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第2章:春
レオナルド 〜変わり始めた令嬢〜
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春の陽気が学園を包み、新たな一年が始まった。
「いよいよ、始まるわね。縛りプレイが」
「……始まるのは学園生活ですが」
侍女アーニャのツッコミも耳に入らない。
前世の記憶を取り戻してから初めて迎える春。破滅エンドを防ぐために。平和な世界で生きるために。
今日は、最初の分岐点だ。
緊張の色を滲ませてリディアはそこに立っていた。
広々とした講堂には、新入生と在校生たちが整列し、厳粛な始業式が行われていた。壇上に立つのは、全校生徒代表であり、王太子であるレオナルド・フォン・グランツ。
「学び舎において最も重んじるべきは誠実さである。身分の上下に関わらず、互いに敬意を持って学び合おうではないか」
隙のない完璧な身のこなし、よどみない発声、優雅な所作。そして遠くからでもわかる、美しい金色の髪に引き込まれそうな碧い瞳。女生徒はうっとりと見とれ、男子生徒は自然と背筋を伸ばす。
そこにいるだけで、場を支配できる圧倒的な存在感を持つ人間。
(この人、ほんとに、生まれながらのガチの王族……)
リディアは心の中で再確認していた。
けれど、彼女は知っていた。
スチル絵にするとよく映えるこの男が、乙女ゲーム『薔薇色の夢』ではイベント回収率も低く、地雷も多い”高難易度キャラ”だったことを。
(あの人、選択肢で間違うとすぐ“失望した”って言ってくるんだよね……。器の大きさとは?)
そんなことを考えているうちに、始業式が終わっていた。
そして、運命の“イベント”がやってくる。
始業式の後、婚約者候補たちはレオナルドに新学期の挨拶をする。一応、リディアもその候補の1人だ。“候補”なのにもう決定事項のように「自分は未来の王太子妃だ」とふれ回っていたあの頃の自分。
これから彼に会うのも気が重い。でも逃げるわけにもいかない。そんなことをしたら、礼儀知らずの侯爵令嬢の烙印を押される。もう、押されているのかもしれないが。
紅茶の香り漂う応接室で、レオナルドを前にリディアは深々と礼を取った。
「お時間いただき、ありがとうございます。王太子殿下。リディア・アルステッドでございます」
礼一つとっても、アルステッド家侯爵令嬢としての“貴族の美”がにじみ出る。
前世の記憶が戻っても、この身体は侯爵令嬢。作法はばっちり身に染みていたことに感謝する。
そしてこれまでのわがままぶりに謝罪をする。
(レオナルドも先程言っていたものね。「大切なのは“誠実さ”だ」って。だからまずは“心からの”謝罪! これ一択!)
「新年度にあたり、まずはこれまでの非礼を謹んでお詫び申し上げます。多くのご迷惑をおかけしたこと、今更ながら反省しております。今後は、殿下のお立場を重く受け止め、ふさわしくあるよう努めてまいります」
格式高く、確かな声で告げて頭を下げた。
レオナルドの表情は見えない。しかし彼の側近が驚きのあまり、目を見開いたまま固まっているのが視界の端に映った。
数秒の沈黙。そして彼の静かな声が降ってきた。
「君には……失望したよ」
(え……ちょ、ちょっと待って。もう地雷踏んだ!?)
焦って思わず顔を上げる。そこでリディアが目にしたのは皮肉めいた笑いを浮かべているレオナルド。
「失望もするだろう? もっと傲慢に、高笑いでもしてくるかと思って身構えていたのに。ずいぶん大人しくなったじゃないか。まるで人が変わったようだ」
どこか棘を含んだ物言いだったが、そこに“拒絶”の色が入っていないことにホッと胸を撫で下ろす。
前のリディアならここでも「当然ですわ。私はレオナルド様の未来の妃ですもの!」とかドヤっていたはずだ。だが今は違う。何よりも平和な生活がしたい悪役令嬢は、アピールより共存を選ぶ。
「殿下の責務の重さを思えば、私情を挟むべきではない、と……そう思っただけですわ」
「ふむ……」
短い相槌のあと、彼は紅茶の香りを楽しむようにカップを傾けた。
「確かに、以前までの君ならそうは言わなかっただろうな。むしろ、“私の魅力でレオナルド様のお心を射止めますわ!”くらい言いそうだった」
(うん、言ってたね。むしろ2、3回言って、あげく彼の隣に無理矢理座ろうとするね)
リディアはかろうじて笑顔を保った。
「人は、成長する生き物ですから」
「……そうだな」
応接室に沈黙が流れる。リディアは一礼して退室の意を述べた。
「失礼いたします、殿下。どうか充実した一年となりますよう、お祈りしております」
「……リディア嬢」
「はい?」
「“殿下”と呼ばれるのは、少しくすぐったいな」
「それが、正しい呼称かと存じます」
涼しげに返されたその言葉に、レオナルドの口元がわずかにほころんだ。
“以前とどこか違う”
そんな小さな興味が、彼の中に芽生えようとしていた。
***
その後、リディアは文字通り“真面目な侯爵令嬢”として学園生活を送り始めた。
授業中に発言しても、自慢するでもなく、あくまで冷静に知識を述べ、誰に対しても礼儀正しい。品行方正に、目立たぬように。
以前の「王太子妃気取りの勘違い令嬢」から一転、「適度な距離感と配慮のある良識的な侯爵令嬢」へと路線変更である。
当然、レオナルドの側近たちはざわつき始めた。
「殿下、あのリディア嬢が大人しくなっております。これは嵐の前の静けさでは……?」
「急に礼儀正しくなるなど、不自然です。もしかして……何か陰謀を?」
レオナルドの側近が口々にそう報告したとき、彼は短く言った。
「彼女は、以前とは違う。それだけの話だ」
「ですが、殿下!」
「根拠のない疑念で他者を裁くのは愚か者のすることだ」
その声音に、誰も言い返せなかった。
(彼女は確かに“変わった”。かつての“見え透いた虚勢”とは明らかに違うものがそこにある。しかし……だからなんだと言うのか。自分は、王家に相応しい相手を見定めるだけだ)
レオナルドは側近たちの声をどこか遠くのものとして聞き流しながら、手元の書類に集中した。
まだ「愛情」には遠く及ばない。ただ、「以前とは違う彼女」が、王太子の心にほんの小さな風を起こした……のかもしれない。
春の風は、まだ穏やかで、優しい。
「いよいよ、始まるわね。縛りプレイが」
「……始まるのは学園生活ですが」
侍女アーニャのツッコミも耳に入らない。
前世の記憶を取り戻してから初めて迎える春。破滅エンドを防ぐために。平和な世界で生きるために。
今日は、最初の分岐点だ。
緊張の色を滲ませてリディアはそこに立っていた。
広々とした講堂には、新入生と在校生たちが整列し、厳粛な始業式が行われていた。壇上に立つのは、全校生徒代表であり、王太子であるレオナルド・フォン・グランツ。
「学び舎において最も重んじるべきは誠実さである。身分の上下に関わらず、互いに敬意を持って学び合おうではないか」
隙のない完璧な身のこなし、よどみない発声、優雅な所作。そして遠くからでもわかる、美しい金色の髪に引き込まれそうな碧い瞳。女生徒はうっとりと見とれ、男子生徒は自然と背筋を伸ばす。
そこにいるだけで、場を支配できる圧倒的な存在感を持つ人間。
(この人、ほんとに、生まれながらのガチの王族……)
リディアは心の中で再確認していた。
けれど、彼女は知っていた。
スチル絵にするとよく映えるこの男が、乙女ゲーム『薔薇色の夢』ではイベント回収率も低く、地雷も多い”高難易度キャラ”だったことを。
(あの人、選択肢で間違うとすぐ“失望した”って言ってくるんだよね……。器の大きさとは?)
そんなことを考えているうちに、始業式が終わっていた。
そして、運命の“イベント”がやってくる。
始業式の後、婚約者候補たちはレオナルドに新学期の挨拶をする。一応、リディアもその候補の1人だ。“候補”なのにもう決定事項のように「自分は未来の王太子妃だ」とふれ回っていたあの頃の自分。
これから彼に会うのも気が重い。でも逃げるわけにもいかない。そんなことをしたら、礼儀知らずの侯爵令嬢の烙印を押される。もう、押されているのかもしれないが。
紅茶の香り漂う応接室で、レオナルドを前にリディアは深々と礼を取った。
「お時間いただき、ありがとうございます。王太子殿下。リディア・アルステッドでございます」
礼一つとっても、アルステッド家侯爵令嬢としての“貴族の美”がにじみ出る。
前世の記憶が戻っても、この身体は侯爵令嬢。作法はばっちり身に染みていたことに感謝する。
そしてこれまでのわがままぶりに謝罪をする。
(レオナルドも先程言っていたものね。「大切なのは“誠実さ”だ」って。だからまずは“心からの”謝罪! これ一択!)
「新年度にあたり、まずはこれまでの非礼を謹んでお詫び申し上げます。多くのご迷惑をおかけしたこと、今更ながら反省しております。今後は、殿下のお立場を重く受け止め、ふさわしくあるよう努めてまいります」
格式高く、確かな声で告げて頭を下げた。
レオナルドの表情は見えない。しかし彼の側近が驚きのあまり、目を見開いたまま固まっているのが視界の端に映った。
数秒の沈黙。そして彼の静かな声が降ってきた。
「君には……失望したよ」
(え……ちょ、ちょっと待って。もう地雷踏んだ!?)
焦って思わず顔を上げる。そこでリディアが目にしたのは皮肉めいた笑いを浮かべているレオナルド。
「失望もするだろう? もっと傲慢に、高笑いでもしてくるかと思って身構えていたのに。ずいぶん大人しくなったじゃないか。まるで人が変わったようだ」
どこか棘を含んだ物言いだったが、そこに“拒絶”の色が入っていないことにホッと胸を撫で下ろす。
前のリディアならここでも「当然ですわ。私はレオナルド様の未来の妃ですもの!」とかドヤっていたはずだ。だが今は違う。何よりも平和な生活がしたい悪役令嬢は、アピールより共存を選ぶ。
「殿下の責務の重さを思えば、私情を挟むべきではない、と……そう思っただけですわ」
「ふむ……」
短い相槌のあと、彼は紅茶の香りを楽しむようにカップを傾けた。
「確かに、以前までの君ならそうは言わなかっただろうな。むしろ、“私の魅力でレオナルド様のお心を射止めますわ!”くらい言いそうだった」
(うん、言ってたね。むしろ2、3回言って、あげく彼の隣に無理矢理座ろうとするね)
リディアはかろうじて笑顔を保った。
「人は、成長する生き物ですから」
「……そうだな」
応接室に沈黙が流れる。リディアは一礼して退室の意を述べた。
「失礼いたします、殿下。どうか充実した一年となりますよう、お祈りしております」
「……リディア嬢」
「はい?」
「“殿下”と呼ばれるのは、少しくすぐったいな」
「それが、正しい呼称かと存じます」
涼しげに返されたその言葉に、レオナルドの口元がわずかにほころんだ。
“以前とどこか違う”
そんな小さな興味が、彼の中に芽生えようとしていた。
***
その後、リディアは文字通り“真面目な侯爵令嬢”として学園生活を送り始めた。
授業中に発言しても、自慢するでもなく、あくまで冷静に知識を述べ、誰に対しても礼儀正しい。品行方正に、目立たぬように。
以前の「王太子妃気取りの勘違い令嬢」から一転、「適度な距離感と配慮のある良識的な侯爵令嬢」へと路線変更である。
当然、レオナルドの側近たちはざわつき始めた。
「殿下、あのリディア嬢が大人しくなっております。これは嵐の前の静けさでは……?」
「急に礼儀正しくなるなど、不自然です。もしかして……何か陰謀を?」
レオナルドの側近が口々にそう報告したとき、彼は短く言った。
「彼女は、以前とは違う。それだけの話だ」
「ですが、殿下!」
「根拠のない疑念で他者を裁くのは愚か者のすることだ」
その声音に、誰も言い返せなかった。
(彼女は確かに“変わった”。かつての“見え透いた虚勢”とは明らかに違うものがそこにある。しかし……だからなんだと言うのか。自分は、王家に相応しい相手を見定めるだけだ)
レオナルドは側近たちの声をどこか遠くのものとして聞き流しながら、手元の書類に集中した。
まだ「愛情」には遠く及ばない。ただ、「以前とは違う彼女」が、王太子の心にほんの小さな風を起こした……のかもしれない。
春の風は、まだ穏やかで、優しい。
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