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第7話 再会
夜は深まり、焚き火の火は赤く落ち着いていた。鍋の中身はもう温め直すだけで、村の周囲を包んでいた張りつめた空気も、少しずつ緩んでいく。罠の確認に出た者たちが戻り、簡単な報告が交わされるが、誰も大声を出さない。ただ、火のはぜる音と、遠くで鳴く夜鳥の声が、静かに混じるだけだ。
俺は火のそばに腰を下ろし、木匙で鍋をかき混ぜていた。今日一日の動きが、体の奥に沈んでいく。疲れているはずなのに、嫌な重さはない。やるべきことをやった、というだけの感覚だ。
「ガルド」
背後から、控えめな声がした。振り向くと、薬師の女が立っている。昼間よりも表情が硬い。
「森の道で……人が倒れているそうです」
その一言で、胸の奥がわずかにざわついた。森、夜、倒れている人間。嫌な組み合わせだ。
「村の者か?」
「いえ。装備からすると、冒険者のようで……」
俺は立ち上がり、外套を手に取った。
「案内してくれ」
薬師は頷き、松明を持って歩き出す。村の外れから森へ入る道は、さっきまでの緊張が嘘のように静かだ。だが、その静けさは、何かを隠しているようにも思える。
少し進んだところで、人影が見えた。地面に横たわり、荒い呼吸を繰り返している。松明の光が顔を照らした瞬間、俺は足を止めた。
「……」
見覚えのある顔だった。頬はこけ、鎧は歪み、血と泥にまみれている。それでも、間違えようがない。
「……ガルド……?」
かすれた声で、男が呟いた。弓使いだ。かつて、同じ卓を囲み、同じ依頼に向かった男。
「……生きてたのか」
俺の口から出た言葉は、驚くほど平坦だった。怒りも、喜びも、表に出ない。ただ、事実を確認しただけだ。
「……助けてくれ……」
弓使いは必死に手を伸ばそうとして、力尽きたように落とす。
薬師がすぐに駆け寄り、状態を確認する。
「命は……大丈夫です。でも、放っておけば朝までもちません」
俺は頷き、弓使いを抱え上げた。思ったより軽い。骨と皮だけになったような重さだ。
村へ戻る道すがら、弓使いは断片的に言葉を漏らした。
「……魔物……多すぎた……」
「……」
「……俺たち……失敗した……」
俺は何も答えなかった。答える必要がない。今は、運ぶことだけに集中する。
家に戻り、床に寝かせる。薬師が手早く処置を始める間、俺はランタンを追加で灯した。光の中で見る弓使いの顔は、昔よりずっと老けて見えた。
「……ガルド……」
弓使いが、薄く目を開ける。
「……すまなかった……」
その言葉は、予想していたよりも、ずっと弱々しかった。
「……俺たち……間違ってた……」
俺は椅子に腰を下ろし、黙って聞いていた。
「……お前がいなくなってから……何も、うまくいかなくて……」
言葉が途切れ、荒い息が続く。
「……金のことも……」
弓使いは唇を噛み、目を閉じた。
「……俺が……帳面、いじった……」
薬師の手が、一瞬止まった。
「……魔術師に言われて……少し……」
弓使いの声は、ほとんど囁きだった。
「……全部……お前のせいにすれば……楽だって……」
部屋の中に、重い沈黙が落ちる。ランタンの火が揺れ、影が壁を這う。
「……あいつらは?」
俺はようやく口を開いた。
「……剣士は……死んだ……」
短い答えだった。
「……神官も……魔術師も……重傷で……」
それ以上、聞く気はなかった。胸の奥に、冷たいものが落ちる感覚がある。だが、それは復讐心ではない。終わったものを、確認しただけだ。
「……ガルド……」
弓使いが、必死に目を開ける。
「……許してくれ……」
俺は、しばらく彼を見つめた。昔、一緒に笑った顔。喧嘩した夜。酒場で、くだらない話をした時間。それらが、遠い記憶として浮かんでは消える。
「許すも、許さないもない」
俺は静かに言った。
「もう、終わったことだ」
「……」
「俺は、もう冒険者じゃない」
弓使いの目から、涙が滲んだ。
「……すまなかった……」
その言葉を最後に、彼は意識を失った。
薬師が処置を終え、深く息を吐く。
「峠は越えました」
「ああ」
俺は立ち上がり、窓の外を見た。夜は静かで、森も村も、穏やかに眠っている。
過去は、追いかけてこなかった。ただ、勝手に転がり落ちてきただけだ。
俺は外套を脱ぎ、椅子にかける。
「……ここで、休め」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
ランタンの火を少し落とし、俺は再び椅子に腰を下ろす。
復讐はしない。憎しみも、抱かない。ただ、この静かな夜を、壊さない。それだけで、十分だった。
夜は深まり、焚き火の火は赤く落ち着いていた。鍋の中身はもう温め直すだけで、村の周囲を包んでいた張りつめた空気も、少しずつ緩んでいく。罠の確認に出た者たちが戻り、簡単な報告が交わされるが、誰も大声を出さない。ただ、火のはぜる音と、遠くで鳴く夜鳥の声が、静かに混じるだけだ。
俺は火のそばに腰を下ろし、木匙で鍋をかき混ぜていた。今日一日の動きが、体の奥に沈んでいく。疲れているはずなのに、嫌な重さはない。やるべきことをやった、というだけの感覚だ。
「ガルド」
背後から、控えめな声がした。振り向くと、薬師の女が立っている。昼間よりも表情が硬い。
「森の道で……人が倒れているそうです」
その一言で、胸の奥がわずかにざわついた。森、夜、倒れている人間。嫌な組み合わせだ。
「村の者か?」
「いえ。装備からすると、冒険者のようで……」
俺は立ち上がり、外套を手に取った。
「案内してくれ」
薬師は頷き、松明を持って歩き出す。村の外れから森へ入る道は、さっきまでの緊張が嘘のように静かだ。だが、その静けさは、何かを隠しているようにも思える。
少し進んだところで、人影が見えた。地面に横たわり、荒い呼吸を繰り返している。松明の光が顔を照らした瞬間、俺は足を止めた。
「……」
見覚えのある顔だった。頬はこけ、鎧は歪み、血と泥にまみれている。それでも、間違えようがない。
「……ガルド……?」
かすれた声で、男が呟いた。弓使いだ。かつて、同じ卓を囲み、同じ依頼に向かった男。
「……生きてたのか」
俺の口から出た言葉は、驚くほど平坦だった。怒りも、喜びも、表に出ない。ただ、事実を確認しただけだ。
「……助けてくれ……」
弓使いは必死に手を伸ばそうとして、力尽きたように落とす。
薬師がすぐに駆け寄り、状態を確認する。
「命は……大丈夫です。でも、放っておけば朝までもちません」
俺は頷き、弓使いを抱え上げた。思ったより軽い。骨と皮だけになったような重さだ。
村へ戻る道すがら、弓使いは断片的に言葉を漏らした。
「……魔物……多すぎた……」
「……」
「……俺たち……失敗した……」
俺は何も答えなかった。答える必要がない。今は、運ぶことだけに集中する。
家に戻り、床に寝かせる。薬師が手早く処置を始める間、俺はランタンを追加で灯した。光の中で見る弓使いの顔は、昔よりずっと老けて見えた。
「……ガルド……」
弓使いが、薄く目を開ける。
「……すまなかった……」
その言葉は、予想していたよりも、ずっと弱々しかった。
「……俺たち……間違ってた……」
俺は椅子に腰を下ろし、黙って聞いていた。
「……お前がいなくなってから……何も、うまくいかなくて……」
言葉が途切れ、荒い息が続く。
「……金のことも……」
弓使いは唇を噛み、目を閉じた。
「……俺が……帳面、いじった……」
薬師の手が、一瞬止まった。
「……魔術師に言われて……少し……」
弓使いの声は、ほとんど囁きだった。
「……全部……お前のせいにすれば……楽だって……」
部屋の中に、重い沈黙が落ちる。ランタンの火が揺れ、影が壁を這う。
「……あいつらは?」
俺はようやく口を開いた。
「……剣士は……死んだ……」
短い答えだった。
「……神官も……魔術師も……重傷で……」
それ以上、聞く気はなかった。胸の奥に、冷たいものが落ちる感覚がある。だが、それは復讐心ではない。終わったものを、確認しただけだ。
「……ガルド……」
弓使いが、必死に目を開ける。
「……許してくれ……」
俺は、しばらく彼を見つめた。昔、一緒に笑った顔。喧嘩した夜。酒場で、くだらない話をした時間。それらが、遠い記憶として浮かんでは消える。
「許すも、許さないもない」
俺は静かに言った。
「もう、終わったことだ」
「……」
「俺は、もう冒険者じゃない」
弓使いの目から、涙が滲んだ。
「……すまなかった……」
その言葉を最後に、彼は意識を失った。
薬師が処置を終え、深く息を吐く。
「峠は越えました」
「ああ」
俺は立ち上がり、窓の外を見た。夜は静かで、森も村も、穏やかに眠っている。
過去は、追いかけてこなかった。ただ、勝手に転がり落ちてきただけだ。
俺は外套を脱ぎ、椅子にかける。
「……ここで、休め」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
ランタンの火を少し落とし、俺は再び椅子に腰を下ろす。
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