【完結】月と羊 〜その声に恋をしていた〜

西宮裕華

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月と羊 前日譚;月まで、あと少し

羊、まだ出会う前

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 日辻智士は、今日も午前3時にパソコンの電源を落とした。

 静まり返った部屋。モニターの光が消えると、窓の外に広がる夜明け前の薄青い空気がようやく意識に届く。キーボードに触れていた指がまだじんわり熱を帯びていた。

「……まあ、いい感じだろ」

 編集した動画の再生数予測も、企画の流れも、コメントの手応えも。何もかもが順調だった。

 実況者“羊”として活動して数年。最初は“声”だけだった。ゲームの腕前が特別優れているわけでもなければ、顔出しでのアピールもしない。けれど、話すテンポと、言葉の選び方。それだけは昔から少しだけ自信があった。

 それに今は「GG4」があった。自分にはない能力を持つ、気の合う仲間たちと、気楽に笑い合い、時に真剣にぶつかれる空間。バラバラなようで絶妙に噛み合った4人のバランスは、今の自分を支えてくれている。

 ——だから、満たされていた。

 少なくとも、そう思っていた。


 恋愛は、まったくなかったわけじゃない。

「羊さんのファンで…」という声を何度か聞いたこともあるし、知り合いの紹介で食事に行ったこともある。たまに付き合うことも、夜を過ごすことだってあった。
 でも——

(……部屋に入れる必要、ないだろ)

(正直、連絡は最低限でよくない?)

 そんなふうに、ふとした瞬間に距離を引いてしまう。

「一緒にいても楽しくない」とか、「結局、私のことなんて興味ないんじゃない」と言われて、別れたこともあった。相手を傷つけたかったわけじゃない。ただ、自分の“場所”に踏み込まれると、どこか呼吸が苦しくなるだけだ。

 別れた後に引きずることもなかった。
 元々、1人の時間には慣れていた。癒されたければ、動物園や水族館に行く。静かな夜に、好きなゲームのBGMを流しながら編集作業をしているときが、いちばん落ち着く。GG4のメンバーのチャットもうるさいくらいに流れてくる。

「恋愛って、そんなに必要か?」

 仲間と笑い合い、視聴者から反応をもらい、ゲームの世界に没入できる——それで十分じゃないか。

 そう、思っていた。



 ある時、動画のサムネイルを並べていた手が止まる。

 画面の片隅に映った、ふとした自分の表情。録画中に、笑った瞬間だった。

 ……このとき、本当に楽しかったか?

 そんなふうに考えてしまったことに、我ながら驚いた。
 いやいや、楽しかっただろ。セイが珍しくまともなボケした時だった。
 ぐっちさんが空気読まずに流して、Renさんが的確に拾って、完璧な流れだった。

 なのに。

 笑いながら、心のどこかで「何かが足りない」と感じたような気がした。

 ——誰かに、伝えたいと思った?

 でも、誰に?

 そんな自問を打ち消すように頭を振って、新作ゲームの実況計画メモを取るためにスマホを開いた。



 そうしていつもの朝。
 いつものGG4の収録に向かう電車をホームで待っていた。
 と、アナウンスが流れた。
 他路線が人身事故で止まってるという。
「マジか……絶対混むじゃん」

 でもこの電車に乗らないとスタジオに行けない。
 ため息を一つついて、ホームに入ってくる電車を眺めた。
(既に8割以上、人が入っている………これに乗るのかよ…)

 ちょっと憂鬱な、何も起こらない、いつもの朝、のはずだった。そう思っていた。

 その“瞬間”まで、あと5分————
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