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恩は好悪とは別の物
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「んん……」
程なくして、少女は目を覚ましたようだ。
ゆっくりと目を開け、上体を起こす。
前後の状況をはっきり認識していないのか、茫洋とした表情で辺りを見回す。
その最中、様子を見守っていた俺と視線がぶつかり、
車の前に飛び出した猫のように動きが止まった。
しばしの硬直の後、少女は確かめるように声をかけてくる。
「……私を食べてもおいしくありませんよ? 」
「……そういうのはそっちの熊に言えよ」
俺は呆れて肩をすくめ、そう答えた。
俺が人食いの鬼にでも見えるというのか、この子は。
「……そう言えばあなたは、確か熊を殴り殺した人……
私は殴り殺しても楽しくありませんよ?」
「別に楽しくて殴り殺したわけじゃない。
一応君が襲われそうだから助けたつもりなんだけどな」
次は人を快楽殺人者か何かのように言い出した少女に少し疲れを感じつつ、
俺は彼女が気絶する前の状況を説明した。
「はあ、なるほど……熊に追われている時に運悪く巻き込まれた私を助けて……
気絶したので目覚めるまで見ていて下さったと……」
微妙に疑わしげな目でこちらを見てくる少女。
「嘘なんかついてない。本当にただそれだけだ。
故意ではないけど巻き込んだのは俺だし、恩に着せようとも思ってない」
人里に連れて行ってもらえればいいな、とは思っているが。
「……わかりました。助けて下さりありがとうございます。
では私は、もう村に帰らねばならないので失礼します」
ぺこりとお辞儀をして、その場を後にしようとする少女に、
俺は少し慌てて声をかけた。
「いや、待った。その……事情があって、この辺りの事がよくわからないんだ。
人里が近くにあるなら、道を教えて欲しいんだけど」
その言葉に、少女は立ち止まり、何かを考える様子を見せると、
ある一方向を指さした。
「あちらにまっすぐ進めば、確か街道に出られた筈です。
街道に沿って進めば、いずれ街にたどり着くと思います。
街道沿いなら強力な魔物は出ませんし、盗賊にでも襲われない限り安全でしょう」
人里へたどり着ける道を知れて、安堵と喜びで頬が緩む。
が、同時に一つの疑問が浮かび上がったので尋ねてみる。
「あれ……君の村ってここから遠いのか? 」
「え、ええ……いえ、遠くはないんですけど……
何もない村ですし、あまり人をもてなせる余裕とかなくてですね……」
……まあ、村よりは街の方がいろいろ充実しているだろう。
だから気を遣ってくれたのかもしれないが……何か態度に不審なものを感じる。
そう思って少女を見ていると、視界の外側に何かがちらつくのが見えた。
また、あの文字列だ。
「では私はこれで。本当にありがとうございました」
少女はもう一度お辞儀をすると、そそくさと去っていった。
そんな少女を視界の隅で見送りつつ、俺はつぶやいた。
「は、はは、なるほどね……そういうことか」
現れた時から嫌な予感はしていた。
俺が何かする度視界の外側に現れる文字列。
ロールプレイングゲームのメッセージログのようなそれは、
一部の例外を除いて俺に都合の悪いことばかり伝えてきたのだから。
『少女は貴方が嫌いなようだ。少女は貴方に不信を抱いた』
案の定。俺の目の前で拡大されたその文字列からは、そのような意味が伝わってきていた。
「……チキショー」
恩に着せるつもりはないと言った。それは嘘ではない。しかし……
仮にも命を助けた少女に内心嫌われ、遠ざけられるとか。
熊の時と同じ、恐らくは魅力ステータスによる交渉失敗のメッセージ。
だが俺は熊の時よりも遥かに大きなショックを受け、その場に立ち尽くしていた。
それから数十分後。俺は最初に熊に襲われた場所に戻ってきていた。
ちなみにこの場所、少女と別れた場所から五十メートルも離れていない。
数十分という時間は道に迷ったわけではなく、俺が立ち直るのに要した時間だ。
助けた少女に内心嫌われ遠ざけられたという出来事は、俺の心に結構深い傷を残していた。
「はあ……」
まだ沈みがちな気分を吐き出すようにため息をつくと、
俺は熊の注意を引き付けるために投げたリンゴを拾い、じっと見つめた。
「魅力か……このまま人里へ行っても大丈夫かな? 」
先程の熊や少女の例からすると、
この世界において魅力がないというのは好意を持たれないというだけでなく、嫌悪の対象になるらしい。
人の集まる場所に行けば、周り中から悪意に晒されるかもしれない。
特に権力者から目を付けられれば、無実の罪で投獄からの死刑もあり得る。
「……いっそ人里から離れて山奥生活の方が安全か? 」
いや。
人里への道を尋ねた時、あの少女は言っていた。
『街道沿いには強力な魔物は出ないし、盗賊にでも襲われない限り安全』
つまりこの世界には魔物や盗賊が出るということだ。
人の手が入っていない場所にはより強力な、それこそ熊よりも遥かに危険な怪物だっているのだろう。
それに、俺はこの世界について何も知らない。
ステータス、魔物、その他諸々。
この世界特有の物については何一つ正確な知識がない状態で生きていくのはほぼ無理だ。
結局、情報を得るためには人里へ行くしかない。
「だが、その前に……だな」
一つ、確かめなければならない事がある。
熊に襲われる前にも確認しようとしていた事。
恐らくはステータスの関係で、傷付けることさえできなかったリンゴを食べられた理由だ。
多分だが、これは熊を倒したことにも関係がある。
リンゴにさえダメージを与えられなかった俺。
それが熊を殴って、顔面が弾け飛ぶ程のダメージを与えられる筈がない。
そもそもあの状況で俺が少女を助けようとして、間に合ったこともおかしい。
俺は少女に襲い掛かった熊を見て、気付けば熊を殴り飛ばしていた。
少なくとも今まさに襲い掛からんとしていた熊よりは、少女から距離があったのに。
リンゴの時は偶然のクリティカルかと思ったが、それにしてはいろいろ都合が良すぎる気がする。
依然正体不明の現象ではあるが、その発動条件について、俺の中には一つの仮説があった。
その考えが正しく、この現象を自由に起こせるようになれば。
少なくとも熊相手に戦える『力』が手に入る。
「……というか、自由に起こせないとろくにリンゴも食えないな」
手に持ったリンゴを見て苦笑い。
もとよりこの現象……少なくともその発動条件の解明は、
俺がこの世界で生きていく上での必須条件という訳だ。
「じゃあ、とりあえず……試してみるか」
まずは手始めに、このリンゴを自由に食べる事から。
意気込みも新たに、俺の実験が始まった。
程なくして、少女は目を覚ましたようだ。
ゆっくりと目を開け、上体を起こす。
前後の状況をはっきり認識していないのか、茫洋とした表情で辺りを見回す。
その最中、様子を見守っていた俺と視線がぶつかり、
車の前に飛び出した猫のように動きが止まった。
しばしの硬直の後、少女は確かめるように声をかけてくる。
「……私を食べてもおいしくありませんよ? 」
「……そういうのはそっちの熊に言えよ」
俺は呆れて肩をすくめ、そう答えた。
俺が人食いの鬼にでも見えるというのか、この子は。
「……そう言えばあなたは、確か熊を殴り殺した人……
私は殴り殺しても楽しくありませんよ?」
「別に楽しくて殴り殺したわけじゃない。
一応君が襲われそうだから助けたつもりなんだけどな」
次は人を快楽殺人者か何かのように言い出した少女に少し疲れを感じつつ、
俺は彼女が気絶する前の状況を説明した。
「はあ、なるほど……熊に追われている時に運悪く巻き込まれた私を助けて……
気絶したので目覚めるまで見ていて下さったと……」
微妙に疑わしげな目でこちらを見てくる少女。
「嘘なんかついてない。本当にただそれだけだ。
故意ではないけど巻き込んだのは俺だし、恩に着せようとも思ってない」
人里に連れて行ってもらえればいいな、とは思っているが。
「……わかりました。助けて下さりありがとうございます。
では私は、もう村に帰らねばならないので失礼します」
ぺこりとお辞儀をして、その場を後にしようとする少女に、
俺は少し慌てて声をかけた。
「いや、待った。その……事情があって、この辺りの事がよくわからないんだ。
人里が近くにあるなら、道を教えて欲しいんだけど」
その言葉に、少女は立ち止まり、何かを考える様子を見せると、
ある一方向を指さした。
「あちらにまっすぐ進めば、確か街道に出られた筈です。
街道に沿って進めば、いずれ街にたどり着くと思います。
街道沿いなら強力な魔物は出ませんし、盗賊にでも襲われない限り安全でしょう」
人里へたどり着ける道を知れて、安堵と喜びで頬が緩む。
が、同時に一つの疑問が浮かび上がったので尋ねてみる。
「あれ……君の村ってここから遠いのか? 」
「え、ええ……いえ、遠くはないんですけど……
何もない村ですし、あまり人をもてなせる余裕とかなくてですね……」
……まあ、村よりは街の方がいろいろ充実しているだろう。
だから気を遣ってくれたのかもしれないが……何か態度に不審なものを感じる。
そう思って少女を見ていると、視界の外側に何かがちらつくのが見えた。
また、あの文字列だ。
「では私はこれで。本当にありがとうございました」
少女はもう一度お辞儀をすると、そそくさと去っていった。
そんな少女を視界の隅で見送りつつ、俺はつぶやいた。
「は、はは、なるほどね……そういうことか」
現れた時から嫌な予感はしていた。
俺が何かする度視界の外側に現れる文字列。
ロールプレイングゲームのメッセージログのようなそれは、
一部の例外を除いて俺に都合の悪いことばかり伝えてきたのだから。
『少女は貴方が嫌いなようだ。少女は貴方に不信を抱いた』
案の定。俺の目の前で拡大されたその文字列からは、そのような意味が伝わってきていた。
「……チキショー」
恩に着せるつもりはないと言った。それは嘘ではない。しかし……
仮にも命を助けた少女に内心嫌われ、遠ざけられるとか。
熊の時と同じ、恐らくは魅力ステータスによる交渉失敗のメッセージ。
だが俺は熊の時よりも遥かに大きなショックを受け、その場に立ち尽くしていた。
それから数十分後。俺は最初に熊に襲われた場所に戻ってきていた。
ちなみにこの場所、少女と別れた場所から五十メートルも離れていない。
数十分という時間は道に迷ったわけではなく、俺が立ち直るのに要した時間だ。
助けた少女に内心嫌われ遠ざけられたという出来事は、俺の心に結構深い傷を残していた。
「はあ……」
まだ沈みがちな気分を吐き出すようにため息をつくと、
俺は熊の注意を引き付けるために投げたリンゴを拾い、じっと見つめた。
「魅力か……このまま人里へ行っても大丈夫かな? 」
先程の熊や少女の例からすると、
この世界において魅力がないというのは好意を持たれないというだけでなく、嫌悪の対象になるらしい。
人の集まる場所に行けば、周り中から悪意に晒されるかもしれない。
特に権力者から目を付けられれば、無実の罪で投獄からの死刑もあり得る。
「……いっそ人里から離れて山奥生活の方が安全か? 」
いや。
人里への道を尋ねた時、あの少女は言っていた。
『街道沿いには強力な魔物は出ないし、盗賊にでも襲われない限り安全』
つまりこの世界には魔物や盗賊が出るということだ。
人の手が入っていない場所にはより強力な、それこそ熊よりも遥かに危険な怪物だっているのだろう。
それに、俺はこの世界について何も知らない。
ステータス、魔物、その他諸々。
この世界特有の物については何一つ正確な知識がない状態で生きていくのはほぼ無理だ。
結局、情報を得るためには人里へ行くしかない。
「だが、その前に……だな」
一つ、確かめなければならない事がある。
熊に襲われる前にも確認しようとしていた事。
恐らくはステータスの関係で、傷付けることさえできなかったリンゴを食べられた理由だ。
多分だが、これは熊を倒したことにも関係がある。
リンゴにさえダメージを与えられなかった俺。
それが熊を殴って、顔面が弾け飛ぶ程のダメージを与えられる筈がない。
そもそもあの状況で俺が少女を助けようとして、間に合ったこともおかしい。
俺は少女に襲い掛かった熊を見て、気付けば熊を殴り飛ばしていた。
少なくとも今まさに襲い掛からんとしていた熊よりは、少女から距離があったのに。
リンゴの時は偶然のクリティカルかと思ったが、それにしてはいろいろ都合が良すぎる気がする。
依然正体不明の現象ではあるが、その発動条件について、俺の中には一つの仮説があった。
その考えが正しく、この現象を自由に起こせるようになれば。
少なくとも熊相手に戦える『力』が手に入る。
「……というか、自由に起こせないとろくにリンゴも食えないな」
手に持ったリンゴを見て苦笑い。
もとよりこの現象……少なくともその発動条件の解明は、
俺がこの世界で生きていく上での必須条件という訳だ。
「じゃあ、とりあえず……試してみるか」
まずは手始めに、このリンゴを自由に食べる事から。
意気込みも新たに、俺の実験が始まった。
応援ありがとうございます!
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