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番外編2
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春がまた巡ってきた。
丘の上では、今年も花が咲き始めている。白いリリアに混じって、黄色のカモミール、淡い紫のベルフラワー、そして新しく植えた青の風花が、朝露を受けてきらきらと輝いていた。
花畑の真ん中には一本の木がある。村人たちが「風の樹」と呼ぶその木の下で、私は腰を下ろし、スケッチ帳を開いた。手元には絵筆、膝には眠る小さな少女――ミリア。彼女の頬が風に揺れる髪にくすぐられ、くすくすと笑う。
「お母さん、描けた?」
「もう少し。ほら、見てごらん」
スケッチブックには、花畑と風の樹、そして私たちの小さな家が描かれていた。
ミリアが目を丸くする。
「すごい! 本物みたい!」
「ふふっ、ありがとう。お父さんにも見せようね」
丘の下では、ライナルトが村人たちと並んで新しい畝を作っていた。
昔と違い、今の彼は笑うことが多い。
鍬を振るう姿は相変わらず力強いけれど、時々振り返っては、丘の上の私たちを探して微笑むようになった。
――その笑顔を見るたび、胸の奥が温かくなる。
◇
昼下がり、村にひとりの旅人がやってきた。
年配の女性で、薄い灰色のマントを羽織っている。彼女は花畑を見渡し、深く息を吸い込んだ。
「……なんてやさしい香り」
「こんにちは」
私が声をかけると、女性は振り向いて微笑んだ。
「あなたが、この村の花守の方?」
「はい。セリーナと申します」
「やっぱり……」
女性は目を細め、懐かしそうに空を見上げた。
「王都から来たの。昔、あなたの噂を聞いたことがあるわ。『婚約破棄された令嬢が、辺境の村で奇跡の花畑を作った』って」
「そんな……たいしたことではありません」
「たいしたことよ。人の心を変えたんでしょう? この村だけじゃなく、私のように遠くからもここへ来たいと思う人がいる。それがどれほどのことか……」
女性の言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
かつて、あの王都で笑われ、嘲られ、追い出された自分。
けれど、今ここで笑える。あの出来事があったからこそ、私はこの場所に辿り着いたのだ。
「ありがとうございます。……でも、この花たちが教えてくれたんです。過去は枯れても、また新しい芽が出るって」
「その言葉、覚えておくわ」
女性は帽子を脱ぎ、深くお辞儀をした。
風が吹き、花びらが彼女の肩に舞い落ちる。
その背中を見送りながら、私は静かに手を合わせた。
◇
夕暮れ。
ライナルトとミリアと三人で、花畑の端に立った。空は茜色に染まり、風がやさしく頬を撫でる。
「お父さん! ほら!」
ミリアが指を差した先には、白い蝶がいた。
花から花へ、ひらひらと舞いながら夕陽の光を受けている。
「蝶が、花と話してるみたい!」
「きっと話してるよ」
私が言うと、ミリアは目を輝かせた。
「じゃあ、風も聞いてる?」
「もちろん。風は花の声を運ぶんだから」
そのやり取りに、ライナルトが穏やかに笑う。
「お前の言葉は、風のようだな」
「え?」
「誰かの心をそっと撫でて、悲しみを遠くに運んでいく」
「……あなたがいてくれたから、そうなれたんです」
彼の手が私の肩に触れる。
その温もりに包まれて、私は目を閉じた。
――あの夜の雷鳴も、あの頃の涙も、今はもう遠い。
ただ、穏やかな風と花の香りだけがここにある。
◇
夜。
村の広場では、灯火が並び、子どもたちが歌っていた。
ミリアが中心に立ち、小さな手で花を掲げている。
「風の花~♪ 咲け、咲け、明日も咲け~♪」
彼女の歌声が夜空に響く。
村の人々が手を叩き、笑顔が広がっていく。
私はライナルトの隣で、その光景を見つめていた。
「……あの子、あなたに似てきましたね」
「そうか?」
「真面目で、ちょっと不器用で」
「それは否定できないな」
二人で笑う。
風が吹き抜け、花の香りが夜空を包む。
「セリーナ」
「はい」
「この村を、いつかミリアに託そう」
「きっと、素敵な花守になります」
「ああ。お前のように、強くて優しく」
その言葉を聞いた瞬間、涙がこぼれそうになった。
けれど、泣く代わりに笑った。
「……ライナルト」
「ん」
「この村に来て、本当によかった」
「俺もだ」
彼がそっと私の手を握る。指先が重なり、ぬくもりが心の奥まで届いた。
風がまた吹く。花が揺れ、光が零れる。
遠くの空に、流れ星がひとつ走った。
――その夜、私は思った。
風が吹く限り、この村は咲き続ける。
そして、私たちの愛もまた、風と花に生き続けるのだと。
リリアの花弁がひとひら、掌に落ちた。
それを唇で包み、静かに囁く。
「ありがとう、風さん」
夜空の星が、やさしく瞬いた。
丘の上では、今年も花が咲き始めている。白いリリアに混じって、黄色のカモミール、淡い紫のベルフラワー、そして新しく植えた青の風花が、朝露を受けてきらきらと輝いていた。
花畑の真ん中には一本の木がある。村人たちが「風の樹」と呼ぶその木の下で、私は腰を下ろし、スケッチ帳を開いた。手元には絵筆、膝には眠る小さな少女――ミリア。彼女の頬が風に揺れる髪にくすぐられ、くすくすと笑う。
「お母さん、描けた?」
「もう少し。ほら、見てごらん」
スケッチブックには、花畑と風の樹、そして私たちの小さな家が描かれていた。
ミリアが目を丸くする。
「すごい! 本物みたい!」
「ふふっ、ありがとう。お父さんにも見せようね」
丘の下では、ライナルトが村人たちと並んで新しい畝を作っていた。
昔と違い、今の彼は笑うことが多い。
鍬を振るう姿は相変わらず力強いけれど、時々振り返っては、丘の上の私たちを探して微笑むようになった。
――その笑顔を見るたび、胸の奥が温かくなる。
◇
昼下がり、村にひとりの旅人がやってきた。
年配の女性で、薄い灰色のマントを羽織っている。彼女は花畑を見渡し、深く息を吸い込んだ。
「……なんてやさしい香り」
「こんにちは」
私が声をかけると、女性は振り向いて微笑んだ。
「あなたが、この村の花守の方?」
「はい。セリーナと申します」
「やっぱり……」
女性は目を細め、懐かしそうに空を見上げた。
「王都から来たの。昔、あなたの噂を聞いたことがあるわ。『婚約破棄された令嬢が、辺境の村で奇跡の花畑を作った』って」
「そんな……たいしたことではありません」
「たいしたことよ。人の心を変えたんでしょう? この村だけじゃなく、私のように遠くからもここへ来たいと思う人がいる。それがどれほどのことか……」
女性の言葉に、胸がじんわりと熱くなった。
かつて、あの王都で笑われ、嘲られ、追い出された自分。
けれど、今ここで笑える。あの出来事があったからこそ、私はこの場所に辿り着いたのだ。
「ありがとうございます。……でも、この花たちが教えてくれたんです。過去は枯れても、また新しい芽が出るって」
「その言葉、覚えておくわ」
女性は帽子を脱ぎ、深くお辞儀をした。
風が吹き、花びらが彼女の肩に舞い落ちる。
その背中を見送りながら、私は静かに手を合わせた。
◇
夕暮れ。
ライナルトとミリアと三人で、花畑の端に立った。空は茜色に染まり、風がやさしく頬を撫でる。
「お父さん! ほら!」
ミリアが指を差した先には、白い蝶がいた。
花から花へ、ひらひらと舞いながら夕陽の光を受けている。
「蝶が、花と話してるみたい!」
「きっと話してるよ」
私が言うと、ミリアは目を輝かせた。
「じゃあ、風も聞いてる?」
「もちろん。風は花の声を運ぶんだから」
そのやり取りに、ライナルトが穏やかに笑う。
「お前の言葉は、風のようだな」
「え?」
「誰かの心をそっと撫でて、悲しみを遠くに運んでいく」
「……あなたがいてくれたから、そうなれたんです」
彼の手が私の肩に触れる。
その温もりに包まれて、私は目を閉じた。
――あの夜の雷鳴も、あの頃の涙も、今はもう遠い。
ただ、穏やかな風と花の香りだけがここにある。
◇
夜。
村の広場では、灯火が並び、子どもたちが歌っていた。
ミリアが中心に立ち、小さな手で花を掲げている。
「風の花~♪ 咲け、咲け、明日も咲け~♪」
彼女の歌声が夜空に響く。
村の人々が手を叩き、笑顔が広がっていく。
私はライナルトの隣で、その光景を見つめていた。
「……あの子、あなたに似てきましたね」
「そうか?」
「真面目で、ちょっと不器用で」
「それは否定できないな」
二人で笑う。
風が吹き抜け、花の香りが夜空を包む。
「セリーナ」
「はい」
「この村を、いつかミリアに託そう」
「きっと、素敵な花守になります」
「ああ。お前のように、強くて優しく」
その言葉を聞いた瞬間、涙がこぼれそうになった。
けれど、泣く代わりに笑った。
「……ライナルト」
「ん」
「この村に来て、本当によかった」
「俺もだ」
彼がそっと私の手を握る。指先が重なり、ぬくもりが心の奥まで届いた。
風がまた吹く。花が揺れ、光が零れる。
遠くの空に、流れ星がひとつ走った。
――その夜、私は思った。
風が吹く限り、この村は咲き続ける。
そして、私たちの愛もまた、風と花に生き続けるのだと。
リリアの花弁がひとひら、掌に落ちた。
それを唇で包み、静かに囁く。
「ありがとう、風さん」
夜空の星が、やさしく瞬いた。
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