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第1部「灰の路」 第1章「焼け残り」
第12話「喧騒の中の静寂」⑤
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「すげぇ……あのオッサン、怒りで動かしてるな」
「体に力入りすぎて、全然ステップできてないじゃん」
「でも、あの腕でかすっただけで肩ガクッてなってたぞ」
数人の観客が肩を寄せ合い、興奮の余韻を分け合うように息を潜める。
湿気に混ざった汗の匂いと人の体温が、空き地全体に重く滞留していた。
ざらついた夜風が頬を撫でても、その熱気はまるで逃げ場を失ったように地面に張りついている。
「おい、次は誰だ?」
「カップルが来るらしいぞ。彼氏が見栄を張るやつ」
「それ絶対面白いな。彼女の前でカッコつけるとか、見てられんわ」
笑いを含んだ声があちこちで弾み、リングを囲む空気がわずかに軽くなる。
スマホを構えた若い女性の声が混ざった。「撮っていいですか?」と、カメラに向かって微笑む。
周囲からは「撮れ撮れ」「早く始めろ」といった掛け声が飛び、観客は次の衝突を待ち構えている。
リングに残る熱気と汗の匂いが、わずかに沈静化した頃、角の暗がりからカップルの彼氏が姿を見せた。
肩を軽く揺らし、恋人のスマホをちらりと気にしながらリングに足を踏み入れる。
その視線は観客ではなく、ただ一人、彼女だけを追っていた。
「……撮るんだろ?」
「うん、いいよ!」
彼女の声は楽しげで、スマホを構える手がわずかに震えている。
観客席からはくすくすと笑い声が漏れ、リング上に漂っていた緊張感が一瞬だけ緩んだ。
だがその軽やかさの裏で、蓮司の眼差しだけが一点を見つめたまま動かない。
彼氏が選んだのは、オプションC――「避けずに全ての攻撃を受ける」。
「殴るだけで追いかけなくていいんだろ?」
軽く笑いながらそう言う声に、蓮司はただ小さく頷く。
反撃がないと知っている彼氏の拳には、強がりと焦りが入り混じっていた。
自分を強く見せたい――その思いが筋肉を硬直させ、呼吸を浅くする。
見栄と虚勢が汗とともに滲み、夜の湿気に溶けていった。
蓮司は膝を軽く曲げ、手のひらを開く。
テーピングに伸ばした指先は、微動だにしない。
表情は変わらず、ただ淡々と、次に訪れる痛みと動きを見据えている。
「……撮ってるんだろ、ちゃんと?」
彼の声は少し強めだったが、その奥には明確な不安があった。
彼女は笑いながら頷き、スマホを構える手を少し高く持ち上げる。
その瞬間、彼の意識は完全にレンズの向こうに奪われた。
拳の軌道よりも、角度よりも、どう映るか――そこばかりが気になって仕方ない。
観客の誰かが囁いた。
「お、彼女の前か」「見せ場だな」
湿った夜風が通り抜け、リングの板を鳴らす。
蓮司はその音に呼吸を合わせるように、ゆっくりと息を吐いた。
静かな空間に、スマホの赤い録画ランプが小さく光り、
次のラウンドの幕が、音もなく上がった。
「体に力入りすぎて、全然ステップできてないじゃん」
「でも、あの腕でかすっただけで肩ガクッてなってたぞ」
数人の観客が肩を寄せ合い、興奮の余韻を分け合うように息を潜める。
湿気に混ざった汗の匂いと人の体温が、空き地全体に重く滞留していた。
ざらついた夜風が頬を撫でても、その熱気はまるで逃げ場を失ったように地面に張りついている。
「おい、次は誰だ?」
「カップルが来るらしいぞ。彼氏が見栄を張るやつ」
「それ絶対面白いな。彼女の前でカッコつけるとか、見てられんわ」
笑いを含んだ声があちこちで弾み、リングを囲む空気がわずかに軽くなる。
スマホを構えた若い女性の声が混ざった。「撮っていいですか?」と、カメラに向かって微笑む。
周囲からは「撮れ撮れ」「早く始めろ」といった掛け声が飛び、観客は次の衝突を待ち構えている。
リングに残る熱気と汗の匂いが、わずかに沈静化した頃、角の暗がりからカップルの彼氏が姿を見せた。
肩を軽く揺らし、恋人のスマホをちらりと気にしながらリングに足を踏み入れる。
その視線は観客ではなく、ただ一人、彼女だけを追っていた。
「……撮るんだろ?」
「うん、いいよ!」
彼女の声は楽しげで、スマホを構える手がわずかに震えている。
観客席からはくすくすと笑い声が漏れ、リング上に漂っていた緊張感が一瞬だけ緩んだ。
だがその軽やかさの裏で、蓮司の眼差しだけが一点を見つめたまま動かない。
彼氏が選んだのは、オプションC――「避けずに全ての攻撃を受ける」。
「殴るだけで追いかけなくていいんだろ?」
軽く笑いながらそう言う声に、蓮司はただ小さく頷く。
反撃がないと知っている彼氏の拳には、強がりと焦りが入り混じっていた。
自分を強く見せたい――その思いが筋肉を硬直させ、呼吸を浅くする。
見栄と虚勢が汗とともに滲み、夜の湿気に溶けていった。
蓮司は膝を軽く曲げ、手のひらを開く。
テーピングに伸ばした指先は、微動だにしない。
表情は変わらず、ただ淡々と、次に訪れる痛みと動きを見据えている。
「……撮ってるんだろ、ちゃんと?」
彼の声は少し強めだったが、その奥には明確な不安があった。
彼女は笑いながら頷き、スマホを構える手を少し高く持ち上げる。
その瞬間、彼の意識は完全にレンズの向こうに奪われた。
拳の軌道よりも、角度よりも、どう映るか――そこばかりが気になって仕方ない。
観客の誰かが囁いた。
「お、彼女の前か」「見せ場だな」
湿った夜風が通り抜け、リングの板を鳴らす。
蓮司はその音に呼吸を合わせるように、ゆっくりと息を吐いた。
静かな空間に、スマホの赤い録画ランプが小さく光り、
次のラウンドの幕が、音もなく上がった。
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