『灰を駆ける者 ― ASH WALKER ―』

たーゆ。

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第1部「灰の路」 第2章「灰の綻び」

第7話「灰に触れる手」②

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 “ナイトローズ”を出ると、冷たい風が頬を撫でた。
夜の木屋町は、湿ったネオンの明滅がアスファルトに溶けて、
微かに酒と油の匂いが漂っていた。
 蓮司は無言のまま、手をポケットに突っ込み歩き出す。
八雲侠佑は半歩後ろから、ゆっくりとその背中を追った。
足音が、濡れた路地に規則正しく響く。

「しかしまあ……暑いなぁ」
 侠佑が、息を吐きながら言った。
「君、黒のパーカー着てるやん。熱そうやで」
「平気だ」
「そら若くて元気な証拠やで」

 冗談めかして笑うが、蓮司は何も返さない。
ただ無言で歩き続け、時折、街灯の下で影が伸びたり縮んだりする。
侠佑はそんな蓮司を横目で見ながら、軽く眉を上げた。

「君、学生か?」
蓮司は足を止めなかった。
「……今年の春まではな」
「今年の春まで、か。学校行ってへんの?」
「…退学した」
「そうか、退学したんか」
 侠佑は口の端を緩め、どこか探るように言葉を続けた。
「そら、夜こんなとこウロウロしてたら、朝は起きられへんわな」
「説教か?」
「ちゃうちゃう。興味あるだけや」
 侠佑は笑って、両手をポケットに突っ込んだ。
「飯、ちゃんと食うてる?」
「……なんでそんなことまで聞く」
「仕事柄、ついな。人見たらつい気になるんや」
「仕事柄?」
「ああ」
 侠佑は視線を夜空に向けた。街の光が雲を淡く照らしている。
「京都府の教育委員会におってな。
スクールソーシャルワーカーいう仕事してんねん」
 蓮司の足が一瞬止まる。
「……SSW?」
「お、知っとるんか。珍しいな」
「名前くらいはな。けど、あんたがそんなふうには見えない」
「よぉ言われるわ。俺なんか怪しさ満点やろ?」
 侠佑は冗談めかして笑うが、その目は笑っていなかった。
「せやけど、ほんまやで。SSWは学校で不登校とか家庭の問題を
抱えた子らの相談に乗るのも仕事の1つや。
けどな、時々思うねん。
子どもを支えるってのは、学校の外でもせなあかんって」
「……」
「この街、な。よう見たら、ほんまにいろんな子がおる。
制服のまま夜にフラついとる子もおれば、働いとる子もおる。
大人らが見えへんところで、なんとか生きとる」
 侠佑の声は淡々としているが、その奥には確かな熱があった。
「せやからつい、君みたいなん見ると、放っとかれへんくなんねん」
「……俺は、放っておいてくれていい」

 蓮司はそう言って歩調を速めた。
だが侠佑は追いつき、歩幅を合わせる。
「別に、責めとるわけちゃう。ただな――君の目、ちょっと気になってな」
「俺の、目?」
「せや。何かを見とるようで、何も見てへん感じや。心ここにあらず、いうか」
 侠佑は首を傾げながら、少し笑った。
「まるで、過去に置いてきたもんを、まだ探してるみたいや」
 蓮司の呼吸が、わずかに乱れた。
「……あんた、何が言いたい」
「別に深い意味ちゃう。ただ……俺の勘や」
「勘?」
「せや。SSWやっとると、顔見てるだけでなんとなくわかるんや。
家庭で苦労しとる子、学校で浮いとる子、無理して笑っとる子
 ――皆、似たような目をしてる」
 侠佑は蓮司を見つめた。
「君も、そんな目しとる」
「……余計なお世話だ」
 蓮司の声にはわずかな棘が混じった。
「俺は別に、あんたに見透かされるほど弱くねぇ」
「そらそうや。強いんやろ、君は」
でもな、強い奴ほど、時々折れやすいんやで。誰も見てへんところでな」

 店の看板のネオンの光が二人の間を照らす。
蓮司は無言で前を見つめたままだった。
「……君、夜の木屋町には詳しいんか?」
「多少は」
「なるほど。《Avalon》なんて、行きつけの店があるとは大したもんやな」
「前に、かな...蘭華に世話になった」
「ほう、なるほどな。あの蘭華って人、
聞き込みしてて話に上がったわ。やり手の女やって」
「……そうだな」
 蓮司の声には、どこか懐かしさが滲んでいた。
「しかし君みたいな若い子が、あんな店で繋がり持っとるってのも珍しいな」
 侠佑は言葉を区切り、静かに続けた。
「まるで、何年もこの街で生きとるみたいや」
「そう見えるか?」
「見える。背中がそう言うとる」
 蓮司は歩を止め、振り向いた。
その瞳に、灯りが反射して一瞬だけ鋭く光る。
「……あんた、俺に何が見えてる?」
 侠佑は息を吐き出し、ゆっくりと笑った。
「寂しさや」

 沈黙。
湿った夜風が、二人の間を抜けていった。
蓮司は俯き、目を伏せた。
「……あんた、変なやつだな」
「よう言われるわ」
 侠佑は肩をすくめ、笑い飛ばした。
「けどな、俺の仕事は“人の心のシワ”を探すことや。
ちょっとした綻びを見逃したら、そっから壊れてまう。
せやから、君みたいなん見たらつい気になんねん」
「……シワ、ね」
「せや。人は皆、どっかに“綻び”を抱えてる。
そいつを放っといたら、どんどん広がって、
最後は自分でも止められんようになる」
 蓮司は目を細め、俯いたまま呟いた。
「……あんた、紗良のこともそう言ってたのか?」
 侠佑の表情から笑みが消える。
「……そうや」
 短い沈黙。
「ほんまは、もっと早くに気づくべきやった。あの子の“綻び”にな」
 蓮司は何も言わず、前を向いた。
遠くに《Avalon》の黒いネオンが見え始めていた。
「着いたな」
「ああ」
 侠佑はポイ捨てされていた煙草を足元で踏み潰し、軽く笑った。
「君、ほんま面白い子やな。普通の高校生の子どもとは全然ちゃう」
「褒め言葉には聞こえねぇな」
「褒めとる褒めとる。俺、君のこと嫌いやないで」
 蓮司はため息をつき、歩き出した。
「……勝手にしろよ」
 侠佑はその背を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「やっぱり、ただの子ぉやないな」
 風が吹く。
灰色の夜が、静かに二人を包み込んでいた。


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