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第10話 囁かれる声と揺るがぬ手
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王城での日々が少しずつ形を持ちはじめていた。侍女たちとの会話やマリアンヌとの時間、厨房でのささやかな手伝い――小さな積み重ねが心を和ませる。けれど、その裏側で私に向けられる視線のすべてが温かいわけではなかった。
廊下を歩くと、ふと耳に届く囁き。
「……あれが追放された聖女か」
「殿下に取り入ったのでは?」
「真実は魔女なのだろう」
足を止めるわけにはいかず、そのまま歩き続ける。けれど声の刃は背に突き刺さり、心を冷やした。
◇
午後、庭園で花に水をやっていると、若い侍女が近づいてきた。目を伏せ、言いにくそうにしている。
「セリーナ様……お気を悪くなさらないでください。皆が噂しているのは、ただ殿下を心配してのことです」
「心配……?」
「はい。殿下はお優しすぎる。だからこそ、周囲はあなたを……」
言葉を濁した彼女に礼を言い、微笑んで返すしかなかった。だが心は重く沈む。優しさが彼を縛ってしまうのではないか。私がここにいることで、彼の立場を危うくしてしまうのでは――。
花に落ちた水滴が陽光に光る。それは美しいのに、私の胸には澱のような不安が溜まっていく。
◇
夕刻、城下町に出かける用事があり、アレクが同行を申し出た。石畳の道には人々の声があふれ、露店からは香辛料や焼き菓子の匂いが漂う。子どもたちが駆け回り、笑い声が響く。
けれど、私に気づいた者の中には視線を避ける者もいた。笑みを浮かべる人々の背で、囁きがまた生まれる。
「魔女が殿下と……」
「城に入れるなど、信じられない」
足が止まりそうになる。その瞬間、アレクが私の手を取った。温かく、迷いのない力だった。
「聞くな。彼らの声は真実ではない」
「でも……」
「俺が知っているのは君の姿だけだ。雨の森で立ち上がり、誰よりも自分を責めながら、それでも歩き続けた君だ」
人々のざわめきの中、彼の声だけが真っ直ぐに胸に届く。掴まれた手から熱が広がり、不安を押し流していく。
◇
城へ戻る途中、馬車の窓から外を眺める。夕暮れの光が石畳を黄金色に染め、人々の影が長く伸びていた。彼らの囁きは消えないかもしれない。だが、それ以上に彼の言葉が確かな支えとなって残っている。
――この手を信じたい。
そう思ったとき、心の中で揺れていた不安が少しずつ静まっていく。
「セリーナ」
名を呼ばれ、振り返るとアレクが真剣な瞳で見つめていた。
「君を守ることは俺の義務ではない。俺の望みだ。だから迷わず、俺の隣にいてくれ」
胸が熱くなり、涙がこぼれそうになる。私は強く頷いた。
◇
その夜、部屋に戻ると窓の外には満月が輝いていた。青白い光が床を照らし、影が長く伸びる。
胸に残るのは、彼の温かな手の感触。囁きは消えないだろう。けれど、そのすべてを上書きするように、彼の声が心に刻まれていた。
――私は彼の隣にいる。迷わず、胸を張って。
静かな夜に、そう誓った。
廊下を歩くと、ふと耳に届く囁き。
「……あれが追放された聖女か」
「殿下に取り入ったのでは?」
「真実は魔女なのだろう」
足を止めるわけにはいかず、そのまま歩き続ける。けれど声の刃は背に突き刺さり、心を冷やした。
◇
午後、庭園で花に水をやっていると、若い侍女が近づいてきた。目を伏せ、言いにくそうにしている。
「セリーナ様……お気を悪くなさらないでください。皆が噂しているのは、ただ殿下を心配してのことです」
「心配……?」
「はい。殿下はお優しすぎる。だからこそ、周囲はあなたを……」
言葉を濁した彼女に礼を言い、微笑んで返すしかなかった。だが心は重く沈む。優しさが彼を縛ってしまうのではないか。私がここにいることで、彼の立場を危うくしてしまうのでは――。
花に落ちた水滴が陽光に光る。それは美しいのに、私の胸には澱のような不安が溜まっていく。
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夕刻、城下町に出かける用事があり、アレクが同行を申し出た。石畳の道には人々の声があふれ、露店からは香辛料や焼き菓子の匂いが漂う。子どもたちが駆け回り、笑い声が響く。
けれど、私に気づいた者の中には視線を避ける者もいた。笑みを浮かべる人々の背で、囁きがまた生まれる。
「魔女が殿下と……」
「城に入れるなど、信じられない」
足が止まりそうになる。その瞬間、アレクが私の手を取った。温かく、迷いのない力だった。
「聞くな。彼らの声は真実ではない」
「でも……」
「俺が知っているのは君の姿だけだ。雨の森で立ち上がり、誰よりも自分を責めながら、それでも歩き続けた君だ」
人々のざわめきの中、彼の声だけが真っ直ぐに胸に届く。掴まれた手から熱が広がり、不安を押し流していく。
◇
城へ戻る途中、馬車の窓から外を眺める。夕暮れの光が石畳を黄金色に染め、人々の影が長く伸びていた。彼らの囁きは消えないかもしれない。だが、それ以上に彼の言葉が確かな支えとなって残っている。
――この手を信じたい。
そう思ったとき、心の中で揺れていた不安が少しずつ静まっていく。
「セリーナ」
名を呼ばれ、振り返るとアレクが真剣な瞳で見つめていた。
「君を守ることは俺の義務ではない。俺の望みだ。だから迷わず、俺の隣にいてくれ」
胸が熱くなり、涙がこぼれそうになる。私は強く頷いた。
◇
その夜、部屋に戻ると窓の外には満月が輝いていた。青白い光が床を照らし、影が長く伸びる。
胸に残るのは、彼の温かな手の感触。囁きは消えないだろう。けれど、そのすべてを上書きするように、彼の声が心に刻まれていた。
――私は彼の隣にいる。迷わず、胸を張って。
静かな夜に、そう誓った。
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