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第4話 村人との距離
翌朝、目を覚ますと、家の中がやけに明るかった。薄い木戸越しに差し込む光が、昨日まで気づかなかった埃を浮かび上がらせている。夜の間に雪でも降ったのかと思ったが、外は静かで、風の音も穏やかだ。俺はゆっくりと体を起こし、背中の筋を伸ばした。冒険者時代の癖で、起き抜けに体の具合を確かめる。どこも悪くない。むしろ、いつもより軽い。
「……悪くない朝だ」
誰に聞かせるでもなく呟く。鍋に水を汲み、火を入れると、ぱちぱちと薪が弾いた。湯が沸くまでの間、昨日の続きの掃除に手を伸ばす。床はだいぶ綺麗になったが、隅にはまだ埃が残っている。こういう細かいところが、気になる性分だ。
朝食を済ませ、外に出ると、村はすでに動き出していた。畑に向かう者、家畜の世話をする者、子どもを連れて井戸に向かう女たち。誰も急いでいないが、無駄もない。そんな流れの中に、俺も自然と混じっていく。
「おはよう」
井戸のそばで、年配の女が声をかけてきた。皺だらけの顔に、柔らかな笑みが浮かんでいる。
「おはよう」
俺は短く返した。挨拶を返すだけで、少し距離が縮まる。そんなことを、久しぶりに思い出した。
「昨日は、バルトの畑を直してくれたんだって?」
「ああ、手伝っただけだ」
「助かったよ。鹿の被害がひどくてねえ」
女はそう言って、桶を持ち上げた。水面が揺れ、朝日を反射する。
「……そうか」
それ以上、言葉は続かない。だが、気まずさはなかった。必要な分だけ話し、必要以上に踏み込まない。この村の距離感が、妙に心地いい。
家に戻る途中、子どもたちが道端で何かを囲んでいるのが見えた。小さな声で騒ぎ、時折、きゃっと短い悲鳴が上がる。
「どうした」
声をかけると、子どもたちが一斉に振り向いた。
「おじさん!」
一人が叫び、道の真ん中を指さす。そこには、小さな魔物がひっくり返っていた。イタチに似た姿で、牙はあるが、まだ幼い。縄に絡まって身動きが取れず、必死にもがいている。
「噛まれるぞ」
俺が言うと、子どもたちは一歩下がった。
「でも、これ、どうするの?」
別の子が不安そうに聞く。
「離せば、逃げる」
俺はそう言って、ゆっくりと近づいた。魔物は警戒して牙を剥くが、力は弱い。縄の結び目を見れば、簡単に解ける。
「じっとしてろ」
魔物に言い聞かせるように声を落とす。縄を解くと、魔物は一瞬固まり、それから、信じられないものを見るように俺を見上げた。次の瞬間、森の方へと一目散に走り去る。
「……行った」
子どもたちが目を丸くする。
「噛まれなかった!」
「おじさん、すごい!」
口々に言われ、俺は居心地の悪さを感じた。すごいことをした覚えはない。ただ、無駄に傷つけたくなかっただけだ。
「危ないことはするな」
それだけ言って、家に戻ろうとすると、背後で子どもたちの声が弾んだ。
「また来てね!」
「……ああ」
短く返事をして、歩き出す。背中に向けられる無邪気な視線が、妙に重かった。
昼過ぎ、家の修繕に取りかかる。昨日選別した板を使い、棚を組み直す。釘を打つ音が、家の中に響く。一定のリズムで手を動かしていると、思考が静まる。
途中、扉が軽く叩かれた。
「ガルド、いるか?」
バルトの声だ。
「いる」
扉を開けると、彼の後ろに、若い女が立っていた。茶色の髪を一つにまとめ、質素な服を着ている。
「村の薬師だ」
バルトが言った。
「畑の件で、礼を言いたいってな」
薬師の女は、籠を差し出した。
「ほんの気持ちです」
中を見ると、乾燥させた薬草と、小瓶がいくつか入っている。
「……助かる」
正直な感想だった。薬草は、何かと使う。
「怪我、されませんでしたか?」
薬師が心配そうに聞く。
「大丈夫だ」
「そうですか」
彼女はほっとしたように笑った。その笑顔が、どこかぎこちない。
「外から来た人は、すぐにいなくなることが多いので……」
言葉の続きは、言わなくても分かる。
「俺は、しばらくいる」
そう答えると、彼女は一瞬驚いたように目を見開き、それから、ゆっくりと頷いた。
「……それなら、よかった」
短い沈黙が流れる。気まずいわけではない。ただ、互いに距離を測っている。
「何かあったら、声をかけてくれ」
バルトが言った。
「ああ」
二人が帰ったあと、俺は棚を組み上げ、壁に固定した。歪みもなく、ぴたりと収まる。
「……まあまあだな」
自分で言って、少し笑う。こういう小さな満足は、久しぶりだ。
夕方、家の前で焚き火を起こし、簡単な煮込みを作る。薬師からもらった薬草を少し入れると、香りが立った。
火を眺めながら、ぼんやりと考える。ギルドでのこと、追放の言葉、仲間だった連中の顔。思い出せば、胸の奥が少しだけ痛む。だが、その痛みは、昨日よりも確実に薄れていた。
「……時間、か」
焚き火がぱちりと音を立てる。火の向こうで、村の明かりが一つ、また一つと灯っていく。
俺は、無意識のうちに、周囲の気配を感じ取っていた。森の中の獣の動き、村人の足音、風の流れ。それらが、危険にならない距離で、穏やかに循環しているのが分かる。
理由は分からない。ただ、そう感じる。
「……この村は、静かだ」
呟いた声は、焚き火の音に溶けた。
その夜、布を敷いただけの簡素な寝床に横になり、天井を見上げる。木の梁の影が、ゆっくりと揺れている。
目を閉じると、眠りはすぐに訪れた。夢は見なかった。ただ、深く、穏やかな闇が、俺を包み込んでいた。
翌朝、目を覚ますと、家の中がやけに明るかった。薄い木戸越しに差し込む光が、昨日まで気づかなかった埃を浮かび上がらせている。夜の間に雪でも降ったのかと思ったが、外は静かで、風の音も穏やかだ。俺はゆっくりと体を起こし、背中の筋を伸ばした。冒険者時代の癖で、起き抜けに体の具合を確かめる。どこも悪くない。むしろ、いつもより軽い。
「……悪くない朝だ」
誰に聞かせるでもなく呟く。鍋に水を汲み、火を入れると、ぱちぱちと薪が弾いた。湯が沸くまでの間、昨日の続きの掃除に手を伸ばす。床はだいぶ綺麗になったが、隅にはまだ埃が残っている。こういう細かいところが、気になる性分だ。
朝食を済ませ、外に出ると、村はすでに動き出していた。畑に向かう者、家畜の世話をする者、子どもを連れて井戸に向かう女たち。誰も急いでいないが、無駄もない。そんな流れの中に、俺も自然と混じっていく。
「おはよう」
井戸のそばで、年配の女が声をかけてきた。皺だらけの顔に、柔らかな笑みが浮かんでいる。
「おはよう」
俺は短く返した。挨拶を返すだけで、少し距離が縮まる。そんなことを、久しぶりに思い出した。
「昨日は、バルトの畑を直してくれたんだって?」
「ああ、手伝っただけだ」
「助かったよ。鹿の被害がひどくてねえ」
女はそう言って、桶を持ち上げた。水面が揺れ、朝日を反射する。
「……そうか」
それ以上、言葉は続かない。だが、気まずさはなかった。必要な分だけ話し、必要以上に踏み込まない。この村の距離感が、妙に心地いい。
家に戻る途中、子どもたちが道端で何かを囲んでいるのが見えた。小さな声で騒ぎ、時折、きゃっと短い悲鳴が上がる。
「どうした」
声をかけると、子どもたちが一斉に振り向いた。
「おじさん!」
一人が叫び、道の真ん中を指さす。そこには、小さな魔物がひっくり返っていた。イタチに似た姿で、牙はあるが、まだ幼い。縄に絡まって身動きが取れず、必死にもがいている。
「噛まれるぞ」
俺が言うと、子どもたちは一歩下がった。
「でも、これ、どうするの?」
別の子が不安そうに聞く。
「離せば、逃げる」
俺はそう言って、ゆっくりと近づいた。魔物は警戒して牙を剥くが、力は弱い。縄の結び目を見れば、簡単に解ける。
「じっとしてろ」
魔物に言い聞かせるように声を落とす。縄を解くと、魔物は一瞬固まり、それから、信じられないものを見るように俺を見上げた。次の瞬間、森の方へと一目散に走り去る。
「……行った」
子どもたちが目を丸くする。
「噛まれなかった!」
「おじさん、すごい!」
口々に言われ、俺は居心地の悪さを感じた。すごいことをした覚えはない。ただ、無駄に傷つけたくなかっただけだ。
「危ないことはするな」
それだけ言って、家に戻ろうとすると、背後で子どもたちの声が弾んだ。
「また来てね!」
「……ああ」
短く返事をして、歩き出す。背中に向けられる無邪気な視線が、妙に重かった。
昼過ぎ、家の修繕に取りかかる。昨日選別した板を使い、棚を組み直す。釘を打つ音が、家の中に響く。一定のリズムで手を動かしていると、思考が静まる。
途中、扉が軽く叩かれた。
「ガルド、いるか?」
バルトの声だ。
「いる」
扉を開けると、彼の後ろに、若い女が立っていた。茶色の髪を一つにまとめ、質素な服を着ている。
「村の薬師だ」
バルトが言った。
「畑の件で、礼を言いたいってな」
薬師の女は、籠を差し出した。
「ほんの気持ちです」
中を見ると、乾燥させた薬草と、小瓶がいくつか入っている。
「……助かる」
正直な感想だった。薬草は、何かと使う。
「怪我、されませんでしたか?」
薬師が心配そうに聞く。
「大丈夫だ」
「そうですか」
彼女はほっとしたように笑った。その笑顔が、どこかぎこちない。
「外から来た人は、すぐにいなくなることが多いので……」
言葉の続きは、言わなくても分かる。
「俺は、しばらくいる」
そう答えると、彼女は一瞬驚いたように目を見開き、それから、ゆっくりと頷いた。
「……それなら、よかった」
短い沈黙が流れる。気まずいわけではない。ただ、互いに距離を測っている。
「何かあったら、声をかけてくれ」
バルトが言った。
「ああ」
二人が帰ったあと、俺は棚を組み上げ、壁に固定した。歪みもなく、ぴたりと収まる。
「……まあまあだな」
自分で言って、少し笑う。こういう小さな満足は、久しぶりだ。
夕方、家の前で焚き火を起こし、簡単な煮込みを作る。薬師からもらった薬草を少し入れると、香りが立った。
火を眺めながら、ぼんやりと考える。ギルドでのこと、追放の言葉、仲間だった連中の顔。思い出せば、胸の奥が少しだけ痛む。だが、その痛みは、昨日よりも確実に薄れていた。
「……時間、か」
焚き火がぱちりと音を立てる。火の向こうで、村の明かりが一つ、また一つと灯っていく。
俺は、無意識のうちに、周囲の気配を感じ取っていた。森の中の獣の動き、村人の足音、風の流れ。それらが、危険にならない距離で、穏やかに循環しているのが分かる。
理由は分からない。ただ、そう感じる。
「……この村は、静かだ」
呟いた声は、焚き火の音に溶けた。
その夜、布を敷いただけの簡素な寝床に横になり、天井を見上げる。木の梁の影が、ゆっくりと揺れている。
目を閉じると、眠りはすぐに訪れた。夢は見なかった。ただ、深く、穏やかな闇が、俺を包み込んでいた。
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