ブラック企業から異世界転移した私、辺境伯様に拾われて「仕事は禁止、甘やかすのが俺の仕事だ」と言われて困っています

さら

文字の大きさ
6 / 8

番外編1

しおりを挟む
番外編 温泉街の休日

 辺境領のさらに奥、山あいの温泉街は湯気と香草の香りで満ちていた。石畳の道に沿って木造の宿が並び、軒先には赤い暖簾が揺れている。私は浴衣姿で下駄を鳴らしながら、肩に掛けた手拭いをぎゅっと握った。

 結婚式から数日後。人々の祝福に包まれたあの日を思い出すと、胸がまだ熱を帯びる。けれど今日は――ただ夫婦として、初めて二人きりで過ごす日だった。

「歩き疲れていないか」
「いえ、むしろ楽しいです」

 隣を歩くアレクシスは、普段の軍装ではなく、薄い外套を羽織っただけの軽装だった。銀の髪が陽光を受けてきらめき、周囲の視線を自然と引き寄せる。私は思わず胸を張った。今や彼は“辺境伯”であると同時に“夫”なのだと誇らしく思える。

 石段を上りきると、山の斜面から湯気が立ち昇り、せせらぎの音が耳に届いた。私たちは予約していた宿へと入り、仲居に案内されて部屋へと通される。障子を開ければ眼下には渓流が流れ、白い湯気が雲のように漂っていた。

「ここ、すごい……」
「君に見せたかった」

 アレクシスはそう言って微笑む。その一言に、胸がじんと痺れる。私は思わず窓辺に駆け寄り、流れる水音と鳥の声を全身で受け止めた。

 夕餉の前、私たちは露天風呂へと向かった。木の扉を抜けると、白い湯気に包まれた湯船が現れる。岩肌から湧き出す温泉は、光を受けて黄金色に輝いていた。

「先に入って」
「……ありがとうございます」

 足先を湯に浸すと、じんわりと熱が広がり、全身の緊張がほどけていく。肩まで浸かった瞬間、体がふわりと軽くなった。湯の香りが鼻をくすぐり、心の奥まで温めてくれる。

 少し遅れてアレクシスも湯に浸かる。湯気越しに見える彼の輪郭は柔らかく、普段の凛々しさよりも穏やかに見えた。

「……幸せそうな顔だ」
「こんなに贅沢していいのかなって思います」
「いい。君は私の妻だ。贅沢こそ仕事だ」

 またその言葉。私は笑いながらも、胸の奥に甘い熱を抱いた。

 湯船の縁に背を預け、空を仰ぐ。夜が近づき、群青の空に星がひとつ、ふたつと瞬き始めていた。雨に裂けたあの日の星空とは違う。今はただ、穏やかに瞬くだけ。

「見てください、星が……」
「星は裂けない。君のいる世界では」

 その言葉に、目頭が熱くなる。私は小さく笑い、湯気に混じって涙を流した。彼は何も言わず、そっと手を伸ばして私の手を包んだ。湯の温度よりも確かな温もりが、掌から伝わってくる。

「ねえ、アレクシス」
「なんだ」
「これからも、ずっと……」
「ああ。ずっとだ。君を甘やかし続ける」

 夜風が湯気を揺らし、星の数が増えていく。私たちの新しい日々は、こんなふうに静かに、そして温かく続いていくのだと思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました

めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。 白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。 その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。 それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。 やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり―― 白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。 身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。

【完結】悪役令嬢の身代わりで処刑されかけた侍女、悪人面強面騎士にさらわれる。

雨宮羽那
恋愛
 侍女リーリエは、処刑される予定の主・エリーゼと容姿がそっくりだったせいで、身代わりとして処刑台へ立たされていた。  (私はエリーゼ様じゃないわ!)と心の中で叫んだ瞬間、前世の記憶がよみがえり、ここが読みかけだった悪役令嬢ものの小説の世界だと気づく。  しかも小説ではエリーゼが処刑されるはずなのに、リーリエが処刑されかけているという最悪の展開。  絶体絶命の瞬間、リーリエの前に現れたのは強面で悪人面の騎士ガウェイン。  彼はなぜかリーリエを抱えあげ連れ去ってしまい――? ◇◇◇◇ ※全5話 ※AI不使用です。 ※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております。

完結·異世界転生したらアザラシ? でした〜白いモフモフでイケメン騎士たちに拾われましたが、前世の知識で医療チートしています〜

恋愛
ネットでアザラシを見ることが癒しだった主人公。 だが、気が付くと知らない場所で、自分がアザラシになっていた。 自分が誰か分からず、記憶が曖昧な中、個性的なイケメン騎士たちに拾われる。 しかし、騎士たちは冬の女神の愛おし子を探している最中で…… ※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿しています ※完結まで毎日投稿します

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

女性が少ない世界に転生した控えめ伯爵令嬢、なぜか五人の婚約候補に選ばれて少しずつ恋を知っていきます

ノッポ
恋愛
女性が極端に少ない異世界に転生した私は、気づけば伯爵令嬢になっていた。 前世は日本で普通に生きていたせいか、貴族令嬢らしい強気な振る舞いがどうしても苦手。 社交界デビューを迎えても、「どうして私が選ばれるの?」と戸惑うばかりだった。 けれど今年デビューする高位令嬢はわずか三人。 家同士の思惑も重なり、騎士団長家の息子、宰相子息、魔術師団長の息子、幼なじみの侯爵子息、そして英雄騎士―― 五人の若きエリートとのお見合いが次々と始まってしまう。 遠慮がちで控えめな性格は、この世界では珍しく、気づけば少しずつ距離を縮めていく彼ら。 異世界での恋愛に戸惑う日々。けれど出会いを重ねるたびに、私は少しずつ変わっていく――。 女性希少世界で、自分の幸せを選べるようになるまでの逆ハーレム恋愛ファンタジー。

【完結】氷の王太子に嫁いだら、毎晩甘やかされすぎて困っています

22時完結
恋愛
王国一の冷血漢と噂される王太子レオナード殿下。 誰に対しても冷たく、感情を見せることがないことから、「氷の王太子」と恐れられている。 そんな彼との政略結婚が決まったのは、公爵家の地味な令嬢リリア。 (殿下は私に興味なんてないはず……) 結婚前はそう思っていたのに―― 「リリア、寒くないか?」 「……え?」 「もっとこっちに寄れ。俺の腕の中なら、温かいだろう?」 冷酷なはずの殿下が、新婚初夜から優しすぎる!? それどころか、毎晩のように甘やかされ、気づけば離してもらえなくなっていた。 「お前の笑顔は俺だけのものだ。他の男に見せるな」 「こんなに可愛いお前を、冷たく扱うわけがないだろう?」 (ちょ、待ってください! 殿下、本当に氷のように冷たい人なんですよね!?) 結婚してみたら、噂とは真逆で、私にだけ甘すぎる旦那様だったようです――!?

余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした

ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。 しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義! そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。 「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」

転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?

朱音ゆうひ@『桜の嫁入り』発売中です
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!  「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」 王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。 不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。 もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた? 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)

処理中です...