界まで魔力を捻り出す。あり過ぎて困る物でも無いだろう。

「ちょっ…やめっ!……あああああああ⁉︎」

 真紅の帯は徐々に俺の魔力の色へと染め上げられ、その終点に立つラピスティアへと達したその瞬間、彼女はビクビクと痙攣して倒れた。

「おい!大丈夫か⁈」

「大丈夫じゃ…無いわ……この化け物め!」

 此方を睨み付けるラピスティア。彼女の首元には、先程まで無かった筈の首輪がかけられていた。





「くっ…!妾ともあろうものが…、人間の従魔にされるだと?」

 少しして立ち上がったラピスティアは状況の説明を始めた。

 どうやら俺が彼女の魔力量を遥かに上回ったせいで、契約魔法が変質…立場が逆転してしまったらしい。

 つまりいつでもラピスティアとの契約を切って魔界へ帰す事も出来るし、俺が一方的に命令を出す事も出来る。

 ラピスティアには悪いが嬉しい誤算だった。

 だがまあ金欠にならない内は彼女の希望通りに贅沢をさせてやるつもりだ。

 今後また力を貸して欲しい局面があるかも知れないからな。




 そんなこんなで俺の従魔と化したラピスティア。

 トラブルによって最早形骸化した契約を果たすべく、彼女は石動の横へと立つ。

 他者の意識への介入や操作を可能とする魔法は、悪魔や魔族の得意分野だ。

 俺達人間にも使えない事は無いみたいだけど、習得に要する時間やそもそもの謎の多さも手伝い、覚えようとする者は殆ど居なかった。

「終わったぞ」

「ああ。ありがとう」

「悪魔が礼を言われるとはのう。全く…、憂鬱じゃ」

 とりあえず優先すべき事は終えた。片澤も随分待たせてしまったし、2人は一度どこかへ移動させるべきだろう。

 この男達はその後に片付ければいい。魔力もスッカラカンになってしまったしな。

 ラピスティアには要らないと言われてしまった男達。予定外の反応に少々計画は狂ってしまったが、この男達をどうするかは大方決めておいた。それまではとりあえず『保管庫』の中に居てもらおう。

 当然解放する気はないし、警察に突き出すつもりもない。

 この国に厳格な法がある以上、俺に手を下す権利など本来ありはしない。

 しかしそれがどうしたというのか。

 この男達も散々やってきた事だろう。

 ゴブリンも、盗賊の様な犯罪者達も、コイツ等も、皆同じだ。

 肉食獣が無慈悲に獲物を貪るように、この手の人間は他者を当然の様に虐げる。

 ならば俺もそれに倣い、一人残らず始末してやろう。

 誰一人として楽に終わらせるつもりはない。




 未だ動けない様子の男達を『保管庫』へと収納し、石動を抱き上げ部屋を出る。

「悪い片澤。待たせた」

「あっ!大地……と?」

 俺と石動の姿を確認して安堵した様子の片澤だったが、然も当然の様に付いてくるラピスティアを目にして戸惑っている様子。

「ああ、コイツは協力者の1人なんだけど…、とりあえずここを離れてから話そうか。河瀬達の事もあるし」

「コイツ、とは何とまあ不躾な奴じゃのう。妾にはラピスティアという名前がある」

「ラピスティア…さん?めちゃくちゃ綺麗…というかドレスも凄っ……あっ!私は片澤詩織です」

「素直な奴は好きじゃぞ?ラピスで良い。シオリとやら」

 悪魔はもっと傲慢な生き物だと思っていたけれど、案外そうでも無いのかも知れない。

 少なくとも片澤に接するラピスティアの態度は、想像していたよりも随分と柔らかいものに思えた。

「ラピスティア。悪いが俺はさっきの契約で魔力がもう無い。少しだけ貰えるか?」

「全く仕様のない…。ほれ、顔を貸せ」

「少しでいいぞっ……ん⁉︎」

「え」

 後頭部をガッシリとホールドされ、強引に唇を奪われる。

「……ぷはっ、かなりの魔力を渡してやった。これで半分にも満たぬとは、本当に底が知れんのうおヌシ」

「いや…、手で触れて渡すんじゃダメだったのか!?ていうか俺初めてなん…だけど」

「単に触れただけでは時間が掛かるじゃろう。というかおヌシ、初めてとな?あっはっはっは!これは面白い。先程受けた屈辱も、これで少しは溜飲が下がるというものだ!これから先、口付けの度におヌシはこの美しい顔を思い出すのだろうな?」

「コイツ…!」

「なんか凄い場面を見せられちゃった…」

 こうして不本意ながらもかなりの魔力を補充出来た俺、それと片澤、石動、ラピスティアの4人はマンションを抜け出し、人目の付かない場所を目指して飛び立った。
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