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第1部「灰の路」 第1章「焼け残り」
第33話「赦しの残火」②
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Avalonの照明が少しだけ明るくなっていた。
さっきまで荒れていたフロアには、
もうガラスの欠片ひとつ落ちていない。
キャストたちは掃除を終え、
グラスを拭いたり、椅子を元の位置に戻したりしていた。
それでも、どこかぎこちない。
笑顔を浮かべようとしても、さっきの出来事の余韻が肌に貼りついて離れないのだ。
そんな中、蘭華はカウンターから一歩前に出た。
そして、キャスト全員を前にして、深く頭を下げた。
背筋が真っすぐで、長い黒髪が肩から滑り落ちる。
店のオーナーとしてではなく、一人の人間として、彼女は謝罪していた。
「――怖い思い、させてしまってごめんね」
その声は静かだったが、誰も口を挟むことができなかった。
照明の下で彼女の瞳が少し赤く光る。
それは怒りでも悲しみでもなく、自分を責める痛みの色だった。
「私が、守るって言ったのに。
あんな連中に怯えさせて……ごめん。
ほんとうに、ごめんね」
蓮司は隣でその姿を見ていた。
蘭華が頭を下げたまま動かない。
キャストの一人が口を開こうとしても、声にならない。
重い沈黙が降りる。
――その静寂を、蓮司が破った。
「……蘭華」
短く名前を呼ぶと、蓮司は無言で背負っていたリュックを下ろした。
そして、そこから黒いセカンドバッグを取り出す。
中から、封筒をいくつも取り出し、整然とテーブルの上に並べていく。
一枚一枚、きちんと指先で端を揃えるその動作は、まるで儀式のようだった。
「――みんな、これを受け取ってくれ」
キャストの子たちは、驚いたように顔を見合わせた。
封筒を開けた子の手が震える。中には帯封付きの百万円の札束。
「えっ……ちょ、ちょっと待ってください、これ……」
「迷惑料だ。さっきの連中の件で、怖い思いをさせた。
その分を補うなんてことはできないが……せめて、形に残るものを」
蓮司の声は冷静で、感情を押し殺しているように聞こえた。
それでも、どこか柔らかかった。
怖いと思っていた彼の瞳が、今は不思議と温かい。
「俺も、守ると言っていたのに守れなかった。……すまなかった」
そう言って、蓮司も蘭華の隣で深く頭を下げた。
黒いパーカーのフードが落ち、前髪が額にかかる。
その姿に、キャストの一人が小さく息を呑む。
誰かが「そんな……」と呟き、
別の子が「謝らないでください」と涙声で言った。
それでも、蘭華も蓮司も顔を上げなかった。
二人は、自分の背負うものをちゃんと分かっている。
――この店は、ただの「職場」ではない。
傷ついた心が、ようやく笑顔を取り戻せる場所。
それを守ると決めた人たちだった。
やがて、キャストの一人がぽつりと笑った。
「……なんか、うちら、すごい幸せ者ですね」
別の子が涙を拭いながら「こんな店、他にないですよ」と続ける。
少しずつ笑い声が戻っていく。
さっきまでの恐怖と緊張が、温かい空気に変わっていった。
蘭華は、ようやく顔を上げた。
その目に、わずかな光が戻っている。
「ありがとう……。
でも、今日はもうお店を閉めます。
明日も休みにして、みんな、ゆっくり休んで。
明後日からは、また元気に……Avalonを開けましょう」
「はいっ!」
キャストたちの返事が、驚くほど明るく響いた。
その声を聞いて、蘭華の口元に笑みが浮かぶ。
「その“はい”が聞きたかった」
そう言って、彼女はそっと手を合わせた。
蓮司は黙ってその様子を見ていた。
彼の瞳は穏やかで、戦いの後の静けさに少しだけ安堵しているようだった。
――暴力で守るしかなかった夜。
でも、今この瞬間だけは、言葉と温もりが人を救っていた。
全員がそれぞれの荷物を手に取り、店の出口へ向かう。
「お先に失礼します、店長!」
「蓮司さんも、ありがとうございました!」
ひとり、またひとりと、笑顔を残して去っていく。
蘭華は最後の子を見送ると、静かにため息をついた。
そして、カウンターの奥へ戻り、棚の上にある一本のボトルを手に取った。
――コカレロ・クラシコ。
透明な緑色が、照明の光を受けて宝石のように輝く。
蘭華はグラスを二つ出し、ボトルを軽く持ち上げた。
「……ねぇ、片付け、終わったら少し飲まない?」
その声には、先ほどまでの緊張が嘘のように柔らかさがあった。
蓮司は少しだけ笑って、カウンター越しに頷く。
「水でもいいなら、付き合う」
「もちろん」
蘭華の微笑みは、Avalonの灯のように穏やかだった。
――店の夜は、ようやく静けさを取り戻していた。
さっきまで荒れていたフロアには、
もうガラスの欠片ひとつ落ちていない。
キャストたちは掃除を終え、
グラスを拭いたり、椅子を元の位置に戻したりしていた。
それでも、どこかぎこちない。
笑顔を浮かべようとしても、さっきの出来事の余韻が肌に貼りついて離れないのだ。
そんな中、蘭華はカウンターから一歩前に出た。
そして、キャスト全員を前にして、深く頭を下げた。
背筋が真っすぐで、長い黒髪が肩から滑り落ちる。
店のオーナーとしてではなく、一人の人間として、彼女は謝罪していた。
「――怖い思い、させてしまってごめんね」
その声は静かだったが、誰も口を挟むことができなかった。
照明の下で彼女の瞳が少し赤く光る。
それは怒りでも悲しみでもなく、自分を責める痛みの色だった。
「私が、守るって言ったのに。
あんな連中に怯えさせて……ごめん。
ほんとうに、ごめんね」
蓮司は隣でその姿を見ていた。
蘭華が頭を下げたまま動かない。
キャストの一人が口を開こうとしても、声にならない。
重い沈黙が降りる。
――その静寂を、蓮司が破った。
「……蘭華」
短く名前を呼ぶと、蓮司は無言で背負っていたリュックを下ろした。
そして、そこから黒いセカンドバッグを取り出す。
中から、封筒をいくつも取り出し、整然とテーブルの上に並べていく。
一枚一枚、きちんと指先で端を揃えるその動作は、まるで儀式のようだった。
「――みんな、これを受け取ってくれ」
キャストの子たちは、驚いたように顔を見合わせた。
封筒を開けた子の手が震える。中には帯封付きの百万円の札束。
「えっ……ちょ、ちょっと待ってください、これ……」
「迷惑料だ。さっきの連中の件で、怖い思いをさせた。
その分を補うなんてことはできないが……せめて、形に残るものを」
蓮司の声は冷静で、感情を押し殺しているように聞こえた。
それでも、どこか柔らかかった。
怖いと思っていた彼の瞳が、今は不思議と温かい。
「俺も、守ると言っていたのに守れなかった。……すまなかった」
そう言って、蓮司も蘭華の隣で深く頭を下げた。
黒いパーカーのフードが落ち、前髪が額にかかる。
その姿に、キャストの一人が小さく息を呑む。
誰かが「そんな……」と呟き、
別の子が「謝らないでください」と涙声で言った。
それでも、蘭華も蓮司も顔を上げなかった。
二人は、自分の背負うものをちゃんと分かっている。
――この店は、ただの「職場」ではない。
傷ついた心が、ようやく笑顔を取り戻せる場所。
それを守ると決めた人たちだった。
やがて、キャストの一人がぽつりと笑った。
「……なんか、うちら、すごい幸せ者ですね」
別の子が涙を拭いながら「こんな店、他にないですよ」と続ける。
少しずつ笑い声が戻っていく。
さっきまでの恐怖と緊張が、温かい空気に変わっていった。
蘭華は、ようやく顔を上げた。
その目に、わずかな光が戻っている。
「ありがとう……。
でも、今日はもうお店を閉めます。
明日も休みにして、みんな、ゆっくり休んで。
明後日からは、また元気に……Avalonを開けましょう」
「はいっ!」
キャストたちの返事が、驚くほど明るく響いた。
その声を聞いて、蘭華の口元に笑みが浮かぶ。
「その“はい”が聞きたかった」
そう言って、彼女はそっと手を合わせた。
蓮司は黙ってその様子を見ていた。
彼の瞳は穏やかで、戦いの後の静けさに少しだけ安堵しているようだった。
――暴力で守るしかなかった夜。
でも、今この瞬間だけは、言葉と温もりが人を救っていた。
全員がそれぞれの荷物を手に取り、店の出口へ向かう。
「お先に失礼します、店長!」
「蓮司さんも、ありがとうございました!」
ひとり、またひとりと、笑顔を残して去っていく。
蘭華は最後の子を見送ると、静かにため息をついた。
そして、カウンターの奥へ戻り、棚の上にある一本のボトルを手に取った。
――コカレロ・クラシコ。
透明な緑色が、照明の光を受けて宝石のように輝く。
蘭華はグラスを二つ出し、ボトルを軽く持ち上げた。
「……ねぇ、片付け、終わったら少し飲まない?」
その声には、先ほどまでの緊張が嘘のように柔らかさがあった。
蓮司は少しだけ笑って、カウンター越しに頷く。
「水でもいいなら、付き合う」
「もちろん」
蘭華の微笑みは、Avalonの灯のように穏やかだった。
――店の夜は、ようやく静けさを取り戻していた。
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