実家を追い出され、薬草売りをして糊口をしのいでいた私は、薬草摘みが趣味の公爵様に見初められ、毎日二人でハーブティーを楽しんでいます

さら

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第5話 朝露の約束

 目を覚ますと、雨はすでに止んでいた。小屋の窓から差し込む光は澄み切っていて、森全体が新しく洗われたように輝いている。濡れた葉がきらめき、草木は瑞々しい香りを放っていた。私は布団の上でしばし耳を澄まし、外で鳥たちが元気に囀る声に安心した。雨音に閉ざされた夜が夢のように遠く感じられた。

 炉の前には、まだアルディスの姿があった。彼は背を伸ばし、火の名残を見守っていた。薄い外套を羽織り、灰色の瞳を細めて窓の外に視線を向ける。その横顔は、夜を共に過ごしたことを象徴するかのように静かで力強かった。
「……おはようございます」
 小さく声をかけると、彼は振り返り、穏やかに微笑んだ。
「おはよう。よく眠れたか?」
「はい。雨の音が子守歌みたいで……」
「ならよかった」
 灰色の瞳が柔らかく揺れ、胸が熱くなった。

 私は急いで水を汲みに行き、簡素な朝食を整えた。硬い黒パンに、昨日残ったチーズ、それに摘んでおいたハーブを刻んで混ぜた。アルディスは椅子に腰かけ、興味深そうに見ている。
「草を混ぜるのか?」
「はい。タイムを少し。風味が変わって食べやすくなるんです」
 パンを口にすると、爽やかな香りが鼻に抜けた。彼も一口食べ、目を細めた。
「なるほど、素晴らしい工夫だ」
 褒められるたびに胸が弾み、指先が熱くなった。

 食後に茶を淹れると、雨上がりの空気と混ざり合い、部屋は一層清らかな香りで満ちた。アルディスは湯気の向こうから私を見つめ、ふと真剣な声で言った。
「リオナ。君とこうして過ごす時間が、私にはかけがえのないものになっている」
 突然の言葉に息を呑み、カップを持つ手が震えた。
「わ、私も……アルディスと一緒だと、安心します」
 やっと絞り出すと、彼の瞳が柔らかく細められた。その灰色に光が宿り、私の胸をさらに熱くさせた。

「これからも、君と草を摘み、茶を飲みたい。……そう思ってもいいか?」
 まっすぐな問いかけに、心臓が大きく跳ねた。答えはもう決まっていた。
「……はい。私もそうしたいです」
 言葉が空気に溶けた瞬間、窓の外で小鳥が羽ばたき、朝露のきらめきが一層強まった。

 その光景は、まるで新しい約束を祝福してくれているかのようだった。



 森の小道は雨上がりの香りに満ちていた。土はまだ柔らかく、踏みしめるたびに湿った匂いが立ちのぼる。葉の先には雫が残り、光を受けて小さな宝石のように輝いていた。私は布袋を肩に掛け、アルディスと並んで歩いていた。彼の足音は私に合わせて緩やかで、馬を連れていながらも歩調を乱すことはなかった。

「雨の翌日は、草の顔つきが違うだろう?」
 彼がそう言って指差した先に、背丈を伸ばしたセントジョンズワートが群れていた。花弁は水を含み、朝日に濡れた黄色を鮮やかに映している。私は思わず駆け寄り、茎を撫でた。
「本当ですね。昨日よりずっと力強く見えます」
「草は正直だ。雨に打たれても、また立ち上がる」
 その言葉に、私の胸の奥も強くなった気がした。

 二人で花を摘みながら歩を進める。袋の中で草が重なり、色と香りが豊かに混ざり合っていく。アルディスは時折、花の根本を指で示して私に摘ませた。
「ここを切ると次が育つ。草を守りながら摘むのが大事だ」
「はい……ありがとうございます」
 そのやり取りは、まるで秘密を分かち合うようで、心が温かくなった。

 泉のほとりに腰を下ろすと、彼は鞍袋から茶器を取り出した。雨に洗われた空気の中で湯を沸かし、摘みたての草を落とす。立ちのぼる香りは鮮烈で、昨日までの不安を溶かしていくようだった。
「リオナ。君の選んだ草で、ひとつ調合してみてくれないか」
 差し出された袋を受け取り、私は慎重に選んだ。レモンバームを中心に、ミントを少し、彩りにボリジを加える。手の中で草を重ねると、自然と笑みがこぼれた。
「さわやかで、元気が出るように」
「いい。今の君らしい調合だ」
 アルディスは嬉しそうに頷き、茶を注いでくれた。

 湯気の中でカップを受け取り、そっと口に含む。爽やかな香りが喉を駆け抜け、心がすっと澄み渡る。私は思わず笑みを浮かべた。
「とても……おいしいです」
「君が選んだからだ」
 短い返事だったが、その灰色の瞳がまっすぐに私を見つめていた。鼓動が早まり、カップを持つ手が震えた。

「リオナ」
 名を呼ぶ声は、雨上がりの空気のように澄んでいた。
「これから先、君が一人で背負う必要はない。草を愛する心を、私と分かち合ってほしい」
 その言葉は、誓いのように胸へ響いた。私はうつむき、膝の上で指を絡めた。だが、次の瞬間、勇気を出して顔を上げた。
「……私でよければ」
 灰色の瞳がやわらかく細められた。光が揺れるその眼差しに、私は胸いっぱいの安堵を覚えた。

 泉の水面に風が走り、朝露を散らす。きらめく雫が舞い上がり、二人の約束を静かに祝福しているようだった。



 小屋へ戻る道すがら、森の緑は雨上がりの光を受けて眩しいほどに輝いていた。濡れた土から立ち上る匂いと、摘み取ったばかりの草の香りが混ざり合い、胸いっぱいに吸い込むだけで心が洗われる。アルディスの横顔は柔らかな光に照らされ、灰色の瞳は森そのものを映しているようだった。

 扉を開けると、室内に吊るしたハーブがふわりと香りを放った。私は袋を卓に広げ、摘んできた草を並べていく。朝露をまとった花弁が光を受けて瞬き、まるで小さな宝石を散りばめたようだ。アルディスはその光景を見て、穏やかに微笑んだ。
「ここは本当に君の庭だな。小さな世界に、森の豊かさが凝縮している」
「……まだまだ拙いです。でも、ここが私の居場所なんです」
 言いながら、胸の奥にじんわりとした温かさが広がる。誰かにこの場所を肯定してもらえたのは初めてだった。

 私は炉に火を起こし、再び茶を淹れた。今度はレモンバームとローズマリー、それにほんの少しのボリジを加える。香りが立ちのぼり、雨上がりの清らかさをさらに引き立てた。カップを差し出すと、アルディスは静かに口をつけ、目を細めた。
「……清らかで、力強い。まるで今の君のようだ」
「わ、私のよう……?」
 頬が熱くなり、慌てて視線を逸らす。けれど彼の言葉は心の奥に沁み込み、鼓動を早めた。

 しばらくの沈黙のあと、彼は卓に手を置き、真剣な瞳で私を見つめた。
「リオナ。今日交わした約束を、どうか忘れないでほしい。これからも、君と草を摘み、茶を分かち合いたい。それが私の望みだ」
「……忘れません。私も……その望みを大切にします」
 声が震えてしまったが、彼は穏やかに頷いた。灰色の瞳がやわらかく光を帯び、心が深く結ばれるのを感じた。

 窓の外では、まだ葉先に残った雫が一滴ずつ落ち、静かな音を立てていた。その音はまるで新しい日々の鼓動のように響き、小さな小屋を満たしていく。私は茶を口に含み、胸の奥で確かに芽生えた「ふたりの約束」を抱きしめるように、ゆっくりと息を吐いた。
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