美人同僚のおまけとして異世界召喚された私、無能扱いされ王城から追い出される。私の才能を見出してくれた魔王様と一緒に田舎でのんびりスローライフ

さら

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「この村で暮らしますって言っていいですか」

 朝、私は目覚まし時計じゃなくて、鳥の声で起きた。小さな小さなさえずりが窓の外からいくつも折り重なって、まだ寝ぼけた頭のなかをやわらかくゆすってくる。最初は夢だと思った。森の中のBGMとかリラクゼーション音源とか、そういうやつだと思った。それから、布団の感触と、木の匂いと、湿った土と湖の水の混ざったようなすこし冷たい空気で、あ、現実か、って気づく。私は目を少しだけ開けた。天井の木目。節の模様。昨日の、自分の部屋。そうだ、ここは私の部屋で、私はここにいていいんだった。胸のあたりが、じん、とした。ああ、起きぬけでこれってどうなの。心臓がいきなりじんわりあったまるの、こんなの毎朝続いたら、逆に私ずっと泣いて暮らすことにならない? 泣かないって昨日の夜決めたばっかりなんだけど。ノー泣きデーなんだけど。

 私は布団の中でこそっと両手をぎゅっと握ってから、そっと起き上がった。身体は意外と軽い。昨日あれだけ感情を振り回されたのに、体力ゲージはちゃんと戻ってる。たぶん、途中で何回か寝たおかげもあるし、ちゃんと食べたからだ。食べるの、大事。寝るの、大事。これをサボると死ぬ、って社会人生活で百回くらい聞いたけど、本当にそうだったんだな……と今さら思う。もっと早くわかりたかった。二年くらい前の私に教えてあげたい。「寝なさい」「食べなさい」「書類の締め切りよりあなたの生命のほうが優先です」って肩をつかんで揺さぶりたい。もう過去には戻れないので、いま全力で回復して生きます。はい。

 ベッドから足を下ろす。床板が朝の冷たさをそのまま抱えてて、足の裏にひやっとした感触が走った。気持ちいい。窓の外からは、湖の水がかすかに揺れる音がして、昨日は金色だった光が、今はうすい水色で部屋の中に差しこんでいる。私は伸びをした。背中でこき、って音がする。うん、大丈夫。生きてる。異世界だけど生きてる。

「……よし」

 声に出してから、私はちょっと笑った。よし、って誰に向けて言ったんだろう。自分? 今日? 世界? とりあえず全部でいいや。

 顔を洗いたいな、と思って部屋の扉をそろそろと開けると、ひんやりした朝の空気が、居間からすっと流れこんできた。暖炉の火は落とされていて、代わりに窓からの光が木の机の上をやわらかく照らしている。空気は静か。あまり生活音がしない。ルゼルはいない……? ちょっと胸がちくっとしたけど、すぐにキッチンのほうから小さな音が聞こえた。水をそっとそそぐ音。何かやわらかいものを布で拭う音。そして、低い鼻歌。

 あ、いる。よかった。

 自分でもほんのちょっとびっくりするくらい、ほっとした。

「おはようございます……」

 声をかけると、キッチンのほうから彼の声が返ってきた。

「おはよう、由香」

 “おはよう”が、当たり前みたいに返ってくるの、ずるい。朝いちばんの“おはよう”なんて、最後に誰かからもらったのいつだろう。会社の寮は基本みんなバラバラの時間に出ていくから、朝会うとかほとんどなかったし。うっかり過去のことを思い出しそうになって、私は慌ててそこから目をそらすみたいに、居間に出た。

 ルゼルは、袖をまくって髪をざっと後ろにまとめただけの寝起きっぽい格好で、木の桶に水を入れていた。桶の横には布がある。どうやら顔を洗う準備らしい。朝だ。生活だ。なんか、こういうのを見るの、変に照れる。妙に家庭感がある。いや家庭ってなに。私たちまだ一日目。初日。チュートリアル。チュートリアルで家庭感出してくるのやめてください心臓がもたない。

「顔、洗う?」

「あ、はい。お願いします。あの、どうすれば」

「この布で水つけて、軽く拭って。冷たいから気をつけて」

「ありがとうございます」

 私は桶の上にしゃがみこんで、両手で布を受け取った。水を含ませた布は、朝の空気みたいに冷たくて、頬に当てるとシャキンって音がしそうなくらい一瞬で目が覚めた。きゅっとなる。眠気が飛んで、きのう泣きすぎてちょっと重かった目のまわりがすっきりする。

「ひゃっ……つめ……」

「大丈夫?」

「目が覚めました……!」

「よかった」

「この水って、井戸のやつですか?」

「うん。でも、これは北側の小さいほうから汲んだやつだから、まだましなほう。真ん中の井戸は、においがついてる」

「あ、そっか……」

 私は思わず布を見下ろした。自分の頬の水滴が、そのままこの村の生活とつながってるんだっていう感覚が、急にリアルになる。これが汚れたら、まずここから困るんだ。顔洗うのが嫌になるくらいの匂いになるってことだ。子どもは我慢できないだろうし、何も考えずに飲むだろうし。あ、うん、やっぱり今日、井戸見に行くの、めちゃくちゃ大事だ。

 顔と首を拭いて、髪を手ぐしでなんとなく整えていると、ルゼルがふわっと布を差し出してきた。白っぽい、でもところどころ少し色のついた布。端にちいさな刺繍が入っている。花の形。あ、これ、昨日私の部屋の壁にかかってた刺繍と似てる。いや、あれと同じ手だ。前に住んでた子のものなんだろう。私は思わずそれをそっと受け取った。

「髪、まだ濡れてるから、よかったらこれ使って」

「……お借りしていいんですか?」

「うん。大丈夫。あの子も“使っていいよー”って言ってた」

「……そういうの、なんか、やさしいですね」

「そう?」

「はい。でも、その子のものを勝手に私が使って、なんか嫌な気持ちになったりしないですか?」

「ならないよ」

 迷いなく言う。その即答が、私の胸の変な硬さをいちどにとかす。ずるい。ずるいけど、その“ずるい”って言葉も、もう昨日から何回も使いすぎて意味がちょっと薄くなってきた。別の語彙がほしい。すぐに出てこない。語彙をください異世界。語彙、供給して。

「ありがとう、ございます」

「うん。由香の髪、やわらかいから、すぐ乾くと思うよ」

「髪やわらかいって言いましたね今」

「うん」

「それはその、褒め、ですよね……?」

「褒めてるよ」

「そういうの、さらっと言うのほんとずるいんですけど、まあいいです、ありがとうございます」

「うん」

 タオルで髪を押さえながら、私は改めて彼の顔を見た。朝の光を正面から受けたルゼルの横顔って、なんかちょっと真面目に見える。目元の赤茶色がやわらかくて、でもどこか鋭い。輪郭は整いすぎてて、もはや作り物みたいにきれいだ。やっぱり“魔王”って言われてたの、わかる気がする。こういう顔、きっと人間じゃないって言われたらみんな納得しちゃうやつだ。昨日はその「魔王」って単語が怖かったけど、今はもう、あんまり怖くないな、とふと思った。怖いより先に「いつものルゼル」って感じがくる。順番が入れ替わったの、たぶん大事なことなんだろうなって、半分寝起きの頭で思った。

「ごはん、すぐできるよ」

「ごはん……」

 私のお腹が、ぐぅ、とわかりやすく鳴った。ルゼルが一瞬だけ吹き出しそうになって、でも口元でじっとこらえてるのがわかった。やめて。笑っていいよって思うけど、笑わないでいてくれるのもやさしいから、なんかもうどうしたらいいかわからない。とりあえず耳が恥ずかしい。

「昨日の残りと、卵焼いたのと、あと果実」

「果実」

「うん。あまいよ」

「果実って聞くだけで幸せなんですけど。あまいって聞いてさらに幸せなんですけど。なんですかここ、幸せが標準装備なんですか」

「標準装備ではないけど、今日はたまたまある」

「たまたま……」

 “今日はたまたま”って言葉、すごい落ち着く。これが毎日ずっとじゃない、特別、って言われるの、私は好きだ。特別は大事にできる。なくなったら寂しいけど、今日あるぶんをちゃんと味わえるから、ちゃんと嬉しい。そういう感じ。

 私たちは木のテーブルに向かい合って座った。昨日の夜と同じ位置。私がいつのまにか自分の席だって思ってる、この椅子。テーブルの上には、昨日の野菜と麦の炒めものの残りをあたため直したものと、卵っぽいものの焼いたやつがのった木の皿。卵は、見慣れた黄色というより、少し薄いクリーム色で、ところどころハーブの緑が混ざってる。あと、小さな木の器に入った赤い実。梅とサクランボの間みたいな色。つやつやしてる。

「まず、いただきます」

 私は両手を合わせる。ルゼルも、昨日の学習をそのままなぞるみたいに、まじめな顔で小さく両手を合わせた。

「いただきます」

 あ、なんかこれ、もういきなり慣習になってる。ちょっと嬉しい。いや、だいぶ嬉しい。

 私は卵をひとくち食べた。ふんわりしていて、塩気が控えめで、でもちゃんと卵の甘みがして、それに混ざってる緑のハーブが、後味にちょっとだけすーっとする清涼感を足してくる。なんだこれ。口の中が朝になった。朝って味がする。朝の味ってなんだよ、って自分でつっこみたいけど、本当にそうとしか言えない。

「……おいしい」

「よかった」

「なんか、ちゃんと“朝ごはん”って感じします」

「朝ごはんだよ」

「いや、そうなんですけど……そうなんですけど……」

 なんかこう、語彙が足りない。違いを説明したいのに。会社で朝ギリギリにパンとコーヒー流しこんで仕事場に滑りこんだあの行為とは違う。口に入るだけのものじゃなくて、胃と胸の奥をじわっと起こしてくれる、ちゃんとした朝ごはん。朝ごはん、ってちゃんと呼べるものを食べるの、いつぶりだろうって考えたら、胸がきゅっとなった。ダメ。泣かないデー。今日は泣かないデーですよ私。

「これ、果実。気をつけて。種かたいから」

「はい」

 赤い実をそっとつまんで、口に入れる。ぷち、と皮がやぶけたとたん、酸味と甘みが同時に舌の上に広がって、目が思わずぱちっと開いた。すっぱ! あま! えっなにこれおいしい!! っていう感情が一気に押し寄せる。あ……これ、だめだ、笑っちゃうやつ。私は思わず手で口を押さえた。

「どう?」

「……なんか今、“生きてる!”って感じしました」

「それはいいことだね」

「はい。めちゃくちゃいいことです」

「よかった」

「私この実めっちゃ好きです。名前なんですか?」

「んー、“リマ”」

「リマ。リマ、おいしい……」

 私はもうひとつつまもうとして、手を止めた。癖になるやつだこれ。全部一気に食べると後で寂しくなるやつだ。大事にしたい。私はリマを一個だけ、そっと自分のお皿の端に避けた。あとでまた食べよ、っていうちいさな楽しみを残すために。

「それで」

 ルゼルが、卵をゆっくり噛みながら私を見る。私は飲みこんで、背筋をのばした。はい会議の空気きた。わかる。こういうときの空気、すごくわかる。視線の置き方と間合いで「あ、これ今から今日のスケジュール確認入るやつだ」って察せる。私の中の社会人センサー(元・)が勝手に立ち上がる。

「今日の流れなんだけど」

「お願いします」

「まず、井戸を見に行く」

「はい」

「そのあと、ミラの家――パン屋――に顔を出す」

「はい。昨日のお礼も言いたいです」

「うん。言ってあげるとあの子たぶん一日中ふわふわするよ」

「ふわふわしてほしい……」

「次に、畑のところでイェルに挨拶する」

「イェルさん」

「うん。イェルは畑の担当。水をいちばん使う人」

「あ、水事情を具体的に聞ける人ですね」

「そう。あの人に“いまどれくらい大変か”って聞いとくと、書類にも役立つと思う」

「わかりました。ヒアリングします」

「それから、昼ごろアイラのところに行こう」

「アイラさん……」

「昨日言った、“この村の声”の人。基本的に座って仕事してるから、昼前後ならだいたい見つかる」

「座って仕事……?」

「“相談所”っていうか、“みんなの文句受け皿”っていうか」

「あっすごい重要なやつだ」

「重要だよ」

「そこに私が行くって、怖くないですか? “はいこの子、よそ者です。今日から住みます”って連れていって、なんか、反発とか、ないですか?」

「あるならそこで出る。だからそこで出したい」

「……正面から、ってことですか」

「うん」

「わかりました。正面からいきます。逃げません」

「無理だと思ったら、袖を引いて」

「袖!?」

「そうしたら俺が間に入るから」

「えっ、それって、守ってくれるってことですか?」

「うん」

 さらっと言った。さらっと言った。はい出ましたまたずるい。昨日に引き続き今日もずるい。記録しよ? 記録しますよ? “7時台:守ってくれるってさらっと言った。殺傷力高い。深呼吸3回必要”ってメモしますよ? 私は危うくまた顔を手で覆いそうになって、でも今は卵持ってるからそれやると机に卵を落とすなと思い、両手を大事に卵とスプーンの位置に固定したまま、深呼吸だけした。

「わかりました。ちゃんと言います。“無理です”って」

「うん。それ、大事だから」

「はい。練習します」

「で、午後は……」

 ルゼルは、少しだけ目を細めて、言葉を探すみたいに視線をテーブルに落とした。私は、なんとなくそれが“ちょっと言いにくいことかな”って察する。わかる。この間。よく知ってる。上司が「ちょっとさぁ……」って言う前のやつに似てる。いやでもこの人は上司じゃない。違う。ぜんぜん違う。私の中で肩書きがうまくつけられない。なんなんだろうこの人。家主? 保護者? ……なんか、どれも違う。うーん、まあいまはいいや。

「午後は、村の人たちの前で“この子はここに住むよ”って、ちゃんと紹介したい」

「……」

 心臓が、どくん、って鳴った。こめかみのところまで一気に血がのぼるのがわかる。昨日の夜、自分で「言いたい」って思ったこと。それを、本当にやる段取りになったんだっていう実感が、急に現実味を増して、胸のど真ん中をぎゅっとつかまれる。息が少し浅くなるのを、自分で自覚した。

「お、私の口で、言うんですよね。“ここに住みます”って」

「うん」

「“ここで働きます”って」

「うん」

「……」

「いや、やっぱり無理そう?」

「いえ、やります」

「うん?」

「やります。言いたいので」

「うん」

「ただ、そのあと泣いても笑わないでください」

「笑わないよ」

「あと、“泣いたなーかわいいなー”って顔しないでください」

「難しいな」

「難しいの!? そこは努力してください!!」

「がんばる」

「がんばってください……」

 私は両手で顔を押さえた。押さえたまま、指の隙間からルゼルの顔が見える。相変わらず落ち着いてて、余裕があって、でもちゃんとこっちを見てて。なんかそれだけで、心臓のドキドキが少し静まる。これずるい。慣れちゃうのが怖い。でも、慣れたい気持ちもある。ややこしい。私の胸の中はいま、めちゃくちゃややこしい。

「で、そのためには」

「はい」

「その格好のまま、っていうのは、ちょっと困るよね」

「はい。困ります。このブラウス、完全に会社です。ここに“総務”って貼り紙したら完成します」

「ソーム?」

「雑務全部やる係って意味です」

「なるほど」

「なるほどじゃないですよ!? 笑顔で納得しないでください!? この世界にまであの肩書き持ち込みたくないんですけど!?」

「じゃあ、着替えようか」

「はい……」

 私は昨日の夜の会話を思い出した。そう、服。元いた子の置いていった服。丈がちょっと短いやつ。ひざ上。太もも。いやいやいや。朝から思い出して耳が熱い。

「あの、露出は、なるべく、少なめでお願いしたいです」

「うん。昨日言ってたね。大丈夫。用意した」

「用意した……?」

「うん。部屋の入り口のとこに、布で包んだやつ置いてあるから、あとで見てみて」

「あっ、ほんとだ、なんかあった……あれって服だったんですね」

「うん」

「私、勝手に寝間着の予備かなんかだと思ってスルーしてました……」

「服だよ」

「ありがとうございます……」

「あと、足に巻く布も入れてあるから。ほら、ひざの下までぐるぐる巻いてたやつ。あれ付ければ、あんまり気にならないと思う」

「それなら、がんばれます」

「がんばれます、って言った」

「がんばりますから、あなたも“がんばれます”っていう私の努力をちゃんと評価してくださいね?」

「もちろん」

「“もちろん”って便利だなぁ……」

「便利?」

「なんか、たぶんあなたの“もちろん”って、“はい了解しました”と“あなたの気持ちは聞きました”と“それを大事にします”っていう三つくらいの意味を一気に兼ねてるんですよね」

「うん」

「そうやって即答されると、安心してしまうのでずるいです」

「ずるい?」

「ずるいって言うたびにちょっと照れるので、もう“ずるいカウント”は今日からやめます」

「え? やめちゃうの?」

「なんでちょっと寂しそうなんですか?」

「楽しみだったから」

「楽しみにされてた!? “由香のずるいカウント”楽しみにされてた!? 恥ずかしすぎません!?」

「“07:15 ずるいって言われた(守るって言っただけなのに)”とか、そういうの、ちょっと見たい」

「いやすぎる!!!!!」

 机に突っ伏した。突っ伏したまま、笑いがこみあげてきて止まらない。笑いながら、泣きそうにもなる。いや泣かない日だってば。これは笑いだからセーフ。うんセーフ。

「……ルゼル」

「うん」

「ちょっと、確認なんですけど」

「うん」

「私がここに住む話、もう村の人にある程度話してあるんですか?」

「うん。“昨日、ひとり連れてきたよ”って言った」

「言ってるーーーーーーー!!?」

「うん」

「なんて言ったんですか」

「“ひとり、すごい子が来たよ。紙をきれいにできて、井戸を直したいって言ってて、あと、かわ──”」

「待って待って待って待ってくださいストップ! 最後のやつ今言いかけましたよね!? 止めませんでしたよね!? 今止めるって約束しましたよね!? いきなり破りましたよね!? 契約違反では!!?」

「“すごくいい子”って言おうとした」

「今“か”って言ってましたよね????」

「言ってないよ」

「言ってた!!!!」

「言ってない」

「言ってた!!!!(圧)」

「言った」

「正直でよろしい」

「うん」

「でも、ダメです。勝手に“かわいい”とか宣伝しないでください。ハードルが上がって、現物(私)を見たときのがっかり感が増すので」

「がっかりしないよ。むしろ“あっ本物だ”ってなるよ」

「本物???」

「うん」

「私、なんの原画扱いなんですか??? 伝説の魔物かなんかですか???」

「“魔物じゃないよー”っても言ってある」

「魔物じゃないって前提でフォローが入るような紹介しないでもらえます!? 不安になるから!!」

「大丈夫。村の人たち、みんな優しいよ」

「優しいって言葉、今のタイミングだとなんか逆に怖いんですよね……」

「本当に優しいよ」

「……」

 ルゼルは、真面目な声で繰り返した。その声音に、私はふっと力が抜けた。ああ、そうだ。たぶん本当に優しいんだ。だって、昨日、ミラがああだった。あんなちいさな子が、あんなふうに“やさしくしなきゃだめだよ”って言える環境って、きっとそのまわりの大人がそうしてるからだ。そうじゃなきゃ、子どもはそんなふうにしゃべれない。

「……うん。信じます」

「うん」

「信じるので、ちゃんとそばにいてください」

「もちろん」

「はい、ありがとうございます」

 私は最後のリマをひとくちに食べて、種を器のふちにコツンと出した。口の中に残る甘い酸っぱさをそのまま飲みこんで、手を合わせる。

「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです」

「うん。よかった」

「じゃあ、着替えてきます」

「うん。手伝おうか?」

「結構です!!!!!!!!」

「そう?」

「そうです!!!!!!」

「そっか」

「“そっか”って言いながらちょっと残念そうな顔するの禁止!!!!!」

「難しいなあ」

「難しいって言いながら楽しそうなのも禁止!!!!!」

「うん」

「はい、では一回退室します!!」

 私は耳まで真っ赤なまま、ほぼ逃げるように自分の部屋へ戻った。扉を閉める前にちらっと振り返ったら、ルゼルがすごくおとなしく木の皿を片づけてるふりをしてたけど、耳のあたりがうっすら笑ってるのが見えて、もうなんなんだこの人……って思いながら扉を閉めた。

 部屋の中は、さっきよりも明るくなっていた。窓からの光がはっきりして、床板の木目がくっきり見える。扉のすぐ内側、壁にもたせかけるように置いてあった布包みを、私はそっと持ち上げた。思ったより軽い。布をほどくと、中から畳んだ服がいくつか出てきた。

 まず、膝丈くらいの、やわらかい生成りのワンピース。襟元はゆるくて、胸もとは紐で少し締められるようになってる。生地は厚すぎず薄すぎずで、肌ざわりはちょっと粗いけど、嫌なチクチクはしなさそう。次に、上に羽織るための、薄い灰色の前開きのベストみたいなもの。肩は少し広めで、袖はない。腰のところでひもをきゅっと結べるようになっている。それから、例の「足に巻く布」がきれいにたたんで入っていた。長い帯状の布が二本。片方の端には、ちょっとだけ違う色の糸で目印の縫い取りがしてある。迷わないように、上下の目印なんだろう。丁寧。細かい。ちゃんと「私でもできるように」って準備してくれてるのが、そこだけでわかる。

 喉の奥が一瞬つまった。だめだ、だめ。ノー泣きデー。今日はノー泣きデー。朝から泣いたら終日ずるずるいくやつ。それだけは避けたい。

「……よし。がんばろ」

 私は自分に言い聞かせるように小さくつぶやいてから、服をそっと持ち上げた。ブラウスとスカートを脱いで、少しひんやりした空気に肩が触れた瞬間、体のラインを意識して変に赤面しかけたけど、ここは私の部屋。誰も入ってこない。さっき「入るときは声かけるからね」って言ってもらってる。だから大丈夫。そう頭の中で三回くらい確認して、深呼吸して、ワンピースをかぶった。

 布がふわっと肩をすべって落ちる。襟元からすうっと空気が入ってくる。ふわ。軽い。軽いのに、肌がちゃんと隠れるから落ち着く。丈は、立ったまま膝のちょっと下くらい。よかった。太ももまでは出ない。安心ライン。胸元の紐をきゅっと結ぶと、ほんの少しだけ体のラインが出る。そこで一瞬「胸のサイズがどうこう」とか「ウエストがどうこう」とか考えそうになって、自分で自分の頬をぺちっと軽く叩いた。違う。そういうのは今考えなくていい。あとでひとりで鏡のない世界で勝手に悩んでください私。今は機能性を確認する時間です。

 羽織りも着けてみる。肩にかけて、前でひもを軽く結ぶと、ちょっとだけ“しっかりしてる人”感が出る。あ、これいいかも。きちんと見える。事務員っぽい。いや事務員っぽいのはちょっと複雑だけど、村の人と話すときに信用してもらいやすいのはたぶんこういう“ちゃんとしてそうな格好”だ。露出は少ない。安心。うん、これでいこう。

 問題の「足の布」は……見よう見まねで、ふくらはぎのあたりから下に向けてぐるぐる巻いて、きゅっと端を差しこんで固定する。これ、足首が安定する。動きやすい。なるほど、畑とか井戸とか歩き回るにはこういうのが普通なんだ。合理的だなあ、と妙に感心する。

「……」

 全部つけ終わって、私は一回くるっとその場で回ってみた。裾がふわっと揺れる。なんか、変な感じ。鏡がないから、自分の姿がどうなってるのかわからない。でも、体感としては、“村の人っぽい”にすこし近づいた気がする。昨日までは完全に異物だった。城のままの服で、革靴で、肩に緊張を乗っけて歩いてた。いまは、“ここにいる人間に見られたい自分”に、ちょっと寄った。私は、胸がじわっとあったかくなった。

「……うん。いける。いけるいける」

 ノー泣きデー。笑って挨拶デー。私は自分に念を押してから、部屋の扉を開けた。

 居間に戻ると、ルゼルがちょうど木箱から何かを取り出していた。たぶん、村に持っていくための道具。麻紐。メモ用の紙。小さな炭みたいな書きもの。彼は私の足音に気づいて、ふっと顔を上げた。

 そして、動きが止まった。

「……」

「……えっと」

 沈黙が、三秒つづいた。三秒ってめっちゃ長い。心臓には永遠みたいに長い。私は一瞬で不安になって、裾をぎゅっとつまむ。なに? 変? 似合ってない? やっぱり私だけちょっとおかしい? 丈とか? ひも変? 巻き方ヘタ? あ、いや、もしかして変なところだけ肌が見えてる? うそどこ!? どこどこ!? ねえどこ!? って内心で一気に騒ぐ。顔が一気に熱くなる。

「な、なんですか。なんか言ってください。無言怖いです。今の沈黙すごく怖いのでなにか言ってください」

「……似合う」

「っっっっっ」

「すごく、似合う」

「っっっっっっっっ!!!!!!????」

 私は液体になって床に溶けそうになった。音にならない悲鳴が出た。あのですね、すごく、とか、似合う、とか、あなた、そういう、重大なワードを、朝一番から、真正面から、目をそらさずに、落ち着いた声で、二回言うの、やめてください、心臓が、死ぬので。死にますので。ノー泣きデー以前にわたしが物理的に死にますので。

「い、い、いまの、なしですなしです聞いてません聞いてません」

「聞いたでしょ」

「聞いてません!! いまのは幻聴! はい幻聴!!」

「幻聴なの?」

「幻聴です!!!! なので記録禁止です!!!」

「記録?」

「“07:30 似合うって二回言ってきた こっちのHPがゼロ寸前”とかメモしないでください!!」

「メモしないよ」

「本当に!?」

「うん。頭の中には書くけど」

「頭の中に残すのはメモと同義では!!!!???」

「大丈夫。俺、忘れないから」

「忘れてーーーーーー!!!!!!!!」

 私は頭を抱えてその場でうずくまった。床がひんやりして気持ちいい。地面ありがとう。私いま地面と友達になれる。地面が親友。地面に嫁ぐ。地面と結婚する。人間では心臓がもたない。

「……由香」

「はいっっっ」

「大丈夫。落ち着いて」

「無理です落ち着けるかー!!!!!」

「深呼吸しようか」

「……はい……」

「吸って」

「すー……」

「止めて」

「……」

「吐いて」

「ふーー……」

「うん。いい子」

「いまの“いい子”、なんか、だめじゃないですけど、すごく効くので、心臓へのダメージは記録しますからね……?」

「記録するんだ」

「記録します……」

「そっか」

 私はなんとか人型に戻って立ち上がった。まだ耳と首のあたりが熱い。たぶん赤い。こういう状態で村の人に挨拶して大丈夫なのか私。初対面なのに耳まで真っ赤なまま「こんにちは!」って言う女、怪しくない? いや、怪しいかもしれない。でも、もうどうしようもない。私のメンタルがこれ以上の刺激に耐えられる気がしない。開き直ろう。開き直って生きていこう。

「……と、とにかく、行きましょう。井戸、見たいです」

「うん。じゃあ行こう」

「はい」

 私はぎゅっと拳を握った。胸の奥ではまだドキドキが落ち着いてないけど、そのドキドキを、“怖い”じゃなくて“楽しみ”のほうに無理やりラベリングし直す。よし。これは楽しみ。私はいま楽しみにドキドキしてる。そういうことにする。そういうことにしておく。そうじゃないと歩けない。

「……あの、ルゼル」

「うん」

「最後、確認してもいいですか」

「いいよ」

「私は、今日から、“ここに住みます”って言っていいんですよね」

「うん。言っていいよ」

「ちゃんと、言っていい?」

「うん。むしろ言って」

「“ここで働きます”も?」

「もちろん」

「……」

 喉の奥が、熱くなった。こわい。こわいけど、嬉しい。嬉しいほうが、ちょっとだけ勝ってる。私は大きく息を吸って、吐いて、もう一回吸って、吐いて。胸の奥の震えが、ゆっくりと落ち着いてくるのを待った。目の端がちょっとだけ熱いけど、まだ、こぼれてはいない。泣かないデー。泣かないデー。いける。私はいける。私はできる子。うん。いける。

「――行きましょう、“井戸の人”としての初仕事に」

 そう宣言してみたら、自分の声がちゃんと強かった。震えてなかった。ちょっとびっくりして、でも嬉しくて、胸の奥で小さな火みたいなものが、ぽっと灯ったのがわかる。

 ルゼルは、その火をちゃんと見ていたみたいに、目を細めて、ゆっくりうなずいた。

「うん。行こう、“井戸の人”」

 その呼び方が、なんだか少し誇らしく聞こえた。私は背筋を伸ばして、扉に向かって歩き出した。扉の向こうには、湖の光と、村の朝の音が待っている。昨日までは“知らない世界”だった場所。それが今から“ただいま”って言っていい場所になるんだって思うと、胸がぎゅうぎゅうにいっぱいになる。けど、泣かない。泣かないでいく。私は笑う。ちゃんと笑って、「こんにちは」って言う。それが今日の最初の、いちばん大事な仕事。

 私は深呼吸をもう一度だけして、ルゼルと並んで、家の扉に手をかけた。木の取っ手は朝の冷たさをまだ残していて、指先からその冷たさが私の体にすべりこむ。それは、目を覚ますためのやさしい合図みたいに感じられた。

「……行ってきます」

「うん。行こう」
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