ブラック企業から異世界転移した私、辺境伯様に拾われて「仕事は禁止、甘やかすのが俺の仕事だ」と言われて困っています

さら

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第29話 試される日々
 王都からの使者が去って数日、屋敷の空気は落ち着きを取り戻したように見えた。けれど私の胸の奥では、不安の波がまだ収まらずにいた。市場へ行っても、村人に迎えられても、心の片隅で「私はここにいていいのか」という問いが繰り返し浮かんでくる。

 その日も、私は庭のベンチに座って空を眺めていた。雲が形を変え、鳥が飛び去っていく。そのすべてが「時は進んでいる」と告げているのに、私はそこに取り残されているような気がした。アレクシスが背後から歩いてきて、私の隣に腰を下ろした。

「また考えているな」
「……隠せませんね」
「君は隠すのが下手だ。だから安心できる」

 彼はそう言って笑い、肩にそっと手を置いた。その重みは軽く、でも確かだった。

「君がここにいることを、誰も疑っていない。疑っているのは君自身だ」
「……そうかもしれません」
「なら、少しずつ自分を信じる練習をすればいい」

 私は小さく頷き、空に視線を戻した。雲が切れ、光が差し込む。その光は、まるで彼の言葉を裏付けるように温かかった。

第30話 王都からの招待状
 昼下がり、執事のバルドが手にした封書を持ってきた。重厚な蝋印には王家の紋章が刻まれている。アレクシスはそれを開き、短く目を通した後、私に視線を向けた。

「王都から正式に招待が来た。次の月、新しい領主候補たちが集う場に、私も出席するようにとのことだ」
「……そこに、私も?」
「もちろん。私が連れて行く」

 即答に心臓が跳ねた。けれど同時に、胃の奥がきゅっと縮まる。不安と期待が入り混じり、呼吸が浅くなる。アレクシスはそれを見抜いたように、手を重ねてきた。

「大丈夫だ。君がそこに立つだけで、私には十分だ」
「……迷惑にならないでしょうか」
「迷惑になるなら、王都を敵に回すだけだ」

 強い声に、胸の奥で小さな火が灯った。私は深呼吸し、招待状を見つめた。その紙の重みは、不安よりも少しだけ希望の方が勝っている気がした。

第31話 社交界デビュー
 王都の広間は、屋敷の夜会とは比べ物にならないほどの華やかさだった。シャンデリアの光、磨かれた大理石の床、鮮やかな衣装に身を包んだ人々。私はアレクシスの腕に支えられ、深呼吸を繰り返した。

 周囲の視線が突き刺さる。囁きが聞こえる。
「辺境の娘らしい」
「働かないらしいぞ」
「ただ可愛がられているだけか」

 胸が痛んだ。けれどアレクシスは私の肩を抱き寄せ、堂々と歩いた。
「彼女は私の大切な人だ」

 短い宣言に、ざわめきが広がる。私は驚きで立ち尽くしたが、彼の視線は揺らがない。

「笑えなくてもいい。立っているだけでいい」

 その囁きに救われ、私はかすかに微笑んだ。周囲のざわめきは消えない。けれど彼の隣に立つことで、心臓の鼓動は落ち着いていった。

第32話 隣に立つ自覚
 夜会が進むにつれ、私は少しずつ呼吸の仕方を覚えていった。楽団の音に合わせて会話のリズムをとり、人々の視線を真正面から受け止める勇気もわずかに芽生えた。

 ふと、大きな鏡に映る自分を見た。青いドレスを纏い、堂々とアレクシスの隣に立つ姿。かつての会社帰りに、電車の窓に映った疲れ切った自分とは全く違う。

「どうした」
「……私、今ここに立っているんですね」
「当たり前だ。君は私の隣にいる」

 彼の声に、胸の奥が震えた。涙がこみ上げたが、笑顔でごまかした。鏡の中の自分が、ようやく「ここにいる」と認められた瞬間だった。

第33話 拒んだプロポーズ
 夜会の後、王都の庭園で二人きりになった。月光が白い花を照らし、静寂が広がる。アレクシスが立ち止まり、私に向き直った。

「ミサキ。私と共に歩んでほしい」

 突然の言葉に、胸が大きく揺れた。けれど同時に、恐怖も押し寄せた。私は慌てて首を振る。
「待ってください。まだ、自分に自信がありません」

 彼は驚きも怒りも見せず、静かに頷いた。
「わかった。急がない。君が自分を許せるまで待つ」

 その言葉に涙が溢れた。拒んだのに、見放されない。その優しさが、逆に胸を締め付けた。

第34話 時間をかけていい
 翌朝、王都の宿舎で目を覚ました。窓の外はまだ薄暗く、鳥の声だけが響いている。昨夜のことを思い出し、胸が苦しくなった。

 扉がノックされ、アレクシスが入ってきた。
「眠れたか」
「……少し」
「無理に答えなくていい。時間をかけていいんだ」

 彼は私の肩に手を置き、静かに微笑んだ。その表情は、昨日の拒絶を責めるどころか、むしろ誇らしげだった。

「君が正直でいてくれたことが嬉しい。だから私は待てる」

 その言葉に、胸の奥で重かったものが少しだけ軽くなった。涙が滲んだが、今度は安堵の涙だった。

第35話 日常の幸せ
 王都から戻り、屋敷の静けさに包まれた。私は庭のベンチで、鳥の声と風の音を聞いていた。市場の果物をかじり、太陽の光を浴びるだけで、心が満たされる。

 アレクシスが隣に座り、手にした本を閉じた。
「こうしている時間が一番贅沢だ」
「……わかります」

 私たちは言葉少なに、ただ日常を分け合った。特別なことをしなくても、隣にいるだけで十分だった。胸の奥に、小さな幸せが確かに根を張っていた。

第36話 祭りの夜
 辺境の村で祭りが開かれた。屋台の灯りが並び、人々の笑い声が響く。私はアレクシスと手を取り合い、村の人々と踊った。

 太鼓の音に合わせて笑い声が広がり、空には無数の紙灯籠が舞い上がる。私は空を見上げ、涙が滲んだ。ここに来てから初めて、心から「楽しい」と思えた瞬間だった。

「楽しんでいるか」
「はい、とても」
「なら、私の仕事は成功だ」

 アレクシスがそう言って微笑み、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。

第37話 働かなくてもいい
 翌日、祭りの余韻が残る村で、私はふと呟いた。
「……私、本当に働かなくてもいいんですね」

 アレクシスは迷わず頷いた。
「働かなくてもいい。君が笑うだけで、私には十分だ」

 その言葉に、胸の奥で最後の抵抗が静かに崩れた。涙が流れたが、もう罪悪感ではなかった。解放の涙だった。

第38話 正式な求婚
 屋敷の庭で、アレクシスが私の前に跪いた。銀の髪が風に揺れ、碧眼が真っ直ぐに私を射抜く。

「ミサキ。今度こそ言う。私と共に生きてほしい」

 胸が高鳴り、呼吸が乱れる。けれど今回は逃げなかった。彼の目が揺らがないから。

「……はい。お願いします」

 涙が頬を伝い、笑顔が重なった。世界が一瞬止まったように感じた。

第39話 ここが私の居場所
 婚約が決まり、屋敷の人々が祝福してくれた。エマが泣き笑いし、クラリスが抱きしめてくれる。村人たちも花冠を届けてくれた。

 私はその中心で、心の底から思った。
「ここが、私の居場所なんだ」

 胸の奥の空洞は完全に埋まり、温かさで満ちていた。アレクシスが隣に立ち、静かに手を握った。

第40話 永遠の甘やかし
 結婚式の日、礼拝堂に花が溢れ、鐘の音が高く鳴り響いた。私は純白の衣装を纏い、バージンロードを歩いた。人々の祝福が重なり、涙が溢れそうになる。

 祭壇で待つアレクシスが手を差し出し、私はその手を取った。
「これから先も、君を甘やかし続ける。それが私の仕事だ」
「……私も、その甘やかしを受け入れます」

 誓いの言葉が交わされ、口づけが落とされた瞬間、世界は光で満ちた。

 私の新しい人生は、甘やかされることで始まる。けれどそれは決して怠惰ではなく、愛と安らぎに満ちた選択だった。

終わり
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