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第5話 村の朝と小さな約束
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朝靄が村を薄く包み、赤茶色の屋根に光が差し始めていた。窓の外からは子どもたちの笑い声と鶏の鳴き声が混じり合い、夜の静けさを押しのけていく。私は硬いながらも温かなベッドから身を起こし、昨夜ほとんど眠れなかったことに気づいた。胸に残るのは、あの言葉――「俺が望んで隣にいてほしいんだ」。
外に出ると、冷たい空気が頬を撫で、土の匂いが肺を満たす。宿の前ではすでにアレクが馬の手入れをしていた。濃紺の外套を肩にかけ、指先で馬の鬣を梳かす仕草が自然で、見惚れてしまう。
「おはよう、セリーナ」
振り返った彼の声は澄んでいて、朝の光に馴染んでいた。
「おはようございます。……殿下」
最後の言葉は思わず漏れた。アレクは眉をわずかに上げ、笑って首を振る。
「だから、肩書きは捨ててくれ。俺はアレクでいい」
彼の笑顔に頬が熱くなり、私は慌てて視線を落とした。
◇
村の広場では、農夫や子どもたちが集まっていた。彼らはアレクに親しげに声をかけ、籠いっぱいの果物や焼きたてのパンを差し出す。王子としての敬意というより、長く慕われている家族の一員に向けられるような眼差しだった。
その中に混じって、幼い少女が私の手を引いた。栗色の髪を二つに結んだ子で、澄んだ瞳を輝かせながら言う。
「お姉ちゃん、昨日すごく疲れてたでしょ? これ、あげる」
差し出されたのは、小さな花冠だった。野に咲いた花を編んだもので、色とりどりの花弁が朝日に透ける。
「ありがとう……。とても綺麗」
頭に載せると、子どもたちが歓声をあげた。その光景を見ていたアレクの眼差しが、ふとやわらかくなる。彼は人々の輪に近づき、私の隣に立った。
「似合っている。森で倒れていた人と同じとは思えないほどだ」
「それは……褒めすぎです」
頬がまた熱を帯びる。けれど、その視線から目を逸らすことはできなかった。
◇
村人たちの歓待のあと、二人きりで小川のほとりを歩いた。水面が朝日を映し、涼やかな風が揺れる。アレクは石を拾い、軽く投げて水切りをした。石は三度跳ね、やがて沈む。
「俺は幼い頃、この村で過ごした。城よりもここで学んだことの方が多い」
「……王子が村で?」
「ああ。ここでは誰も俺を肩書きで呼ばない。ただのアレクとして扱ってくれる。それが心地よかった」
その言葉に、私は昨夜の告白を思い出す。――「資格ではなく、俺が望むから隣にいてほしい」。彼の真意は、この村で育まれた価値観に繋がっているのだと気づく。
「セリーナ」
名前を呼ばれ、心臓が大きく鳴った。彼は真剣な顔で続ける。
「君がどんな過去を持っていても、この国でどう呼ばれていたとしても、俺にとってはただの君だ。だから……」
彼は言葉を切り、ほんの少し笑みを浮かべた。
「この村を出たら、俺と一緒に都へ来てほしい」
驚きに息を呑む。都――隣国の中心、彼の国の王城。そこへ行けば、もう後戻りはできない。けれど、彼の瞳の奥にある真剣さが、私の迷いをすべて吸い取っていく。
「……考えさせてください」
やっとそれだけを告げると、彼は満足そうに頷いた。
「もちろんだ。答えを急かすつもりはない。ただ、俺の願いを知ってほしかった」
◇
昼下がり、村を発つ準備が始まった。馬の蹄が土を叩き、人々が別れの言葉を告げる。子どもたちが花冠の代わりに花束を持たせてくれ、胸が締め付けられた。
「また来てね、お姉ちゃん!」
その声に頷きながら、私は振り返る。小さな村が少しずつ遠ざかり、広がる草原の向こうに都への道が続いている。
隣にはアレクがいて、その手綱を握る横顔は未来を見据えていた。
――この人と共に進むことが、私の新しい道になるのかもしれない。
馬の揺れに身を任せながら、私は静かに目を閉じた。
外に出ると、冷たい空気が頬を撫で、土の匂いが肺を満たす。宿の前ではすでにアレクが馬の手入れをしていた。濃紺の外套を肩にかけ、指先で馬の鬣を梳かす仕草が自然で、見惚れてしまう。
「おはよう、セリーナ」
振り返った彼の声は澄んでいて、朝の光に馴染んでいた。
「おはようございます。……殿下」
最後の言葉は思わず漏れた。アレクは眉をわずかに上げ、笑って首を振る。
「だから、肩書きは捨ててくれ。俺はアレクでいい」
彼の笑顔に頬が熱くなり、私は慌てて視線を落とした。
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村の広場では、農夫や子どもたちが集まっていた。彼らはアレクに親しげに声をかけ、籠いっぱいの果物や焼きたてのパンを差し出す。王子としての敬意というより、長く慕われている家族の一員に向けられるような眼差しだった。
その中に混じって、幼い少女が私の手を引いた。栗色の髪を二つに結んだ子で、澄んだ瞳を輝かせながら言う。
「お姉ちゃん、昨日すごく疲れてたでしょ? これ、あげる」
差し出されたのは、小さな花冠だった。野に咲いた花を編んだもので、色とりどりの花弁が朝日に透ける。
「ありがとう……。とても綺麗」
頭に載せると、子どもたちが歓声をあげた。その光景を見ていたアレクの眼差しが、ふとやわらかくなる。彼は人々の輪に近づき、私の隣に立った。
「似合っている。森で倒れていた人と同じとは思えないほどだ」
「それは……褒めすぎです」
頬がまた熱を帯びる。けれど、その視線から目を逸らすことはできなかった。
◇
村人たちの歓待のあと、二人きりで小川のほとりを歩いた。水面が朝日を映し、涼やかな風が揺れる。アレクは石を拾い、軽く投げて水切りをした。石は三度跳ね、やがて沈む。
「俺は幼い頃、この村で過ごした。城よりもここで学んだことの方が多い」
「……王子が村で?」
「ああ。ここでは誰も俺を肩書きで呼ばない。ただのアレクとして扱ってくれる。それが心地よかった」
その言葉に、私は昨夜の告白を思い出す。――「資格ではなく、俺が望むから隣にいてほしい」。彼の真意は、この村で育まれた価値観に繋がっているのだと気づく。
「セリーナ」
名前を呼ばれ、心臓が大きく鳴った。彼は真剣な顔で続ける。
「君がどんな過去を持っていても、この国でどう呼ばれていたとしても、俺にとってはただの君だ。だから……」
彼は言葉を切り、ほんの少し笑みを浮かべた。
「この村を出たら、俺と一緒に都へ来てほしい」
驚きに息を呑む。都――隣国の中心、彼の国の王城。そこへ行けば、もう後戻りはできない。けれど、彼の瞳の奥にある真剣さが、私の迷いをすべて吸い取っていく。
「……考えさせてください」
やっとそれだけを告げると、彼は満足そうに頷いた。
「もちろんだ。答えを急かすつもりはない。ただ、俺の願いを知ってほしかった」
◇
昼下がり、村を発つ準備が始まった。馬の蹄が土を叩き、人々が別れの言葉を告げる。子どもたちが花冠の代わりに花束を持たせてくれ、胸が締め付けられた。
「また来てね、お姉ちゃん!」
その声に頷きながら、私は振り返る。小さな村が少しずつ遠ざかり、広がる草原の向こうに都への道が続いている。
隣にはアレクがいて、その手綱を握る横顔は未来を見据えていた。
――この人と共に進むことが、私の新しい道になるのかもしれない。
馬の揺れに身を任せながら、私は静かに目を閉じた。
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